お待たせしました!ついに電子書籍『超特撮 vol.2』刊行!

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ついに『超特撮:日本特撮映像発達史』シリーズ第二巻の刊行です!

■お待たせしました!『超特撮 vol.2』が、やっと出来上がりました。本当なら昨年中に発行する予定だったのですが、昭和男子ならではの家庭の事情がいろいろと錯綜してなかなかまとまった時間がとれませんでした。昭和男子の辛いところですね。。。
■しかも、そうこうしているうちに、突然洋泉社から『平成大特撮』が出版されたりするので大いに焦りましたが、本書では「昭和」の終わりから「平成」にかけての時期を扱っているので、内容的にほとんど重複はないのでした。

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シナリオ『傷だらけの山河』を解題する

幻の三時間映画

山本薩夫の『傷だらけの山河』はもともと吉村公三郎が監督する予定だったことは有名な逸話で、その前提で新藤兼人が脚本を書いていたが、吉村が急病で山本薩夫にお鉢が回ってきたときに、脚本の改訂を行っている。大映のプロデューサーに断って改定したのだが、プロデューサーがちゃんと新藤兼人に説明しなかったため、拗れたと言われている。改訂するなら言ってくれれば自分で直すのに、勝手に直すのはルール違反だということだろう。
■プロデューサーの伊藤武郎によれば「後半を書き直して、三分の二増やして、アタマのほうを少し削った」そうだが、実際に元々の脚本に対してどんな改訂がなさされたのか。キネマ旬報昭和39年正月特別号に初期シナリオが掲載されている。前篇、後篇と記載されていて、どうもインターミッションが入る三時間映画を想定していたのではないかと思われ、シーン数は241にのぼる。

光子という女

■最も大きな改訂はやはり光子(若尾文子)の登場する部分で、完成した映画では有馬勝平(山村聡)と別れてから秋彦(高橋幸治)の精神病院の場面まで出てこないので、中途半端な退場になるのが、かねてから不思議だったのだが、初期シナリオでは、吉春(川崎敬三)が欧州から帰朝して光子(若尾文子)とよりを戻して暮らしている。この二人の不思議な関係を描写する場面がすべてカットされているのだ。有馬勝平の勲章受章式典にも二人が現れる。自分を金で有馬に売った男と、ある意味、ドライな割り切った関係を修復して生きている。打算的に割り切って生きることに決めた光子(若尾文子)に、そのうえで

226 酒井夫妻のアパート(翌朝)
(略)
光子「純粋だったのは秋彦さん一人ね、有馬勝平に正面から挑戦したのはこの人だけだわ」

といわせることでテーマを明確にしているのだ。既に秋彦(高橋幸治)に対する想いは吹っ切れ、彼の放火事件をこのように論評する光子は、完成した映画よりずっとドライでユニークな人間像となっている。新藤兼人の狙いもそこにあったのだが、完成した映画では中途半端に放擲されている。さらに、妾の子平次郎(伊藤孝雄)も

227 かね子の家
(略)
平次郎「しかしこれは、勇敢ではあるが玉砕主義だな、正面からでは駄目だ。側面からじわじわやらんと、有馬勝平には勝てないんだ」
かね子「だけどお前、なんだか胸がすくじゃないの」

と論評することで、秋彦(高橋幸治)が有馬勝平攻撃の先鋭であることが強調される構成になっている。完成した映画では光子(若尾文子)は秋彦(高橋幸治)の純粋さに心を残している描き方になっていて、精神病院で母と息子の関係を覗き見るだけという、やはり中途半端な描き方になっている。平次郎(伊藤孝雄)の場面は、誤認逮捕で警察に取り調べを受ける場面に変更されていて、エピソードの「結」としては、実際のところ弱い。
■おそらく初期シナリオを読んでいた若尾文子は改訂されたシナリオを読んで少なからず落胆したことだろう。当初のシナリオから比べて光子の比重が大幅に減ってしまったからだ。

