尋常じゃないのはよく分かるけど、多分オレには神代は一生理解できない『かぶりつき人生』

基本情報

かぶりつき人生 ★★
1968 スコープサイズ(モノクロ) 94分 @アマプラ
企画:大塚和 原作:田中小実昌 脚本:神代辰巳 撮影:姫田真佐久 照明:岩木保夫 美術:音楽:眞鍋理一郎 監督:神代辰巳

感想

■うち(殿岡ハツエ)のおかあちゃん(丹羽志津)はデブデブの中年女やけど30代気取りのストリッパーや。あんなだらしない女にだけはならんとこ思たけど、わてもダンサー経由でピンク映画のスター女優になってもうたわ。けど、昔好きやったヤクザ者が訪ねてきて、ややこしいことになってしもうて。。。

神代辰巳の伝説的な監督デビュー作で、全くヒットしなかったので、以降干されてしまったという因縁の映画。でも、神代は恋女房だったスター女優の島崎雪子との離婚後、主演の殿岡ハツエに惚れ込んで再婚した。そっちには疎いわたしらオタク世代には全く理解不能なおとなの世界ですな。

■でもヒットしないのは事前にわかっていたはずで、併映が磯見忠彦監督の『ネオン太平記』という新人監督週間なのだから、はなから捨て駒のエロ路線で、なにしろ日活のスターは一切出ていない低予算映画。そういえば『ネオン太平記』もスタッフはイマヘイ組で、完全に被っている。日活では時々起こるけど、姫田真佐久のキャメラマン週間だったわけだ。殿岡ハツエはもちろん、強烈な助演の丹羽志津も無名だし、男優に至っては、見分けがつかないレベルの大部屋俳優が起用されるから困惑する。そこはホントに勿体ないと思ったけどね。もっと有名な男優を起用すれば、それだけで格が上がったし、劇的な効果も違ったはず。『ネオン太平記』にはカメオ出演を含めて有名人が(無駄に)いっぱい登場するから、その対比も寒々しい。

■母娘の相克を描くのかと思いきや、あくまで主演は殿岡の男性遍歴のほうで、母親に反発しながら男を渡り歩き、母親とは微妙に違う世界で成功しピンク映画のスター女優になるが、妬みから小娘に殺されそうになるし、昔好きだったやくざ者に刺されるし、それでもあくまで前向きに貪欲に生きようとする女の生命力を描くのだが、同じ姫田真佐久が撮っていてもイマヘイとは描きぶりが全く違うのが凄いところ。姫田キャメラマンはモノクロ撮影では多他の追随を許さず、本作も撮影の凝り方は凄い。前編ロケ撮影だけど、カラー撮影の『極道ペテン師』と比べてもレベルが違う。どれだけ粘ったのかと感じる本気の仕事。

■製作は大塚和なので、基本的にリアル路線だけど、この脚本は疑問があるなあ。大塚和なので劇団民藝の仲間たちを起用しそうなところ、その筋は全く無く、純粋な風俗エロ映画として忌避されたのだろうか。それにしても、神代辰巳の脚本はとてもオーソドックスなものではなく、正直あまり面白くないし、よく大塚和がOKしたなあと不思議に感じる。『ネオン太平記』のほうがまだ分かりやすいけど、あれは弟子筋の友田二郎の製作だ。

■でも、関西女の土性骨を描く女性映画かといえば、そうでもなく、妙にファッショナブルな映像や音楽だったり、当時流行の雰囲気映画的な狙いも散見されたり、土俗路線なのか、おしゃれ路線なのか、狙いが判然としない。その当たりも、神代辰巳の掴みどころのなさだ。


参考

『ネオン太平記』と同時上映だったのだ!
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神代辰巳の映画はどうも掴みどころがなくてよくわからない。むしろテレビ映画のほうがしっくり来る。円谷プロでも撮ってるよ。
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戦後24年、まだ戦争は終わっていない!もともとは「喜劇 ゲリラの群れ」だった野坂昭如原作の力作『極道ペテン師』

基本情報

極道ペテン師 ★★★
1969 スコープサイズ 93分 @アマプラ
企画:友田二郎 原作:野坂昭如 脚本:村井良雄、千野皓司 撮影:姫田真佐久 照明:松村文雄 美術:徳田博 音楽:林光 監督:千野皓司

感想

釜ヶ崎に住むペテン師集団の頭目カンパイ氏は、昨年の交通事故のせいでインポ状態だ。仲間たちといろんな奇抜な詐欺を働くが、ある日、自分のことをお父ちゃんと呼ぶ少年ケン坊がつきまとい始める。ブルーフィルムの女を母ちゃんだと呼んだことから少年の母親探しが始まるが。。。

