中平康の監督デビュー作は完全にヒッチコックだった『狙われた男』

基本情報

狙われた男 ★★★
1956 スタンダードサイズ 68分 @アマプラ
企画:水の江瀧子 脚本:新藤兼人 撮影:中尾駿一郎 照明:吉田協佐 美術:松山崇 音楽:小杉太一郎 監督:中平康

感想

■古い町並みの残る銀座の路地の一角で美容院マダム殺人事件が起こる。殺人の前科がある若者(牧真介)が町内で噂にのぼり、彼は悔しさから真犯人探しを始めるが。。。

新藤兼人のオリジナル脚本で、らしいといえばらしい、非常にシンプルなスッキリした脚本。いわゆるミステリージャンルだけど、トリックが云々というお話ではなく、サスペンスにまとめる。その中で、前非を悔いて更生した者に対する冷ややかな世間の偏見の目を批判的に描く。テーマ性はそこにあるけど、それほど深く探求はされない。でも、演出的にサスペンスとしてかなりよくできているので中平康の株は大いに上がった。というか、監督デビュー作なので、大型新人と認識された。

■でも劇場公開は次作の『狂った果実』が先になり、大ヒットするし、世界的な高評価を叩き出す。それに比べると本作はそもそも大きな狙いを持った映画ではなく、あくまで監督としての資質を探るための小品だけど、驚くのはヒッチコックをかなり忠実にコピーしていること。それも、あざとさがなくて、非常に自然だし全体の流れの中で浮いていない。非常に巧妙なやりかただと思う。

■低予算なので配役はノンスターで地味だけど、美術装置は妙に豪華で、銀座の片隅の町並みの一角をまるまる撮影所のオープンセットに組んで、縦横無尽に撮影する。なんとも贅沢な時代だ。刑事役の内藤武敏は完全にハリウッド映画のダンディー探偵スタイルで、妙にかっこいいけど、神社新聞の社長が浜村純なんだけど変な長髪のかつらを着けて、完全にコメディ路線。そもそも浜村純て、長髪のかつらが全く似合わない人で、ときどきかつらやヒゲで出てくるけど浮きまくり、コメディにしかならない。その究極が『大怪獣ガメラ』の博士役で、至って真面目に演じるけど完全に漫画だった。

■撮影はなぜか中尾駿一郎だけど、ハリウッド映画を完全コピーしましたて感じのノワール撮影。当然『裏窓』も見事に翻案してみせる。ビルから降りてきて、道路を渡って、向かいのビルをのぼる様子を長廻しで捉えたり、もうヒッチコック好きを隠そうとしない。まあ、中平康ヒッチコック好きを公言していたけど、邦画界では当時珍しいよね。(当時はわりと軽視されていたはず)ただ、テーマ的には軽いので、白眉は『密会』だと思う。あれはヒッチコックの技巧を借りて、本家を超えたと思う。


地獄の極道カラオケ戦争勃発!でもカラオケ行きたい!『カラオケ行こ!』(感想/レビュー)

基本情報

カラオケ行こ! ★★★
2024 スコープサイズ 107分 @イオンシネマ京都桂川(SC1)
原作:和山やま 脚本:野木亜紀子 撮影:柳島克己 照明:根本伸一 美術:倉本愛子 音楽:世武裕子 VFXプロデューサー:浅野秀二 監督:山下敦弘

感想

■純真な合唱部の中学生男子(齋藤潤)に目をつけたイケメンやくざ(綾野剛)が、地獄の組長杯カラオケ大会の歌唱指南を頼み込むが。。。

■ホントにそんな話なので呆気にとられるけど、なにしろ脚本が野木亜紀子で、監督が山下敦弘なので、ただの漫画映画化企画ではないのだ。ないはず。。。きっとないよね。

■実際はかなり漫画チックなお話で、特にヤクザをどう捉えるかがネックになる企画なんだけど、そこは完全にファンタジー。そこをリアルに捉えると成立しない原作だし、企画だから、大人の観客には物足りない。というか、違和感が残る。ヤクザ舐めんなよ(?)