その他の女たち

■そして印象が異なるのは、有馬勝平の妻・藤子の描き方で、初期シナリオではハッキリと勝平に反旗を翻している。完成した映画では同じ台詞を言っていても、村瀬幸子が演じたせいもあるかもしれないが中途半端な印象になっている。秋彦(高橋幸治)が無言で精神病院の病室から紙片を落とす場面は、元のシナリオには無く、改訂によって生まれた場面だが、絶望的な断絶をよく表現して、ここは成功している場面だ。
■さらに、完成版の映画では最後まで弱い女、妾の民子(坪内美詠子)が初期シナリオではちゃんと勝平に反抗する場面がある。しかも、有馬宅に乗り込んで、手切れ金の500万円を返そうとする。シナリオのト書きでは「民子、泣いている。その姿は哀れさを通り越して無知」と表現される女だ。このように、初期シナリオでは、勝平の女たちがすべて勝平に反抗を始めるように構想されていて、それぞれの「結」のエピソードが存在する。

すべては有馬勝平のために

■そしてボリュームは少ないが、ラストも微妙な改変がなされている。映画では取ってつけたような踏切事故が描かれるが、もともとは存在しない。滝山線は無事開通し、再開する学校建設工事に向かう場面で終わっている。このあたりは新藤兼人流のあっさりした幕切れに物足りなさを感じて付け足したものだろうが、成功していない。
■これらの改訂で何が起こったかといえば、光子(若尾文子)と吉春(川崎敬三)の場面をごっそり切ることで上映時間が短縮されている。すべてを描けば、確かに3時間映画になっただろう。その意味では、この改訂作業は長すぎるので縮めてほしいという会社側の意向だった可能性がある。だから脚本家に相談せず、監督側でやってくれて構わないという回答になったのではないか。初期シナリオでは勝平とその女たちの戦いが主眼となっており、それを敬遠した山本薩夫が女たちのエピソードの「結」の部分を省くことで、結果として有馬勝平の事業欲という業病を描いた部分の比重が増えることを狙ったものと思われる。でも、初期シナリオでは周囲の人間たちの反抗も不幸も柳に風で、その事業欲を沸々とたぎらせる場面で終わっている。新藤兼人は次のようにラストシーンを書いていたのだ。

241 野の道
クライスラーが風をきって走る。
勝平の顔から、金色の鋏でテープをきったときの和やかさは消えて、再び、闘志満々とした面構えに変わり、眼は強く、前方をみている。

■だが、山本薩夫は有馬勝平を馬力のある野心的な実業家として野放しにすることは倫理的にできないと考えたのだろう。だから無理やり、前途多難なイメージを挿入して、これまでとそして今後のその被害を強調して映画を終わるのだが、十分な説得力を持ってはいない。ありきたりだが、文字通り鉄道用地開発で切り刻まれた野山や山河の情景をモンタージュして終われば良かったのではないだろうか。

秋彦というアンチテーゼ

■その終幕のアンバランスさは、初期シナリオに描かれた秋彦(高橋幸治)の人間像の捉え方によってもたらされたかもしれない。初期シナリオでは、繊細な神経の持ち主故に狂った青年だが、最後には狂気なりの強い信念を持つに至るという表現になっている。完成した映画では父親に完全に敗北し、病室に引きこもってしまうわけで、これはこれでヤマサツ先生の演出で悲劇が引き立って名場面を生んでいるが、新藤兼人の狙いはそうではなく、狂気の域に達することで父親への強烈な反抗心だけを拠り所に生きる、一種の強さを手に入れた青年として描出することだったのだ。

237 廊下
(略)
秋彦、視線をはずし、何か口のなかで呟きながら、部屋を歩いて廻る。
秋彦「・・・燃やすんだ・・・おやじは、学校をやる資格はない・・・なんべんでも燃やすんだ・・・」