■日活出身の千野皓司という監督は、なかなか掴み所がない人で、日活が傾いてから監督デビューしたので映画界では良い待遇を得られなかった。石原プロに抜擢された『ある兵士の賭け』ではPとの対立から降板してしまい、映画界からは遠ざかる。むしろユニオン映画製作のテレビ映画で頭角を現し、売れっ子になった。でもその後、テレフィーチャーの時代になって急に充実期を迎え、『密約 外務省機密漏洩事件』『滋賀銀行九億円横領事件 女の決算』『深川通り魔殺人事件』などの実録路線で傑作を連打した(実は未見!)この頃の活躍がなんといっても絶頂期だろう。でも個人的には赤川次郎原作の軽サスペンス『ママに殺意を』が忘れがたい。市毛良枝が絶妙に色っぽかった頃の傑作。(もう一度観たいなあ)
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■さて、本作はノーベル書房の映画製作プロダクションであるノーベルプロダクションが製作、日活配給なので、外部作品だけど、スタッフは日活の第一線。友田Pなので、今村組スタッフが取り組んだが、釜ヶ崎で長期ロケを行ったため、途中で製作費が切れて撮影中断となった。中平康も『当たりや大将』で釜ヶ崎ロケを敢行して苦労したわけで、現場では当然いろんなことが起こるわけです。ただ、姫田キャメラマンはなんといっても、モノクロ撮影に妙味があるので、これもモノクロで撮るべきだった。予算や現場的な制約で照明効果などかなりラフなのでね。モノクロで撮れば、確実に映画の格が上がったと思う。
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■インチキ新興宗教をでっち上げたり、政治家のニセモンを演じたりのコミカルなエピソードは意外と冴えなくて、そこは千野皓司の資質の問題かもしれない。でも後半に謎の少年が登場するあたりから急に描写が生き生きとしてくるが不思議。ロケ撮影(車載の長廻し!)にもなんだか気合が入ってくるし、冒頭に置かれた不発弾のエピソードの発展や演出も意表を突くし、グッと真剣味が増してくる。邪魔な子どもをどうしようかと仲間で話し合うと、◯◯しちゃうんだよねということが、ある意味当然の選択肢のようにみんなの気持ちに現れてくるのが実に怖い。でもこの当時の人権状況を如実に表現しているわけです!当時はこんな感じだったんですよ。いや、今も?
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■終盤になって映画のテーマがストレートに表出されるあたりが圧巻で、アメリカに隷属する現実の日本の姿と、戦争はまだ終わっていない、当時の(今も?)現実をフランキー堺が打ち出す。もちろんフランキー堺の配役には『私は貝になりたい』とか『世界大戦争』とかのイメージが付託されている(はず)。誰が少年を◯◯したのか?ゲバルトは学生運動の専売特許やあらへんで!でも林光の意外にも楽天的な楽曲が、妙に希望に溢れたラストを彩るのは、1969年の高度経済成長期の日本の余裕なのだ。ほんの3,4年後には『日本沈没』で『ノストラダムの大予言』なので、終末思想に覆われることになる。まだまだ、お気楽ないい時代だったのだ。

■伴淳の娘でストリッパーを演じる川喜多純子という女優が凄い実在感なんだけど、これ一作しか出ていないようだ。どこから連れてきたのか?一方、梶芽衣子まで脇役で出ているけど、随分ひどい扱いで、よく出たよなあ。


日本のドキュメンタリー産業・技術編『潤滑油』『ある機関助士』『68の車輪』『超高層のあけぼの』

『潤滑油』


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■1960 25分 脚本:吉見泰 撮影監督:小林米作 演出:竹内信次 照明:田畑正一 音楽:池野成

■硬い金属の擦れ合う間にぬるっと入って、摩擦を減らす潤滑油とその効果を持続する様々な添加剤の大活躍を紹介する産業映画だけど、音楽が池野成なので終始不穏な雰囲気に包まれる異色作。中盤には『白い巨塔』のテーマ曲も聴けます。

■基本的に綺麗にかつ重厚に撮ることを意図していて、工場での照明もバッチリ。なにしろ劇映画のライトマンを起用している。摩擦を吸収して汚れて酸化した潤滑油の顕微鏡映像など、アブストラクトでシュールな映像も見どころで、独特のトリップ感覚も味わえて、60年代後半のドラッグ感覚を先取りしているかも。

■映像はがっちりと構えて硬派なんだけど、イメージ映像的な印象も強くて、相当な異色作という感じですね。

『ある機関助士』


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■1963 37分 脚本&監督:土本典昭 撮影:根岸栄 音楽:三木稔

ウィキペディアによれば、もともと1962年の三河島事故特捜最前線の傑作回があったなあ!知ってる?)を受けて、国鉄がその安全性を宣伝するために企画した宣伝映画だが、岩波映画が(がんばって)落札し、土本典昭がデビューした重要作で、その筋(ドキュメンタリー畑)では有名な映画らしい。受賞歴多数なのだ。