■でも主役の少年に齋藤潤を据えたところでいろんな瑕疵が一気にぶっ飛んだし、ヤクザに綾野剛が扮したところも、不思議な化学反応をもたらした。齋藤潤はもう文句なしに可愛いので、誰が観てもキュンキュンする。一方の綾野剛は、こうしてみるとけっこういい年なんだなと感じるところだが、それは男の勲章。明らかにこの二人のBL風味を意識しているし、それどころか合唱部の副部長の和田くん(後聖人)も部長の齋藤くんにぞっこんなのだ。監督も、撮ってみたら和田くんのキャラが立ってしまったので驚いたらしい。もともとそんな意図ではなかったらしいけど、リアルな男子中学生の焦燥感をセンシティブに表現してしまった。

山下敦弘はそもそも大阪芸大中島貞夫の教え子だったので、ヤクザといえば、中島貞夫が描いたあれやこれやが当然のこと脳裏をよぎるわけだけど、わかったうえで全部捨象して、原作漫画どおりに(?)スカスカのヤクザ像を描いて見せる。でも綾野剛が演じるから妙な色気が漏れてくるわけで、当然BL風味になる。否応なくね。

おそらく、映画の作者としてはヤクザの存在を、民俗学的な辺縁の民、マレビトとか妖怪とか鬼とか、そういった種類の、日常世界とあの世との境目に棲む、そして常に滅びの運命を纏った存在として、象徴的な意味合いで描こうとしているのだろう。だから本作のヤクザを鬼に置き換えると、そのまま昔話とか童話になるはず(良い方に、穿ち過ぎ?)。

■たとえばこんなおとぎ話があってもおかしくない。。。

むかしむかし、あるところに歌の好きな農家の少年がおりました。いつもいい声で歌いながら田畑を耕していたところ、ある日、山から鬼が降りてきて、こう言いました。「お前、歌が上手いな。ずっと山で聞いていたんだ。実はこんど俺たち鬼の仲間で歌合戦があるんだが、歌は苦手で困っていたんだ。お前、俺に歌を教えてくれないか?」村では山に住む鬼とは関わるなと言われているし、怖い顔の鬼なので、はじめ少年は嫌でしたが、付き合ってみると案外気のいい鬼で、まだ若くて未熟な自分だけど歌の師匠として扱ってくれるので、すっかり嬉しくなってきました。里におりてくる気の荒いはぐれ鬼からは守ってくれるし、農作業も手伝ってくれるし、なにしろ長く生きているので、山のことも里のこともいろんな出来事や知恵を知っていて話して聞かせてくれると、少年は自分の知っている村や田畑や野山はほんのわずかで、世の中には知らない世界が沢山あることを知るのでした。そして鬼と人は外見の違いだけで、心の中はあまり変わらないのではないかとすら感じるのでした。(中略)
ところが、藩の政策で海辺の埋め立て工事が始まると、村からも農民たちが労役に駆り出されるし、山から大量の土砂や木材を切り出すようになり、いつしかあの気のいい鬼たちの姿をみることはなくなりました。今では村人たちも、鬼なんて最初からいなかったんだよという者もいます。でも少年だけは、彼らが確かにそこにいて、楽しげに歌ったり踊ったりしていた光景を一生忘れまいと思いました。鬼たちを見なくなったことは少し寂しいけど、自分の子どもや孫たちに、あの鬼たちの愉快な姿をどんなふうに話して聞かせようかと思うと、妙にわくわくしてくるのでした。おしまい。
「日本の民話:鬼と歌った男」より抜粋

■秀逸なのは脇役の布陣で、綾野剛のあかんたれな親父が『1秒先の彼』に続いて加藤雅也(なんか最近、毎週見てる気がする)で、あとはおばさん勢の顔ぶれに妙味がある。少年の母親が坂井真紀だったことには最後まで気づかなかった。どこに出てたかなあ?と素朴に感じていたのだ!綾野剛のオカンがヒコロヒーという芸人で、これも素材の面白みを生かしたいい配役。顔つき一発勝負という感じだけど、それでいいのだ!配役で演出の9割は決まると市川崑も言っていた。あ、そうそう合唱部の副顧問のももちゃん先生をリアルに演じる芳根京子というひと、初めて認識したけど、良い個性だし、感心した。しかもこれ映画オリジナルのキャラらしい。ここは大成功要素だった。

■正直なところ、わざわざ野木亜紀子が書くほどの企画じゃなくて、もっと若手でもいいと思うけど、結果的に悪くない青春映画になった。ヤクザがリアルじゃないから、リアルに胸に刺さる青春映画にはならなかったけど、十分にウェルメイドな映画。さいきんの山下敦弘はそんな路線を狙っているのだな。『1秒先の彼』も傑作とか佳作とかではないけど、ウェルメイドな小品だった。


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この歌がいわば主題歌なんだけど、とても良いのだ。

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混ぜるな危険!「火まつり」+青春映画の化学反応が大失敗した『溺れるナイフ』

基本情報

溺れるナイフ ★★
2016 ヴィスタサイズ 111分 @アマプラ
原作:ジョージ朝倉 脚本:井土紀州、山戸結希 撮影:柴主高秀 照明:宮西孝明 美術:三ツ松けいこ 音楽:坂本秀一 監督:山戸結希