■そして、滝山線の開通祝に向かう勝平と並行して秋彦が描かれることで、秋彦(高橋幸治)の呪いが勝平にべったりと昏くまとわりついている雰囲気を作ろうとしているのだ。秋彦(高橋幸治)を単なる狂人として幽閉させてしまった山本薩夫は脚本の読み込みが甘かったのではないかという気がしてくる脚本なのだ。
■こうして初期シナリオを読んでくると、さすがに新藤兼人の構成力で、完成した映画で謎だった人間関係のアンバランスな部分がちゃんと描きこんであり、それぞれに相応しい結末が用意された、かなり上出来なシナリオであることがわかる。特に、光子(若尾文子)と吉春(川崎敬三)のカップルのドライな腐れ縁や狂気の力で父親を呪詛する秋彦(高橋幸治)の描きこみは非常に興味深いが、確かに山本薩夫の興味を持つ方向性とは不整合だったかもしれない。
■でも、そそもそ大映は本気で三時間映画を作ろうという意志があったのだろうか。新藤兼人にどのようにオーダーしたのだろうか。疑問は尽きない。
maricozy.hatenablog.jp

【死ぬまでに観たいこの一本】『ヤングパワー・シリーズ 大学番外地』

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出典:https://www.kadokawa-pictures.jp/official/42509/
■70年安保に向かって68年ころにピークを迎える全共闘を中心とする学生運動については様々な評価がありますが、既成左翼への幻滅から新左翼が生まれ、いわゆるノンセクト・ラジカル全共闘としての運動の中心となり、学園紛争は激化、各地で機動隊と市街戦が戦われました。現在の香港の民主化デモのようなことが日本国内でも起こっていたわけですが、彼らが本気で目指したものは単なる民主化ではなく、「革命」なのでした。69年1月には、東大安田講堂で籠城戦が戦われ、学生たちの敗北に終わります。これが70年安保闘争における学生運動のわかりやすい天王山であって、弾圧され先鋭化した赤軍派らは完全に地下に潜って武装化を進め、69年11月には大菩薩峠事件で武装訓練中の赤軍派が大量検挙されます。
■といった当時の騒然とした社会情勢の中で、倒産寸前だった大映が何を思ったか打ち立てたヤングパワー・シリーズという映画がありました。といっても、その存在を知ったのはつい先日のこと。映画史的には全く未発掘の空白地帯ですね。察するに、ヤングパワー・シリーズじたいは、学生運動が全世界で燃え上がり、ヒッピーやサイケやフラワームーブメントなど、大人から見れば奇抜で奇妙な風俗が蔓延する昭和元禄の若者の新風俗を切り取った、若者向けの刺激的な青春映画として企画されたものでしょう。その第一作は『新宿番外地』(脚本:高橋二三、監督:帯盛迪彦)で、新宿を舞台に、サイケやアングラが織りなす当時の世相を残酷に切り取る青春残酷映画だったようです。
www.kadokawa-pictures.jp
惹句が奮ってますよ。こんな感じです。そういう企画意図だったわけです。