蒸気機関車の機関助士を主人公として、国鉄労組の協力も得て、当時の国鉄の労働現場や労働環境がリアルに描かれるので、これは今見ても新鮮に感じる。機関士との会話も、先頭車両は吹きさらしで轟音に包まれるので、大声&独特の手振りサインで行われる。当然、労働者はばい煙にさらされて煤だらけになる。石鹸でごしごし顔の黒ずみを落とす場面なども、当たり前の記録だが、妙に強く印象に残る。それが映画なのだ。

■操車場でおじさんがポイントの切替器を、両方の手足でフルに使って踊るようにして操作する場面なども、初めて観たけど、凄い労働であり、技術だし、非常に映画的なシルエットとアクションなので感心した。主役じゃないけど、土本監督も現場で観て、これは撮らねばと思ったに違いない。まるで宮崎駿の映画みたいなのだ。

■純粋な宣伝映画ではないし、左翼系映画でもなく、純粋なアート映画でもない不思議なポジションを開拓してしまった映画だな。

『68の車輪』


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■1965 32分 脚本:吉見 泰 演出:森田実 音楽:山本直純 撮影:入沢五郎、春日友喜、加藤和三 照明:田畑正一、土田定夫 解説:城 達也

日本通運シュナーベル式トレーラで、東電が発注した巨大な変圧器を発電所まで運搬する様子を記録した重厚な記録映画。

■なにしろ超重量なので、途中の木橋やあぜ道を全部補強しないと通れないから、その補強作業を並行して行いながら、何日もかけて時速2キロとか5キロの低速走行を続ける。その巨体の通過する田園風景は、今では想像もできないのどかさだ。

■なにしろ、巨大トレーラは、そのまま東宝特撮映画やサンダーバードの超兵器に見えるから、ドキュメンタリーなのに、ミニチュア特撮に錯覚するという変な感覚を味わう。牧歌的な農村の細道を、長大な鉄の塊が通過するだけで心躍るのは、特撮者の性だろうか。音楽を伊福部昭に差し替えれば、完全に特撮映画のワンシーンになるはずだ。途中で何箇所も通行の難所があり、ひとつひとつクリアしてゆくサスペンス映画でもある。まるで『恐怖の報酬』ですね。

■その運転手や補強工事を行う人足といったはたらくおじさんの姿を描いた労働映画でもあるし、野次馬の大人やこどもたちの姿も貴重な記録だよね。そして、本作品もその筋では有名作らしいです。

『超高層のあけぼの 霞ヶ関超高層ビル・第1部』

■1966 27分 脚本&監督:板谷紀之、石松直和 撮影:大野洋、賀川嘉一

■日本の超高層ビルの嚆矢となった霞が関ビルの構想段階を描く第1部で、第2部は未見です。ちなみに、このあとで関川秀雄監督が劇映画『超高層のあけぼの』を撮りますが、別の映画です。でも製作母体は鹿島建設なので、姉妹作とでもいいましょうか。

■これまでのように狭い敷地に容積率ぱつぱつの建物を建てるんじゃなくて、建物の周囲に余白を作って環境や交通や人流に配慮するためには高層化して容積を確保するしかないということで、法規制が緩和されて、霞ヶ関にでっかいビルが建ちました。『怪獣総進撃』では早速ファイヤードラゴンの餌食になりました。その前にはシーボーズも登ってましたね。(未完成なのに)

■見どころは、耐震性能や風の影響などを当時のコンピュータや模型でシミュレーションする場面とか、周辺の公園の様子の模型が妙にかわいいといったあたりが印象的ですね。この映画は非常に癖のない、誰にもわかりやすい、楽しい映画なので、万人向けですね。これに比べると『潤滑油』とか『ある機関士助士』は、アート系に見えます。

ついに観た!姫が恋しい親鸞の青春悶々物語『親鸞』

基本情報

親鸞 ★★★
1960 スコープサイズ 147分 @東映時代劇youtube
企画:坪井与、辻野公晴、小川貴也 原作:吉川英治 脚本:成沢昌茂 撮影:坪井誠 照明:和多田弘 美術:桂長四郎 音楽:伊福部昭 監督:田坂具隆

感想

■以前から是非見たいと思っていたのだが、DVDは出ていないし、京都の映画館ではかからないし、どうしたものかと思っていたら、youtube東映時代劇チャンネルでさらっと配信されているので、びっくりして早速観ましたよ。画質も期待していなかったのですが、実にきれいなリマスターで、なんでDVDとか出さないのか不思議なことだ。きっと親鸞の描き方について仏教界となんらかの齟齬があり、事実上の封印映画になっているのかと勘ぐっていたのだが、別にそうでもなかったようだ。そもそも映画のクレジットに仏教団体の名はなく、後年のように仏教界が製作費を出したわけでもなさそうだ。

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■基本的に親鸞の生涯は不明な部分が多くて、そもそも実在したのかも疑われたくらいなので、吉川英治の小説もほとんどは小説家の創作によるけど、映画版はそれをさらに大幅に改変しているようだ。しかも、二部作の続編で完結する構成で、本作ではまだ親鸞は凡夫として無明の闇の中にあるし、法然すらまだ出てこない!