感想

■少女漫画の映画化だけど、なぜか中上健次のエッセンスが混入し、最終的に事故に至った残念映画。最終幕まではかなりいい出来なので、これは傑作かと思われたが、最後の20分くらいでぶち壊し。でもそれらの謎要素は原作漫画由来らしく、決して映画が変な事を考えたわけではないようだ。中上健次の「火まつり」が下敷きになる(なぜ?)のも原作からのものだ。

■お話の着想や展開だけみると明らかにロマンポルノでもあり、似たような構成の映画があったはずだ。元少女タレント(小松菜奈)が火まつりの夜に暴行未遂事件に遭遇し、それを救えなかった恋人(菅田将暉)と間に大きなシコリが残る。それがどう解消されるのか?というドラマになるけど、演出は明らかに相米慎二を意識しているし、主演の二人も好演するので、上出来なシーンがいくつもある。

■一番問題なのはラストの火まつりを繰り返す趣向で、これは原作を離れてオリジナルな展開を用意すべきだった。実際、こういう展開はロマンポルノではいくつかあったと思うが、さすがに苦しい。同じ変質者が火まつりの夜に再び?この変質者がそれなりに描かれるならそれもありだろうが、完全にご都合主義の描き方では、ドラマにならない。同じ村に住む因縁のある男とかであれば、まだ収まりがつくけど。

■しかもそれを小松菜奈の夢かと思わせる混乱した編集も単純に不細工。序盤から編集はかなり独特で、普通のつなぎ方をしていないのだけど、これは明確な失敗。しかも、その後小松菜奈が女優として大成功して。。。みたいな展開は完全に噴飯もの。脚本開発時点できっとなにかあったに違いないと思う。井土紀州が最初からこんなくだりを書くとは思えないし、スタッフやキャストからこれどうなってるの?と突っ込まれるはず。

■熊野の土俗と精神世界を絡めた趣向は悪くないけど、最後の菅田将暉火まつりの舞いなども、撮影、編集ともに浅薄すぎて涙が出る。小松菜奈菅田将暉も非常に良かっただけに、ほんとに勿体ない。技術スタッフは柴主&宮西のベテランコンビなんだけど、監督の狙いと必ずしも合っていない気はする。もっと若手で良かったのでは?

■制服の小松菜奈が走るだけで映画になってしまうのは、本人の演技云々を超えて天賦の才だし、金髪でガリガリ菅田将暉は素晴らしい。半分は現世、半分は神の世界に属する神と人間の間の子として描かれるけど、菅田将暉の演技と体躯でそれをちゃんと感じさせる。あとは監督の理解が追いついていないのだ。青春映画としてのニュアンス表現は非常にうまいのに、肝心の土着の精神性とドラマ構築が理解できていない。それは素人が観ても、そう感じる。いっそのこと、田舎怖いの土俗ホラーに換骨奪胎すれば良かったのだ。その方がずっとスッキリすると思う。


参考

小松菜奈は、なかなかの逸材だと思う。『恋は雨上がりのように』はホントに良かったぞ。
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菅田将暉はもちろん逸材だし、いい映画に出てる。『アルキメデスの大戦』はやめとけばよかったのに。(映画は良かったけど)
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イーストウッドみたいな映画だね!といったらちょっと褒めすぎだけど…大根仁の『SCOOP!』

基本情報

SCOOP! ★★★
2016 スコープサイズ 120分 @DVD
原作:原田眞人『盗写 1/250秒』 脚本:大根仁 撮影:小林元 照明:堀直之 美術:平井亘 音楽:川辺ヒロシ VFX:菅原悦史 監督:大根仁

感想

■中年パパラッチ(福山雅治)の助手として期待の新人記者(二階堂ふみ)が補助につくと、徐々にスクープ撮影の醍醐味とともに、師匠の男っぷりにやられてゆく。でも男にはいかにもやばそうな情報提供者の男(リリー・フランキー)がつきまとい。。。

■というお話なんですね。もっと社会派映画かと思ったら、実はイーストウッドの『ルーキー』みたいな映画。新人記者の二階堂ふみの成長を描くお話なのだ。原作は原田眞人のテレフィーチャーで、当時観たと思っていたけど、実は観ていなかった。話題にはなっていたはずだけど、見逃していたらしい。多分黒木和雄が撮った『十万分の一の偶然』と勘違いしていた。でもこちらも傑作だったはず。岸田森が出てたから観たんだけど。