新宿―出口のない裸の街!
怒り、叫び、セックスし、フーテンし、ゲバる若者たち!
燃えたぎるヤングパワーの実態を描く――

■そして第二弾が目をつけたのが学園紛争。しかも、学生運動のバリスト中の大学構内で何が起こっているのかを描いた非常に珍しい一作です。確かに、増村の『偽大学生』などもあり、全く前例がないわけではないが、基本的にどの映画会社も敢えて企画しないタイプの素材ですね。映画会社の重役は思想的にも共感しないし、作者たちも既に松竹ヌーヴェルバーグの前衛たちはメジャーを退社して、ATGとかで前衛映画を撮っているので、普通のスタイルの劇映画は作らない。そんな中で、本来ならATGとか独立プロが作るような素材を堂々と劇映画にしてしまった大映は、いい意味でどうかしている。この時代に真正面から学生運動を劇映画として描いた、実は唯一無二の貴重な映画なのです。
■しかも脚本は須崎勝彌ですよ!東宝戦記映画でおなじみのあのおじさんですが、当時四十代半ばで働き盛り。しかも前作が大映の戦記大作『あゝ陸軍隼戦戦闘隊』というのも意味不明な感じを増幅します。どうしたんでしょうか。監督はテレビ映画しかみたことのない、個人的には未知の監督、帯盛迪彦です。
■さらに!さすがにこの時代は、メジャー五社ではほとんどカラー映画に切り替わっている時期だというのに、モノクロ映画!既に、特別な芸術的な意図を持った映画か、よっぽど低予算な作品しかモノクロでは撮影していないこの時期のことですから、明らかにこれ以上ないくらいに低予算の企画だったわけです。しかし、このモノクロ撮影に惹かれるじゃないですか。60年代後半にはモノクロ、ワイド撮影のフィルムや機材が完成の域に達しているので、ちゃんと撮ればかなり品質の高い映像が撮れるはずなのです。しかも、かなりドキュメンタルな撮影が行われたフシもあり、興味津々。
■肝心のお話は大江健三郎の原作で増村保造が監督した『偽大学生』を半分くらい踏襲している気がするけど、助監督の金子正義が原案を兼ねて、かなり本格的な青春映画になっているらしい。以下の梗概は当時のキネマ旬報の紹介記事そのままだけど、これを読むと結構本格的なニューシネマに思えますよね。特に悲劇的なラストがどのように演出されているのか是非、観てみたい。本当にこの梗概のとおりに展開してくれるなら、傑作間違いなしと思えてくるじゃありませんか!ポスターのビジュアルを見ると、どうもコメディ映画に見えるので困るのですが、あらすじを読むと完全にシリアスな青春映画なんですよね。しかも、モノクロだし。
movie.walkerplus.com
■主演の梓英子はさすがにあまり知らないので、本来ならもう少しこの時代のアンニュイなファッションが似合う女優が望ましいところですが、河原崎建三学生運動のリーダーを演じているのは興味深いですね。きっと持ち前の頼りなく不甲斐ない雰囲気で学生運動の空虚さを体現していることでしょう。大島渚の『儀式』の主人公満州男を演じるのはこの後のことです。創造社の小松方正はきっと無責任な旧体制の象徴である学長でしょうし、内藤武敏が教授役なのも納得の配役です。学長室でチョメチョメする罰当たりなシーンもあるらしいですよ。なにしろ、惹句がこんな感じですから、青春映画というよりも、エロと残酷の風俗映画として売りたかったわけですね。

ゲバ棒の中のフリーセックス!
バリケードの中の残酷なリンチ!
にえたぎるスチューデントパワーの実体をあばく!

■以上のように、こんな映画、日本映画の歴史において、ホントに他に類例がないのですよ。ああ、死ぬまでに一回、観ておきたい。
www.kadokawa-pictures.jp

参考

■こちらのレビューも何故か妙に好意的で熱いのです。みんな好きなのね。まあ、好きな人しかわざわざ観ようと思わないからね。
filmarks.com
maricozy.hatenablog.jp

キミが豚なら、ボクはウジ虫?今平による大群獣ネズラの試み?『豚と軍艦』

基本情報

豚と軍艦 ★★★☆
1961 スコープサイズ 108分 @DVD
企画:大塚和 脚本:山内久 撮影:姫田真佐久 照明:岩木保夫 美術:中村公彦 音楽:黛敏郎 監督:今村昌平