親鸞中村錦之助)は比叡山の修行を終えて京の都に戻ってきてもまだ悟りの境地にはなく、法隆寺に再修行に出かける。京の都に戻って師の慈円大河内傳次郎)が詠んだ恋歌に関する女犯の批判に見事に反駁して門跡に補せられるが、関白(千田是也)の娘(吉川博子)への思慕を断ち切れず、無明の闇を彷徨う。。。

■というお話で、冒頭の遊女に絡まれる場面で、比叡山の僧侶の堕落ぶりと、女犯(にょぼん)の罪が本作のテーマであることを明確に示す。青年親鸞の懊悩を誠実に追うことが映画の眼目であり、日活から東映に移籍して第一作の本作は、たしかに力が入っているのはわかる。助監督のサードかフォースあたりに中島貞夫がついていて、映画づくりの醍醐味を田坂組で教わったと述べているから、時間と金をかけて取り組んだ大作である。東映時代劇の全盛期なので、ステージセットが広大で、そこは大映時代劇を上回る。ただ、キャメラが寄ると、美術装置の質感の低さが露呈するのは東映の限界。でも、リマスターで観ると、ホントに眼福なので、それだけで満足する。

中村錦之助の演技も、本当に全盛期の一番いい頃で、青年らしいナイーブさが残っていて、実に誠実な演技で見応えがある。田坂監督も気力十分なので、比叡山での錦之助の大演説の場面も、巨大なセットでクレーンで堂々とキャメラを引きながら、同時録音で見せる。撮影ステージの機材のギシギシいう物音(多分クレーンの車輪がステージの床を踏む音)まで綺麗に拾っているので臨場感と緊張感が凄い。

■ただ、一番気になるのは、浄土系仏教の教義がほとんど描かれないことで、そこは法然と出会うはずの続編で集中的に描く予定なのかもしれないが、それでもあまりに希薄なのが気になる。僧侶が女性を愛することが認められるのか、そこだけにテーマを絞ってしまったので、そもそも、鎌倉期の民衆の苦しみとか救いを求める心情がほとんど描かれない。浪花千栄子の老婆のシーンくらいのもので、演技も演出も秀逸だけど、不十分だ。そのあたりは後年のアニメ『手塚治虫ブッダ』のほうが的確に点描する。

■この時期の宗教映画はなぜか肝心の教義を描くことを避ける傾向があり、『日蓮と蒙古大襲来』だって『釈迦』だって、物理的なスペクタクルを描くことに頼って、宗教者としての肝心の部分を描こうとしない。そこについて革新を行ったのは後年の『人間革命』『続・人間革命』で、橋本忍は大真面目なので、時間をかけて真剣に教義を研究したうえで、通俗的に受ける劇的要素を決め込んで作劇して、実際、異様な成功を収めた。その多くは丹波哲郎とのコラボによる突然変異だけど、他の宗教と異なる独自の宗教教義を真正面から絵解きするという、ありそうでなかった見世物を成立させたのだ。

■が、本作では浄土系宗教の教義ではなく、宗教者親鸞の青春の懊悩にテーマを見出すのだ。それは、親鸞がまだ教義を見出していないからなのかもしれないが、であれば続編でしっかりと描かれるのだろうか。続編もぜひyoutubeで見せてほしいものだが。じゃないとお話が完結しないよ。東映さん、頼んだよ!


参考

maricozy.hatenablog.jp
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これは画期的な宗教映画だったと思います。なかなか真似できない芸当。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
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浄土系仏教の教義はこの映画をみると腑に落ちますよ。SFだけど。
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でも宗教映画の最高峰はコレ!最高だと思います。南無阿弥陀仏
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なぜか鬼太郎の親父がイケメンに?BL風味の伝奇活劇!でも意外と骨太な『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(感想/レビュー)

基本情報

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 ★★★
2023 ヴィスタサイズ 104分 @TJOY京都(SC4)
原作:水木しげる 脚本:吉野弘幸 音楽:川井憲次 監督:古賀豪

感想

■昭和31年、龍賀製薬の社長が急逝、後継社長選びを自社に有利に進めようと血液銀行のサラリーマン水木は龍賀一族の住む哭倉村に向かうが、後継者を巡って奇怪な連続殺人事件が発生する。失踪した妻を探すなぞの放浪者が村に現れると、事件の背後に妖怪の影が見え隠れするが。。。

■鬼太郎誕生のあのエピソードを映画化?陰鬱な怪奇ドラマになれば楽しいのに、と思いながらも、予告編の雰囲気はちょっと違うしなあと思っていたら、なぜか評判がいいようなので、念のため観てきましたよ。実際、なかなかの力作で悪くないけど、疑問点も多かったなあ。

