赤ひげ先生VSスラム・クリアランスの悪魔!『地図のない町』

基本情報

地図のない町 ★★★☆
1960 スコープサイズ(モノクロ) 96分 @DVD
企画:大塚和 原作:船山馨 脚本:橋本忍中平康 撮影:山崎善弘 照明:高島正博 美術:松山崇 音楽:黛敏郎 監督:中平康

感想

最終更新 2022/5/6
■東京近辺のスラム街・東雲町は梓組が市から請け負った市営住宅建設のスラム・クリアランスの危機にあった。しかも若き医師(葉山良二)は妹(吉行和子)が梓組のチンピラに暴行されたことを恨んで、梓組組長&梓建設社長&市会議員のヤクザもの梓(滝沢修)への復讐の機会を伺っていた。。。

■船山馨の「殺意の影」という小説の映画化で、もともと石原裕次郎の主演作として構想されたと言われているが、企画が大塚和なので、裕次郎主演作ということは考えにくいと思うがなあ。しかも、戦後の混乱期に市有地を不法占拠して発生したスラム街を舞台とするから当然モノクロ映画で、とても裕次郎映画の企画とは思えない。素材的には日活本体よりも民芸映画社にぴったりの企画開発と感じる。そもそも劇団民藝の男優陣総出演ってくらいの密度感だからね。

そもそも中平康が原作小説の映画化を企画して橋本忍に頼んだのだそうだ。
そのときは裕次郎の主演を想定していたのは事実らしい。でも、中平康が一人で脚本家に直接発注することは考えにくいから、やっぱり大塚和と一緒に企画していたと考えるのが自然だ。
そのとき大塚和には裕次郎主演というイメージはなかっただろう。

中平康がどの程度脚本に手を加えているか不明だが、橋本忍の作品としてはそれほど優れたものではない。いわゆるリアルな社会派という感じでもないし、人間像も案外ステロタイプで、あくまで犯罪サスペンス映画という風情だ。それが、さいごになんだか取ってつけたような優等生的な独白でテーマを台詞化してしまうのは、どうもいただけない。

■梓組の社長で、市会議員の悪の首魁を珍しく滝沢修が凝った役作りであくどく演じて凄みを出すのは見どころで、この人は超エリートからどすの利いたヤクザものまできちんと演じ分ける真面目な人。というか、新劇界の巨人ですけどね。映画ではこうした単純な悪役は少ないけど、さすがに上手いので、いつものように肩の力の抜けた宇野重吉と劇団トップ同士が直接対決しても、宇野重に勝ち目はない。

■いちばん残念なところは、バラック建てのスラム街に棲む住人たちの背景が描けていないことで、このあたりは民芸映画社で制作していれば、もっとリアルに彫り込まれるところだし、東映だって脇役には脚本に書いてなくてもいろんな含みを忍ばせるところ。当然のことながら、様々な被差別の民が流れ込んでいるはずなので、タイトルバックでスラム街の情景を舐めるように映し出す場面では、それとわかるような美術部の装飾が施してあるが、役者陣にはそうした具体的な役割を振っていない。小沢昭一が白蛇(?)を使う競輪の予想屋を演じるあたりが、それらしい部分だが、嵯峨善兵なんてどんな出自なのか判然としない。そこは、もう少し丁寧に描き分けるべきところだけど、中平康にはそうした草の根的な視点は希薄だ。

もともとコリアンタウンとして知られる川崎市桜本町にロケ・セットを建てて撮っていたが、撮影になるとリアルな在日コリアンたちが取り囲むので気兼ねしながら撮っていたと監督も述べているから、実際にはスラムの出自に対するリアルな認識は当然共有していたが、あえて映画の中には持ち込まず、一般化された細民として描いたものだろう。同様のことはのちの『当りや大将』の釜ヶ崎でも起こる。

■でも犯罪サスペンスとしては捻りも効いて、ちゃんとできているのは橋本忍だから抜かりはない。演出のメリハリも万全なので決してつまらない映画ではないけれど、スラム街のリアリティというか、そこに棲む人々の切実な生活感とか、社会的背景を塗りこめないと、敢えてそこに住む貧乏医師たちの志のありようがステロタイプな正義感にしか見えないのだ。中平康の演出は悪くなくて社会派犯罪映画としては水準以上だけど、若杉光夫の演出なら、もっとハードな映画になっただろうという気はする。
www.nikkatsu.com

参考

芸映画社がスラム街を現地ロケのリアリズムで描いた貴重な作品。
maricozy.hatenablog.jp
小沢昭一はいつも競輪場にいるらしい。
maricozy.hatenablog.jp
社会派サスペンスとしてはこちらのほうがずっとできが良い。
maricozy.hatenablog.jp
山内明が死ぬほど怖い。
maricozy.hatenablog.jp
釜ヶ崎のドヤ街で現地大ロケーションを実施したが、空回り気味。
maricozy.hatenablog.jp

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