感想

■横須賀の弱小ヤクザたちが米兵相手の売春を規制され、米軍放出の残飯で豚を飼育するシノギに手を染めるが、横槍を入れた老ヤクザを殺し、死体の始末に困ったことからケチがつきはじめ。。。
今村昌平出世作。既に『にあんちゃん』で数々の受賞経験を持ちながら、敢えて社会の底辺に蠢くウジ虫たちの姿をこそテーマとしようと決心した意欲作。実のところ、『キューポラのある街』でもそうなのだが、同時録音の音質が悪く、台詞が不鮮明な部分が多々あり、お話の流れがわかりにくいという欠点があるのだが、なんといっても姫田真佐久の撮影が凄いから、お話よりも映像の凄さに打たれる。
大映東映のモノクロ撮影は、宮川一夫などの名手を除いて、どちらかといえばハイコントラストで陰影がキツイ映像を良しとする傾向がある。特に大映は独特の照明デザインにこだわりがあり、中間階調の豊かさよりも、陰影の表情を狙うスタイルなので、意外と中間階調が生かされない。東映の場合はもっと雑で、インパクト重視でコントラストも上げるし、粒状性も荒い。これらに比べると当時の日活のモノクロ撮影はちょっと狙いが違っていて、姫田真佐久も照明の岩木保夫も技術者としてのルーツは大映なので大映調を意識しながらも、もっとグレイゾーンを狙った画作りをしている。しかも、今村組はロケメインなので、舞台全体のディテールを中間快調の部分で表現しようとする。『キューポラのある街』では構図もオーソドックスだし、照明設計も正攻法なので、非常に細部まで綺麗なモノクロ撮影が仕上がっているが、本作ではもっと荒々しいロケ撮影が意図されている。
■なにしろ本作のモノクロ撮影は、舞台の汚らしさをそのままリアルに表現することに注意が注がれていて、海岸のバラック部落(オープンセット?ロケセット?)の崩れっぷりや、どぶ板の路地やトイレの臭ってきそうな質感がモノクロ映像で見事に表現される。どんなに汚い被写体もキャメラで撮ると、意外に綺麗に見えてしまうものだが、本作の撮影はウジ虫どもの蠢く世界の猥雑さをそのまま映像として造形している点が凄い。
■さらに、地面を這いずるウジ虫共の生態を大クレーン撮影するスペクタクルが凄いことになっている。西村晃を攻め立てる場面の長廻しなど、ロケ先の屋根を取り外して撮影したらしい。確かに、そうしないとクレーンが入れません。相米慎二の強引な長廻しは溝口健二に倣ったものと思っていたけど、ルーツはここにあったのか。吉村実子一家の話を長門裕之が壁の向こうで並行して歩きながら聞いている場面のクレーンショットのスペクタクルも凄い。こうしたセンスは今村昌平のものなのだろうか。
■お話の方は、ボーナスを弾むからと豚の世話を命じられたチンピラヤクザが、文字通り米国のブタとして暮らす横須賀から、恋人と一緒に川崎に脱出して平凡な職工として生きていけるかどうかというもので、この恋人役を新人だった吉村実子が演じて、これまた見事。最初はションベン臭いパンパン崩れ(?)という風情だが、徐々に強い意志で汚穢から脱出を図ろうとする意思的な人間として迫り上がってくる。長門裕之が彼女の引き立て役に見えてしまうのが気の毒なほど。
■他の配役もユニークで、メインは今村昌平の大学時代の演劇仲間が揃っている。特に加藤武は『キューポラのある街』の理想的な教師から一転して粗野なヤクザものを自在に演じてイキイキしている。胃弱のヤクザを演じた丹波哲郎はまだ新東宝の貧乏ムードをそのまま引きずっていて、演技に幅がない。女優陣では南田洋子が飛び抜けてリアル。単なる熱演ではなく、激しい気性をちゃんと演じあげている。こんなに上手い人だったとは。中原早苗のヒステリー演技もすっかり完成の域で、なんだか名人の伝統芸能を見ているようですね。
■ただし、今村昌平の限界はクライマックスにあり、長門がどぶ板通りで機関銃を乱射したり、ブタの軍団が走り回ったり、といった活劇やスペクタクルの要素が演出できていない。ブタの大群の暴走にはスタッフも手を焼いたはずだが、本来なら特撮を使うべきところ。合成で切り貼りして数を増やしたり、作画合成を駆使したり、スペクタクルな画角で大きな画を作ることができたはず。イメージ的には後年大映で企画される『大群獣ネズラ』の先取りとも思える趣向なので、金田啓治に頼むべきだった。『キューポラのある街』だって、金田啓治が合成カットを手伝ってるからね。(実は、本作も合成がかかっているような粒状性のルックのカットがひとつあるのだが、真相は未確認)
www.nikkatsu.com