■まずは疑問点を簡潔に羅列してみようか。

  • 鬼太郎の親父は包帯ぐるぐるの病人でミイラ男のはずが、なぜか今風な小顔のイケメン(その名も「ゲゲ郎」!)に!(ねこ娘も普通の美少女になってるぞ!)
  • しかも血液銀行のサラリーマン水木とバディになる!それもなんとなくBL風味だよ!腐女子を狙いすぎ?
  • いまさら「犬神家の一族」なんてなぞっても新味がないぞ
  • 怪奇ドラマじゃなくて、伝記活劇じゃないか!それもいろいろと既視感がありありと…
  • 鬼太郎なのに(東映なのに)ユーモア、諧謔味が足りないなあ。これはかなりの減点材料
  • そもそも妖怪に対する愛が感じられない。これもかなり重要な問題

といったところかな。

■でも良いところも多くて、そこは水木しげるのエッセンスが生きているし、東映活劇の精神や反骨精神が息づいていると感じる。もともと東映アニメは東映時代劇の伝統を受け継いだのか、作劇が時代劇のそれで、ゆえに活劇演出は揺るぎがないのだ。日清日露戦争の時代から日本兵を賦活化してきた謎の妙薬Mの秘密とか、山間の僻村で日本的な資本主義の秘密を開示するとか、結構気宇壮大だし、戦後史に対する批評性も盛り込んで、確かにこんな話作るのは東映くらいだと思うよ。搾取され滅びゆく幽霊族の描写のあたりも、やはり東映だから描ける部分だと思うなあ。このあたりはホントに妙に立派だと思う。そうした思想性(?)は『ゴジラ-1.0』よりも優れた部分ですね。

■ただ上記の通り、鬼太郎のお話なのにそもそも怪奇ムードも希薄だし、妖怪は単なる悪役として登場するだけだし、妖怪に対する愛が感じられないのは残念なところ。その代わりに強烈に塗り込められたのは、支配階級の民衆支配の悪逆ぶりで、やはりこのあたりは左翼系独立映画のそれではなくて、東映時代劇のエッセンスと伝統が開花していると感じる。「てめえら人間じゃねえ!叩っ斬ってやる!」の精神ですね。(これ「破れ傘刀舟悪人狩り」のセリフなので、東映じゃないけどね)

■そういえば音楽が川井憲次だったことを改めて思い出した。観てる最中は全く気が付かなかったよ。それだけ夢中になって観ていたわけだろうか…結構面白かったんだね!


地獄の底から”アレ”が来る!怪獣の出ない怪獣映画だった、わくわくホラーの快作『来る』

基本情報

来る ★★★☆
2018 ヴィスタサイズ 134分 @DVD
原作:澤村伊智 脚本:中島哲也岩井秀人、門間宣裕 撮影:岡村良憲 照明:高倉進 上野敦年 美術:桑島十和子 音楽: 坂東祐大ほか VFXスーパーバイザー:柳川瀬雅英、桑原雅志 監督:中島哲也

感想

イクメンパパを偽装する男(妻夫木聡)の周りで怪奇現象が頻発する。子供のころの隠蔽した記憶の底に残るあの出来事が関係しているのか?親友の民俗学者青木崇高)が胡散臭いオカルトライター(岡田准一)経由で紹介してきたのは、霊媒能力があるというキャバ嬢(小松菜奈)だったが。。。

■なんとなく怪作という噂は聞いていたのだが、これはなかなか見どころのある怪奇映画、いやオカルト映画の力作だった。でも、怪奇映画としての肝心なところは意外と冴えず、怪異描写など新味はないし、そこを見せたいという映画ではない。むしろ、怪獣の出ない怪獣映画に見えるし、子どもを媒介として、人の心の地獄を覗き見る地獄映画の系譜に見える。そして、怪奇映画としてではなく、怪獣の出ない怪獣映画、地獄映画として成功している。

■そもそも『ぼぎわんが来る』という原作小説の映画化なのに、「ぼぎわん」は描かれない。「ぼぎわん」がなにかという謎解きや、説明も無い。だから怪奇映画ではない。でもテーマは明快で、古来より現世と異界をつなぐ境界的な存在でありつづける子どもという不思議な存在とおとなの関わりであり、子どもに対する罪悪感が、おとなの心を地獄に引き寄せる。文字通り三途の川が登場するので驚くけど、中川信夫の『地獄』とか神代辰巳の『地獄』や石井輝男の『地獄』の系譜。

■映画としての美点は妻夫木聡黒木華岡田准一の心の地獄がちゃんと描かれているところで、怪異描写の平凡さに比べて、こちらの方に力が入っている。さらに、霊媒キャバ嬢の小松菜奈はすごい化け方だし、最終的にその姉である大物霊媒師として丹波哲郎クラスの存在感で松たか子があっぱれな怪演を見せる。こうした漫画的なありきたりな役柄はたいてい安易な描写になって、全く説得力を持たないのだが、本作の松たか子の演技は完璧で、わが国の霊的防衛に関するプロフェッショナリズムの存在を納得させてしまうから凄い。このキャラクターには『ガメラ3邪神覚醒』の山咲千里も入り込んでいるし、もうひとつの『帝都物語』かもしれない。