■そもそもなんで今さらこんな映画を思い出したかといえば、『エルピス』を一気見してしまったから。あれは大根仁がメイン監督だったのだ。でも、ドラマが語られるときに渡辺あやと女性Pの名前しか語られないのがちょっと気の毒。演出も良かったからだ。で、そういえば以前にこんな映画を撮っていたよなあと思い出した次第。なので、もっと社会派映画かと思ったのだ。でも全般的にみて、大根仁の仕事としても『エルピス』のほうが良かったよね!ちなみに、大根仁のイメージって、『ライオン丸G』(かなり良かった)とか『リバースエッジ 大川端探偵社』(これも良かった)とかの深夜ドラマの人ですね。まあ、NHK大河で『いだてん』も撮ってるけど、やはり深夜ドラマで映える人。その個性が『エルピス』にはマッチしたのだろう。

■そして、福山雅治の言動がそのまま『エルピス』の岡部たかしなのは意図せぬ偶然だろうか。渡辺あやは本作を見ずに脚本を書いていると思うけど、どちらも昭和バブル世代の残照を描いている。福山とリリーの男同士のいちゃいちゃ感をホモソーシャルに描くのも見どころで、明らかに精神的には男女関係よりも濃厚な経験を共有しているソウルメイト。その哀しい顛末がもっと胸に迫れば映画的に成功なのだが、クライマックスはさすがにちょっと苦しい。そもそも、連続殺人犯のスクープ撮影の場面の警察も没個性的であまりリアルではないし、クライマックスの警察の対応も同様。いろんな場面でリアル仕様ではない。減点材料としては、そのあたりの甘さがどうしても気になる。

■でも主演の福山雅治のゲスおやじぶりは痛快だし、リリー・フランキーの得体のしれない風情も良い味。オリジナルの原田眞人版では、なんと内藤陳(!)が演じたらしい。趣深いね。。。街なかで狂笑しながら拳銃ぶっ放す演技なんて、いまどき観られるとは思わなかったけど、というかリアルではないと思うけど、大根仁はあえて「狂鬼人間」の岸田森を引用したのではないか。(しらんけど)


若者は常に時代の「炭鉱のカナリア」だ!『ワンダーウォール 劇場版』

基本情報

ワンダーウォール  ★★★☆
2020 ヴィスタサイズ 68分 @DVD
作:渡部あや 撮影:松宮拓 照明:宮西孝明 美術・山内浩幹 音楽:岩崎太整 監督:前田悠希

おはなし

■僕らの大好きな近衛寮が取り潰しになる!そんな一方的な通知を受けて、寮生は学生部に抗議にでかけたけど、肝心の三船(中崎敏)は窓口のキレイなお姉さん(成海璃子)に何も言えないし、志村(岡山天音)はお姉さんの胸元に見とれているばかり。キューピー(須藤蓮)、お前らそれで本気で闘う気があるのかよ!(byマサラ)

感想

NHKで放映されて、いち早くブログで紹介した『ワンダーウォール』の劇場版で、少しカットが追加されたけど、大きく変わってはいない。改めて見直すと、やはり終盤が弱くて、やはり90分はほしいところ。前田悠希の演出も、必ずしも的確ではないブレが見えて、十分に焦点を結ばないシーンがある。特に岡山天音が演じる志村というキャラクターは、脚本家の取材に基づいたイメージとしては寮生のなかで重鎮として一目置かれる要となる人物らしいけど、そうは描かれていない。対する三船も十分に人格が描かれるわけではなく、見た目で補っているわけだけど。

■そうした弱点も明らかになるのだが、映画版では近衛寮のその後が字幕で追加される。というか、これ単に京大吉田寮の辿った時系列を整理しただけで、もはやフィクションである建前をかなぐり捨てている。2019年、大学は寮生たちに対する民事訴訟を提起する。当該大学が学生を訴えるのは、創設以来かつて例のないことだった(らしい)。

■ちなみに、ドラマは2017年3月に副学長(学生部長)が辞任して潮目が変わったと描くけど、史実では2015年の夏から秋のことだった。山極総長、杉万副学長時代のことだ。もともと寮生には従前の対応通り一定の理解を示していた杉万副学長は急に態度を硬化し、寮生から強烈な反発をくらい、その後、持病の悪化を原因として突如辞任する。後任の川添副学長は強硬路線を正式に継承することになる。2015年に学内で何があったのか。ちょうど第3次安倍内閣のタイミングだ。ちなみに杉万先生がまだ助手だった時代に社会心理学を教わっている身なので、ホントに心中お察ししますけどね。。。

■なお、自分自身のツイッターでは以下の通り記録している。吉田寮への対応が強硬路線に転じたのち、大学はさらに大きな方針転換を行っている。(具体的に何があったかは、ここでは言えません!)