参考

キャメラマン、姫田真佐久の本領発揮のモノクロ撮影による傑作群。ここにはないけど、熊井啓の『日本列島』も凄いよ。
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百恵がオコゼにグーパンチ!『潮騒』

潮騒 [DVD]

潮騒 [DVD]

  • 発売日: 2014/09/30
  • メディア: DVD

基本情報

潮騒 ★★★
1975 スコープサイズ 93分 @NHKBS
原作:三島由紀夫 脚本:須崎勝弥 撮影:萩原憲治 照明:熊谷秀夫 美術:佐谷晃能 音楽:樋口雄右 監督:西河克己

感想

■日本映画史には「潮騒映画」というジャンルがあってだね、と語りたくなるほどの日本映画界の定番。忠臣蔵には負けるけど、それでも異様な人気を誇るのは一種の性徴映画だからでしょうか。
■まずこのお話のいちばん重要なポイントは時代設定ですが、これはロケの都合と絡んで限定されてくる。本作は百恵、友和の扮装、髪型からそれほど昔のお話にはできない。さらに困るのが、神の存在がそれなりに実感されていた神秘的な島の雰囲気がロケでは出せないという点。本作も岸壁はすっかり護岸工事された綺麗な港になってしまっており、自然の猛威と折り合いをつかながら神の存在の実感とともに暮らす土俗的な島の雰囲気や精神性は皆無だ。その点は1954年に撮影した谷口千吉の『潮騒』がなんといっても絶品なので、後続の作品には真似できない。
■それでも小百合版『潮騒』の焦点の定まらない不甲斐なさには陥っておらず、さすがに須崎勝弥の脚本はバランスが良い。原作の小説の文章の使い方も無理がなく、特にラストの百恵・友和の船出に原作の文章をナレーションでかぶせた部分はよく効いている。有島一郎灯台長が、自分の娘が発端となった噂話についてそうと知らずに、「島に対する冒涜だ」と規定するあたりも、テーマをわかりやすくしている。
■お馴染みの乳比べの場面も当然あるし、それを言い出すベテラン海女が丹下キヨ子というのも、なかなか趣深い。切れやすいシンジのお母親が初井言榮で、期待通りに怒鳴り込んでくれるから楽しいよね。西河克己らしい話術の面白みは少ないが、ちゃんとウェルメイドな映画になっている。
■ただ、最も残念なのは日の出丸の海難シーンで、特撮場面がないこと。谷口版『潮騒』は実質的に『ゴジラ』と二個一で、円谷特撮だし、森永版『潮騒』でも金田啓治が意外にも上出来なミニチュアワークを見せてくれるのに、本作は全くなし。実際のところ、実写で使った船がどう見てもミニチュア製作が高く付きそうな外観なので、あっさり断念したのではないか。せっかく東宝の配給なので、東宝映像で川北紘一に大プールで撮ってもらえばいいのに。画竜点睛を欠くとはこのことだ。
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【コロナ禍巣篭もり企画】旧HP記事を大量追加中!旧作ぞくぞく大行進!