■大物霊媒師の登場は後半に物語をヒートアップするし、アレの霊的誘導及び迎撃作戦のサスペンスは完全に怪獣映画の呼吸で、燃える見せ場で、伊福部節が流れないのが不思議な感じで、アレを迎え撃つために全国の霊能者が招集される場面も、噂には聞いていたけど、確かに凄い。三軒茶屋ババアでおなじみの柴田理恵が、また新たな怪演レパートリーを見せるし、なにしろまあ見事な配役。三軒茶屋ババアのキャリアは伊達じゃなかった!アレのお祓い大作戦はほとんど”祭り”として演出されていて、”祭り”が”祀り”であった記憶を呼び覚まし、波及して、そもそも怪獣映画が怪獣の襲来とお祓いを描く、つまり怪獣を祀る、”お祭り映画”であることを自覚させる。

■そういえば『進撃の巨人』は当初中島哲也が大幅にアレンジして映画化する計画だったので、実現すれば凄かったかもしれないなあ。意外と怪獣映画要素が反映していたのじゃないか。本作の場合は「ぼぎわん」をストレートに描いてしまうと完全に怪獣映画になるので、それを避ける意図があったのではないかな。まあ、原作小説を読んでいないので、詳細は不明だけど。ちなみに2016年『シン・ゴジラ』以降の東宝映画ですね。


意外にも重厚なテーマ性をサクサク物語る韓流活劇の快作『デシベル』(感想/レビュー)

基本情報

デシベル ★★★☆
2023 スコープサイズ 110分 @T-JOY京都

感想

■一定の騒音を感知すると時限装置が急加速する特殊な時限爆弾が釜山市内に設置された。なぜか犯人からコンタクトされた元潜水艦の副長は指示された場所に急ぐが。。。

■という韓国映画おなじみのサスペンス・アクションで、監督はファン・イノという人。爆弾犯とのゲームの駆け引き的な軽サスペンス映画をイメージしていたのだが、実は米国との連合軍事演習を終えて帰投中の潜水艦が遭難するという過去の事件が絡む、意外にも重厚なサスペンス活劇だったので驚くやら嬉しいやら。映画はサクサクと軽快に展開するし、意外にもテーマ性は重いし、80から90年代のハリウッド映画を想起させる快作だった。こんな映画は昔はよくあったものだが、最近めっきり公開されなくなった。

■ネタバレは避けるが、事件の背景となる潜水艦遭難事件が爆弾事件と並行して語られる語り口も成功しているし、そのテーマ性や批評性もなかなか立派なもの。近年の日本映画では、なかなかこういう芸当はできない。『沈黙の艦隊』なんていかにも空想的かつ地に足の付かない誇大妄想でしかないことがよくわかる。日本映画でやたらと空想的に天下国家を語りたがる政治的活劇が多いのは困りものだが、韓国映画の場合、そうした映画は確実に地に足がついていて、切実さが全く異なる。そこは残念ながら日本映画は児戯に等しい。かわぐちなんとかとか福井なんとかが原作の映画のことですけどね!

韓国映画らしい味付けとして、嫁さんが超キツイという特徴があって、本作でも見事な喜劇要素を加味している。主人公のキム・レウォンの嫁さんは爆弾処理班の最前線でバリバリだし(こちらはコメディ要素なしでした)、巻き込まれる記者役でコメディリリーフのチョン・サンフンの嫁さんも働いていて、職場のテレビでありえない場面を目にする場面は大爆笑の傑作。関西風味のベタベタなコメディ要素は、韓国映画のお楽しみで、こうしたサスペンスとか活劇に挿入することで、非常に効果的。日本映画で下手に真似すると、スベりまくることがあるけどね。

■爆弾事件のギミック的な面白さを狙った若者向け映画かと思いきや、実は潜水艦の遭難事件の方がメインテーマで、その事故の真相(いかにもありそうな不祥事)や、生還するための厳しすぎる究極の決断とか、非常に重い、機微なテーマを突きつけるから、ホントに立派な映画。日本映画でもそういうところを真似してほしいなあ。


参考

日本映画ではせいぜいこんな感じす。全く地に足の付いた切実さがなくて、上滑りで、子供っぽいと感じる。
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『永遠の0』を再見する

■『ゴジラ-1.0』を観ると、明らかに『永遠の0』の続編的な性格を有しているので、改めて再見したけど、やっぱりあまり大したことなかった。ドラマ的には新鮮な視点がないし、ドラマも役者も演出も妙に生硬で、なんだか堅苦しい教育映画みたい。家族のために生きて還ることを願い、特攻作戦を嫌悪していた兵士宮部久蔵がなぜ最終的に特攻作戦に志願したのかという謎を追う心理ドラマだけど、正直あまり説得力も意外性もない。