2017年11月15日(水)1 tweetsource
11月15日@mari_koji
まり☆こうじ@mari_koji

既に戦後は終わり、時代は戦前へと移行したことを、ニュースではなく、身近な出来事で実感し、戦慄した。次の戦争は近い。

タモリが「新しい戦前」といって話題になったのは2022年のことだけど、それはずっと前から始まっていた。そのことを明確に示していたのは、常に社会の中で「炭鉱のカナリア」である学生たちの行動だ。少なくとも6年前にはすでに潮目は変わっていた。それにしても、そのことをたまたま察知して、普遍的な問題を含んだドラマとして社会に問う渡辺あやの尖鋭ぶりは際立っている。というか、そんな役割を誰かに負わされているとしか思えない。このドラマ、映画もきっと何十年かして再発見されるに違いないと、今から予言しておくよ。


日本の近現代史の闇に迫る?わけないけど、意外な社会派ホラー『残穢 住んではいけない部屋』

基本情報

残穢 住んではいけない部屋 ★★★
2016 ヴィスタサイズ 107分 @アマプラ
原作:小野不由美 脚本:鈴木謙一 撮影:沖村志宏 照明:岡田佳樹 美術:丸尾知行 音楽:安川午朗 VFXプロデューサー:赤羽智史 監督:中村義洋

感想

■借りたマンションの和室で変な音がするので怪奇実話の作家に相談したら、どうもマンション全体に霊障があるらしく、土地の歴史を代々辿っていくと。。。

■怪奇実話系の幽霊屋敷物かとおもいきや、お話はどんどん過去に遡り、その土地が穢れた出来事を次々と明らかにするから、実はかなり気宇壮大な怪奇ドラマ。まあ、原作がそうなんだけど、どこまで風呂敷を広げるのかと途中からは怖さよりも、そちらでワクワクしてくる。この部分はこの映画のユニークなところで、しかも監督の意向で登場人物は実に淡々と演じる。演技は淡々とナチュラルなのに、禍々しい出来事や由来が積み重なることで、惻々と恐怖が湧き上がるというのは、うまいやり方で感心した。竹内結子なんて完全に狂言回しだし、橋本愛だって演技の見せ場はないのだが、かなりいい味を出してるのは、監督の力量だと思う。むしろ、脇役で登場する佐々木蔵之介なんかのほうが怪奇映画のステロタイプで、却って浮いて見える。

■最終的に北九州の炭鉱王と過酷な炭鉱労働に行き着くというのは、なかなか微妙なところで、そんなことやるならもっと真面目に彫り込まないといけないし、逆にそれができないなら、あっさりと捨象する方がいいのではないか、と感じる。明らかに麻生財閥(!)を意識させる社会派路線でもあるし、朝鮮人労働者や被差別民の問題にも触れることになるはず。原作者の小野不由美は当然わかっているはずだが、社会派小説ではないので、割愛しているだろう。(ひょっとして触れているかな?だとすれば偉いけど)

■そもそも「穢れ」の概念の扱い自体も非常にデリケートな問題で、必ず差別問題を孕む。相当な覚悟なしに、安易に土地が穢れているなどということは問題を生む。そもそも「穢れ」という概念は原始民俗、神道系のもので、少なくとも鎌倉新仏教以降、仏教理論ではそんなの迷信にすぎない、気の所為として一蹴しているはず。映画の中でいかにもご都合主義的になんでもぺらぺら説明してしまう僧侶(上田耕一!)が登場するけど、よくこの内容で寺をロケに貸し出したなあと、逆に感心する次第だ。

■穢れたと人間が感じるから穢れが生じるのであって(お話ではもちろんそうじゃなくて客観的に存在すると描くわけだが)、たぶん映画の言いたいことは例えば「呪怨」という歴史的な経緯を曰く因縁を持たない全く新しい言葉で表現した方がすっきりするのではないか。(それじゃ違う映画になっちゃうけど)「穢れ」なんて古臭い言い方をすると、却っていろんな問題が不必要に気になって、純粋に楽しめなくなってしまうのだ。

■端的に言って怪異シーンはちっとも怖くないし、表現に新味もないのだが、淡々と忌まわしい事件を積み上げるだけで、心理的ホラーになることを示した力作ですよ。例えば、昔なら野村芳太郎あたりが撮っても良かったよね。


参考

北九州の炭鉱王が冤罪事件に絡んでいるという妄想が炸裂する、最新傑作。
maricozy.hatenablog.jp
炭鉱映画はいっぱいあります。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
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炭鉱王の家にまつわる怪談といえば幻の東宝特撮『火焔人間』がありますね。案外今からでも仕切り直して、いけるんじゃないの?
maricozy.hatenablog.jp