■コロナ禍巣篭もり企画の第二弾。まあ、既に籠もってませんけどね。
■今回の見どころは陸軍中野学校シリーズでしょうか。でも、第一作は昔過ぎて記事がないし、シリーズ全作制覇はできてない。中途半端ですまんのう。でも映画としてのオススメはなんといっても小林恒夫の『銃殺』だね。これは地味だけどなかなかの傑作。何故かDVDが出ていない。
■あとは、地味に貴重なのは黒木和雄の初期の岩波映画時代の記録でしょうか。
■そうそいう、安田公儀の『怪談累が渕』の最初の感想を発掘しましたよ。これも完成度はいまいちだけど、部分的にゾッとするほど凄い名場面がいくつかあって忘れがたい。3、4回観てるけど、最初に観たのは新世界の劇場だった。新世界公楽だったかな。その後、ビデオソフトで観て、京都文化博物館のスクリーンでも観てんだな。牧浦地志のキャメラが冴え渡る、偏愛する一作。
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SP映画の良作『美しき抵抗』

基本情報

美しき抵抗 ★★★
1960 スコープサイズ 59分
企画:大塚和 原作:中村八朗 源氏鶏太 脚本:原源一 撮影:間宮義雄 照明:安藤真之介 美術:松井敏行 音楽:八洲秀章 監督:森永健次郎

感想

■いわゆる二本立て興行の添え物映画、SP映画(シスター映画)なので上映時間はたったの59分、出演者も若手育成の観点から有名スターは出てません。そもそも誰が主役なのかも明確ではない。ポスターでは沢本忠雄がトップだが、映画では完全に脇役でほとんどアップすら無い。実質の主役は松波家の主婦、高野由美だろう。企画が大塚和なので、日活の文芸路線ですね。
■シンプルなホームドラマなのに導入が妙に大上段から始まるのだが、要は松波家の家長である助教授が大学に残って教授を目指すか、製薬会社や民間病院に天下って高額報酬を得るか、どっちを選ぶのかというお話に、一家の三姉妹のそれぞれのエピソードが絡む。結局は、娘たちに批判される従順なおとなしい主婦だったはずの高野由美が深遠なる母性本能を発動して、あなたは好きな研究をすればいいの、あなたのことは息子代わりだと思ってるから、という問題発言で回収される。
■三姉妹は香月美奈子、沢阿由美、吉永小百合で、さすがに吉永小百合の溌剌さが際立っている。この年に正式に日活と専属契約を結んでいるから、いわばお試し期間中なのだが、たしかに素質の違いは誰が観ても分かる。
■監督が森永健次郎だからなのか、撮影が間宮義雄だからなのか、ホームドラマなのにやたらとキャメラがクレーンとカドリーで動き回るのが凄いけど、ちゃんとしたセットも組んだ贅沢なモノクロ撮影。なかなかの良作なのだ。
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老巨匠による、現代のお伽噺?『大出世物語』

基本情報

大出世物語 ★★☆
1961 スコープサイズ 65分 
原作:源氏鶏太 脚本:三木克巳 撮影:横山実 照明:三尾三郎 美術:横尾嘉良 音楽:斉藤高順 監督:阿部豊

感想

■印刷会社のクズを貰い受けて生活する六さんだが、娘は印刷会社の社長の息子と身分違いの恋仲らしい。だが、印刷会社の担当者が定年で代わると、今後は出入り禁止と言い出し。。。
■いわゆる二本立て興行の添え物映画、SP映画で、主演は小沢昭一という珍品。初主演作品らしい。しかも監督がなぜか名匠、阿部豊というのも謎。どんな経緯があったのか。それにしても驚くのは、終盤の信じがたい展開で、まあ原作通りだから仕方ないのということだろうが、説得力は皆無な夢物語。当時ですら、そんなアホなと全観客がスクリーンに突っ込んだことだろう。
渡辺美佐子が訪問販売(行商?)の会社の社長として登場して、がめついおばさんパワーを見せる。かなりの老け役だけど、まだ若いと思うけどなあ。小沢昭一にしたって、随分な老け役だし。
吉永小百合浜田光夫(光曠)の関係が逆転するところが作劇の眼目で、当然同じセリフが逆の立場から繰り返されることになる。喜劇的な脚本のテクニックはセオリー通り効いているが、正直これで終わり?という感じ。基本的に喜劇だけど、阿部豊の演出が妙にのんびりしているし、メリハリが乏しいので、笑いが弾けないし、だから終盤のアホな展開も弾まないという不思議な映画。
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