夏八木勲は封切り時には物故しており、平幹二朗も2016年に亡くなっていが、山本學橋爪功も健在。彼ら大ベテランは、でもステロタイプな役柄で、結局みんな田中泯の引き立て役に過ぎないのが残酷。橋爪功なんて、よくあんな平板な役(説明役)を引き受けたなあ。仮にも杉浦恭介(@京都迷宮案内)として、すべての美談や建前を疑ってかかるひねくれ者が当たり役なのにね!特攻作戦の美談なんてまっさきに疑ってかかるはずの人なのに!それに前にも書いたけど、吹石一恵は無駄に綺麗すぎて、逆に可哀想。もっといい役つけてくださいよ!そして、狂言回しであまり美味しいところのない三浦春馬。もうこの世界にはいないのだ。。。後年の『太陽の子』良かったのになあ。
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■実際のところ『ゴジラ-1.0』は山崎貴のドラマ演出家としての不出来な部分が、キャラクター映画としての見せ場やVFXの見せ方のうまさでいい塩梅に中和されて、なんだかそれなりのドラマがあったかのように錯覚させてしまった、絶妙なバランスで成り立った佳作だったという気がする。

六ちゃん嫁に行く😭『ALWAYS三丁目の夕日’64』

基本情報

ALWAYS三丁目の夕日’64 ★★☆
2012 スコープサイズ 144分 @DVD
原作:西岸良平 脚本:古沢良太 撮影:柴崎幸三 照明:水野研一 美術:上條安里 音楽:佐藤直紀 VFXディレクター:渋谷紀世子 監督、脚本、VFX山崎貴

感想

■シリーズ三作目で、なんといっても蛇足感が否めないし、意外にもVFXの見せ場は少ない。しかも、最近の山崎貴の映画に比べると明らかにVFXのクオリティが甘いので、逆に言えばこの10年間に大幅に白組は進化したわけですね。

■六ちゃん(堀北真希)が青年医師(森山未來)と結婚する話と、淳之介(須賀健太)がこっそり小説家デビューしていることを知って、茶川(吉岡秀隆)が激怒し、(心で泣きながら)縁を切るという形で、淳之介が巣立ってゆく苦い話の二本立てですね。素人目にも演技のテンションがおかしい人が何人かいて、それが山崎貴映画のおなじみになってしまったけど、あれは何なのでしょうか。

■その中で素朴に輝いているのが堀北真希で、四角いスクリーンに映える容姿のフォルムが実に逸材。フィルモグラフィーを確認すると意外といい映画に出ていなくて、これだけの才能と、映画映えする個性を他で活かせなかったのは残念なことだ。結婚して引退してしまったとさ。。。『白夜行』なんて、ほんとは配役で成功するはずの企画だったのに。

■人生の進路を巡って、淳之介と茶川が対立して大激論になり、お前を絶対許さない、小説家として絶対に叩き潰すと宣言(パワハラ?)して、心で泣きながら淳之介を送り出すあたりの場面がクライマックスになるけど、吉岡秀隆のテンションがおかしいので、なんだか芝居の見せ場が大げさだし、冗長になる。このあたりの芝居の見せ方の采配がおかしいので山崎貴は軽くみられてしまうのだが。実際、山崎貴の演技指導における参照点はどこにあるのだろうかと疑問に感じる。でも、大ベテランの山田洋次でもたまに非常に退屈な映画を撮ったりするから、相対的にはそんなに酷くはない気もするところだ。


参考

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ホントはこれで成功すべきだったのに、何故か事故物件になってしまった。製作過程でなにがあったのか?おまけに掘北は『大奥』(東映じゃなくてTBSの男女逆転のやつ)と掛け持ち撮影だったらしい。
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実は『日本沈没』の姉妹編で山岳怪談映画!橋本忍はいつから宗旨変えしたのか?『八甲田山』

基本情報

八甲田山 ★★☆
1977 スコープサイズ 169分 @DVD
原作:新田次郎 脚本:橋本忍 撮影:木村大作 照明:高島利雄、大澤暉男 美術:阿久根巌 音楽:芥川也寸志 監督:森谷司郎

感想

日露戦争への備えとしてお偉いさんの思いつきで始まった八甲田山雪中行軍で、青森第5連隊約200名がほぼ全滅した明治の悲劇(というか軍隊の明確な不祥事)を映画化したヒット作。製作の中心は橋本プロで、創価学会系のシナノ企画東宝は『人間革命』などの縁もあり資金やスタッフを支援したというところだろう。封切り時には観ていなくて、後にソフトでノーカット版を観たのだが、何度観ても変な映画で、なんで大ヒットしたのか謎。