バブルは崩壊し、1999年にレイバーは暴走する!今となってはすべて”昔話”だけどな!『機動警察パトレイバー the Movie』

基本情報

機動警察パトレイバー the Movie ★★★★
1989 ヴィスタサイズ 99分 @DVD
原作:ヘッドギア 原案:ゆうきまさみ 脚本:伊藤和典 作画:黄瀬和哉 音楽:川井憲次 監督:押井守

感想

■同じ映画は何度も観ない主義(?)だけど、なんやかんやで本作は一番多く見ているかもしれない。どんだけ好きやねん?と自分に突っ込みたくなる。

■とにかく脚本が良くて、情報量の多さも特徴だけど、ちゃんと終始サスペンスが効いているところが貴重。しかも押井守はアクション主義ではないので、約100分の映画なのにクライマックスの方舟殴り込みなんて15分くらいしかないのだ。1時間かかって、やっとシバシゲオの自宅で、風洞効果と共鳴現象による暴走のメカニズムが解明されるので、ほんとにロボットアクションは少なめ。

■でもレギュラーキャラクターの説明は省略できるので、いきなり事件から入って、事件の究明だけに集中できる。なので、100分程度のコンパクトな映画でもあり、観始めると止まらないのだ。

■今回改めて認識して驚いたのは、バブル崩壊前の映画だったこと。つまりバブル全盛期に作られて公開された。バブルに浮かれながら、その危うさをなんとなく感じ始めた時期だったろうか?いや、まだまだみんな浮かれて踊っていた時期だ。だから、ホバエイイチの原風景は1999年のそれではなく、1988年の記録なのだ。スクラップアンドビルドを繰り返しながら永遠に増殖を重ねてゆく運命を課された虚栄の都・東京。だが、生粋の東京人押井守はそこに失われてゆく東京に対する郷愁を重ねる。非東京人であるわれわれにとっては、東京なんてそもそも最初からそんな都市であったはずなのに。

■今の技術で作れば方舟の崩壊はもっと大掛かりで精細な大スペクタクルになるはずだが、そこはさすがに当時の技術では厳しい。後藤隊長がホバエイイチについて語るうちに、冒頭のホバと全く同じ顔になっている場面に、このたびやっと気づきました。

■あえて言えば、劇中の古いCGショットをもう少し綺麗にリメイクして差し替えても良い気はする。ほんとはやってはいけないことなんだけど、他の手描きアニメ部分が今見ても魅力的なので、明らかに古臭く見えるから、これはギリギリあり得るのではないか。ダメかな?


信心のない人生は偽物の人生だ!?社会派母もの映画の古典『悲しみは空の彼方に』

基本情報

悲しみは空の彼方に ★★★
1959 ヴィスタサイズ 125分 @NHKBS

感想

■1947年に出会った貧しい二組の母娘は一緒に住み始めるが、白人の母ローラは野心家の女優でNYで頭角を表し、黒人の母親アニーは、一見白人に見える娘から敬遠されてゆく・・・

ダグラス・サークの代表作の一本で、とにかくその筋では有名なメロドラマ。とういか、典型的な母もの映画ですね。特に、黒人の母親から生まれたけど、外見上は白人にしか見えない娘と母親の軋轢が描かれるのがユニークだし、社会派映画の一面を持つ。というか、むしろ社会派映画として専ら生き延びているのかも。

■何十年か前に、確かスペースベンゲットで観ていると思うけど、あまり記憶になくて、冒頭のビーチの場面とラストの葬儀の場面くらいしか印象にない。なぜかというと、テーマが鮮明に出ていないからだろう。

■結局何がいいたいかといえば、二人の母親の姿を対比して、舞台女優として野心に燃えるローラの「偽物の人生」に対して、子どもの幸せだけを願って平凡に生きて死んでいったけど常に信心深かったアニーの人生が本物の人生であったということなのだろう。自分の葬儀だけは自分の思い通りに言いおいて死んでいったアニーが、教会を拠点として絆を結んできた地元の仲間たちに盛大に送られる、その人生こそが本当の人生だったということだ。なぜなら、映画を観に来る観客のほとんどが、アニーのような人生を送るからだ。だからローラがそのことに気づいて自省するという描写やセリフがあればわかりやすいのに、なぜかそんな描写はない。だから単なる母もの映画に見えてしまうのだ。また、黒人の血を引きながらそれを隠して白人として生ようとする娘の人生も「偽物の人生」だと断定する。アニーの娘サラジェーンもまたいかがわしい芸能の世界に活路を求める、いや逃避するのだが。

■ローラはハリウッドで舞台俳優となるが、劇作家の夫と死別後、NYで起死回生を図るが、幸い舞台女優として成功し、イタリア映画に招かれる。でもその一方で、10年来の恋人スティーブ(ジョン・ギャビン)とはついに結婚できない。それが虚飾の人生を追い求めた代償だからだ。もともと原作小説では女優ではなかったのに、敢えて芸能界の虚妄を描こうとする脚本陣の自虐。

■当然ながら配役はしっかりしていて、ローラの娘もアニーの娘も二人一役だけど子役のそっくりぶりもナチュラルだし、サンドラ・ディーとスーザン・コーナーも力演する。特にファニタ・ムーアとスーザン・コーナーの母娘役は儲け役だよなあ。最後にゴスペルを披露するのはマヘリア・ジャクソンという有名な歌手で、「ゴスペルの女王」と呼ばれる歴史的な大物だそう。


参考

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母もの映画はお涙頂戴の通俗映画として軽蔑されたけど、なかには社会派映画が混じっていて、八住利雄が書いた『嵐の中の母』なんてのもあったけど、未見。
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押井守と辻本貴則が深夜の密談?あの頃、ボクらは痛かった『花束みたいな恋をした』

基本情報

花束みたいな恋をした ★★★☆
2021 ヴィスタサイズ 124分 @アマプラ
脚本:坂元裕二 撮影:鎌苅洋一 照明:秋山恵二郎 美術:杉本亮 音楽:大友良英 監督:土井裕泰

感想

■2015年に偶然であったサブカル好きの大学生の麦(菅田将暉)と絹(有村架純)が勢いで同棲を始めるけど、当然ながら卒業すると生活が苦しいので働き始めると、麦は世間ずれして絹の思いとすれ違い始める。。。2020年の今から振り返る、若すぎた二人の痛いけどキラキラした同棲時代(遠い目)。。。

■という、非常にシンプルなストーリーラインの青春映画&恋愛映画で、誰も難病にならないし、主役も死なないという、いまどき珍しい真っ当な青春映画で、なんだかとてもすがすがしいし、心がヒリヒリ痛い映画。公開当時ヒットしたし、評価も高かったけど、確かに映画館で観たかったよなあ。後半のすれ違いの場面よりも、むしろ前半の二人のサブカルな結びつきの顛末がとにかく魅力的でキラキラしているので、そこだけずっとエンドレスで観ていたい気がする。もちろん『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』が下敷きになっているけど、むしろこっちのほうが良いなあ。

■二人を結びつける「神」が押井守で、本人が出演しているので大笑いだけど、その話し相手が辻本貴則というのも、なんとも珍味。それ誰が嬉しいの?そして、イアホンの左右を二人で聴いていると、右チャンネルと左チャンネルは別の音楽が入ってるんだぞと、突然説教を始めるめんどくさい親父(音楽職人?)が岡部たかしというのも傑作。しかも冒頭のトリッキーなエピソードにつながる重要場面だからね。おまけに、すれ違い始めた二人が出かけるはずが、絹しか行けなかった舞台が劇団ままごとの代表作『わたしの星』というのも実にマニアックで、要はそうしたサブカル要素のどこかが琴線に響くように作ってあるわけ。しかも、二人の関係が所詮は「ままごと」であることの隠喩になっている。でも、ままごとゆえに甘さや夢があるわけで、それは青春の記念碑なのだ。まあ、リア充じゃない方のサブカルオタクの皆さんには、縁のない世界。でも、それゆえに響く夢物語でもあって、そこが受けたのかも。

■今どきの同棲生活はお金はないはずなのに妙におしゃれで、これが70年代ならちゃぶ台が置いてあったりする安アパートだろうし、女優は濡れ場で堂々とおっぱいを出すだろう。このあたりは、ロートルの大物脚本家(誰?)などが待ってましたとばかりに突っ込むところだろうけど、まあ実際そこはもっと映画的には突っ込んでほしいところ。有村架純は好演だけどね。

■製作プロダクションはフィルムメイカーズ、リトルモアで、東宝系の製作体制かと思いきや、どうも違ったようだ。でも雰囲気的には東宝の青春映画の系譜に近いと感じたなあ。そこが妙味なのだ。



参考

映画に登場する『わたしの星』は、まさにこの舞台の再演時の様子を描写していたのだ!NHKで放映されたのは初演時の模様。
maricozy.hatenablog.jp
土井監督はこれも悪くなかった。玄人筋のおじいさん世代にはいろいろ突っ込まれるけどね。
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こんな青春映画もありました。『恋は雨上がりのように』も良かったよなあ。続編ないけど。
maricozy.hatenablog.jp
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辻本貴則は最近ウルトラなどの特撮ドラマで大活躍です。ブレーザーはちょっと大人しかったけど。
maricozy.hatenablog.jp
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テレビドラマ『カルテット』は軽妙で良いですよ。かなり良い。
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1970年、公害と戦争の渦中に敢えて「人類の進歩と調和」を標榜する!その系譜はミャクミャクがちゃんと受け継げよ!『公式長編記念映画 日本万国博』