■そもそも、原作小説のテーマである軍隊批判、組織論の部分がほとんどごそっと切られている。橋本忍はそこに興味があって引き受けたのだろうと思っていたが、実はそうではなく、第31連隊と第5連隊が雪の八甲田で会おうと約束して、一方は成功、一方は失敗したため、約束は果たせなかったという部分に、それは受けると考えたそう。インタビューでそう明言している。物象の軽視とか指揮命令系統の混乱とか、旧日本軍の宿痾、ひいては日本の官僚組織に弱点は、いかにも橋本忍が好んで硬派に描きそうな部分は、全く興味がなかったそうだ。実に意外な発言なんだけど、橋本忍は1970年代に完全に人が変わっていると感じるところだ。その主因は1974年『砂の器』の大ヒットなんだろうけど、それ以外にもなにか原因があったのではないか。案外1973年『人間革命』で研究したことが影響しているのではないか。創価学会の信者というわけではなかったようだが、これ以降なぜかオカルト趣味が顕著となる。本作は山岳怪談だし、『八つ墓村』は完全に因果怪談だし、問題の『幻の湖』もあるし、丑の刻参りを描く青春映画『愛の陽炎』もある。同様に大物脚本家の水木洋子が晩年オカルト沼にハマって、完全に信じている人の立場から『悪霊』という、なかなか素人には理解し難い大作(もちろん未映画化)を書いたのも、なんだか因縁めいている。

橋本忍が製作意図で述べているのは、組織論の話ではなく、自然を征服しようとして失敗した第5連隊と、自然と折り合いをつけながら、自然の猛威を受け入れる形で小さく成功した第31連隊を対比させるところにあった。だから自然環境と人間の営みの関係を探ることが明確なテーマだった。地球の成り立ちまで遡って語るその製作意図には明らかに『日本沈没』の執筆で得た地球物理学とか気候変動の知見が下敷きになっている。だからこそ東宝スタッフで森谷司郎監督だったわけ。自然環境の猛威と人間の関わりを組織論的な観点から描いた原作小説の、組織論の部分を捨象して映画化したのだ。その意味で、本作は『日本沈没』の姉妹映画ともいえるのだ。

■ただ、完成した映画ではそのことはあまり明確でなくて、音楽映画になってしまった。第5連隊と第31連隊の違いは、やはり大隊長三國連太郎)の横やりと組織編成や準備不足に見える。でもそれにしては描き込みが足りないので、中途半端に感じるのだ。大隊長も単に自害するだけで、何も反省点が描かれない。ラストの、生き残ったものも、結局日露戦争でほぼ全員死んだというテロップも、特に反戦を訴える意図などなくて、事実を単に示しただけだと、橋本忍はビックリ証言を残している。
 
橋本忍が最も残念に感じたのは、原作小説にはなくて脚本上の創作部分。一番しんどいときに何を考える?という問いに、神田大尉(北大路欣也)は子供の頃、故郷で遊んだ四季の風景が何故か浮かんでくると言うと、徳島大尉(高倉健)は、オレにはそんな思いは無いなあ、もっと具体的に次は何をしようか、どうしようかと考えるだけさと答える場面が序盤に置かれていて、分かりやすい性格描写だなあと思いきや、クライマックスで回収するつもりの伏線で、そんなことを言っていた徳島大尉が一番つらいときに、自分の子供時代を回想することになるという仕掛けを置いていたのに、場面が離れすぎていて観客にわかって貰えなかったことだった。「小返し」をしておけばよかったと述懐しているけど、この場合の「小返し」は、場面のリフレインのことだろうか。このように、橋本忍は、原作の叙事的な描写ではなく、叙情的な描写に再構築している。

■でも一番ビックリするのは、クライマックスの山岳怪談の件で、もちろん原作小説にはない趣向。この場面など、この映画が叙事ではなく、叙情詩であり、もっとメンタルな物語であることを示している。その意味で、この映画を観るときには、予め橋本忍だからガチガチの硬派な組織批判や権力批判の映画に違いないという予断を捨てる必要がある。

■つまり、自然環境や自然風土と人間の心の動きをテーマとした映画であって、かなり明確に『日本沈没』の姉妹編でもある。日本沈没という地球規模の自然災害を人智で押し止めることはできないけど、その巨体な天災にすら寄り添って、やがて所与の条件として受け入れながら人間は生き続けるしかないのだ。それは第5連隊の自然の猛威に対する姿に通底している。そう描かれるはずだった。その意図は橋本忍森谷司郎に共有されていただろう。でもそのことは観客に十分に伝わらなかった映画と言えるだろう。

■正直、もっと別の描き方があったはずだと思う。まだ自然=神でもあった明治期の人間の感性などをもっと盛り込んで、八甲田山雪中行軍の意義を単に軍事的な意味合いだけではなく、人の神域への挑戦だったという含みをもっと明確にすればよかったのに。クライマックスで山岳怪談にするなら、そうすべきなのに。天は我々を見放した!のセリフもそれで救われるのに。(でもスポンサーが創価学会だから「神」はだめなんだろうね?知らんけど)


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