基本情報

日本万国博覧会 ★☆
1971 スコープサイズ 173分 @DVD
総プロデューサー:田口助太郎 脚本構成:田口助太郎、伊勢長之助、谷口千吉 撮影監督:植松永吉 編集:伊勢長之助 照明:山根秀一 音楽:間宮芳生 総監督:谷口千吉

感想

■1970年の前半に大阪千里丘で開催された日本万国博を記録した公式記録映画で、なにしろ公式記録なので、尖ったことはぜきず、どこまでも平板な記録映像の連続で、途中で休憩の入る3時間映画だけど、全部観るのにさすがに数日かかった。ちょっとした苦行でした。でも、劇場公開時は大ヒットしたらしいから、みんな万博行きたかったんですよ。

■見ごたえがあるのはオープニングとエンディングの大スケールの動員のあたりで、中盤の各パビリオンの紹介はひたすら退屈。だいたい、各国の踊りや祭りが紹介されて、当時はまだ物珍しさがあったのかなあ?あ、そうそうあとはファッションですね。各国のホステス(!)の皆さんのファッションは今見ると極めて未来的で洗練されています。50年前ですけどね。

■さらに今見ても凄いのは各パビリオンの建築物のデザイン、造形の凄さ、ですね。まさに未来志向の、デザイン優先の実験的な建物。全く実用的ではなく、維持はできないけど、見た目のインパクト重視のおもしろ建築。『ガメラ対大魔獣ジャイガー』ではついに万博会場に大怪獣が殴り込み、と思いきや予算の制約もありあまり踏み込めないし、大御所ゴジラだって東宝が一番シビアな時期なので、大阪上陸どころか映画製作すら実現せず、むしろ公害問題にターゲットを絞り込んで一撃必殺の殴り込みをかけた。なにしろ日本映画界が一番困難な時期なので、万博の異様な盛り上がりに比べて、映画界の反応は冷淡、とうかほぼ無視ですね。真正面から取り上げるだけの、体力がなかった。山田洋次スタインベックの『怒りの葡萄』を翻案した『家族』で万博の様子を点描したけど、まあ傍観者という感じですよ。世間は(特に関西では?)万博に盛り上がっているけど、そんなのいっときの風俗に過ぎないですよ、という姿勢。もっと批評的な描き方があっても良い気がしたけどね。

■さらに驚くのは「人類の進歩と調和」を掲げながら、ちゃんと公害の問題や、戦争の問題をパビリオンに織り込んでいること。なにしろ1970年当時、まだベトナム戦争の真っ最中だし、冷戦の真っ只中。当然無視はできない。すでに公害の存在も大問題となっていて、人類の未来に対する危機感も台頭していた。なにしろ、『ゴジラ対ヘドラ』は公開こそ1971年7月だけど、撮影は1971年の冬だったのだから、この映画の公開前なのだ。

■しかしというか当然ながら、当時の世相が万博をどう捉えたかは描かれない。学生運動もすでに衰退期に入っているけど、当然激しく反対していたはずだし、当時のテレビはどう伝えていただろうか。それにラジオの深夜放送などは、何を伝えていていただろうか。さすがにそのあたりのリアルを知らない世代なので、むしろそっちに興味は向かう。

■そしてあれから50年以上経って、2025年に大阪・関西万博が再びやってくる。ミャクミャク様は「いのち輝く未来世界のデザイン」のシンボルらしいけど、なんだか当たり障りのない茫漠としたテーマだなあ。「人類の進歩と調和」という格調高く巨視的で硬派な問題意識と比べると、ずいぶん無難な今風なテーマ設定だよね。ゆるふわだなあ。。。そして、今度こそ大阪万博を大怪獣が蹂躙する映画を観たいので、そこんとこよろしくお願いします!


参考

この映画はもちろん観てますが、古すぎて記事がないのだ!

野坂昭如らしい諧謔精神で批判的に万博を捉えると「葬博」になる。そんな発想がいまの必要なんだけど。
maricozy.hatenablog.jp
ジョン・フォードの『怒りの葡萄』て、いい映画でしたね。もちろん原作小説も良いんだけど。山田洋次は『家族』で翻案した。いい度胸だよね。
maricozy.hatenablog.jp

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