釜ヶ崎の街に愛の雪が降るとき!『当りや大将』

基本情報

当りや大将 ★★☆
1962 スコープサイズ(モノクロ) 87分 @アマプラ
企画:大塚和、友田二郎 原作・脚本:新藤兼人 撮影:姫田真佐久 照明:岩木保夫 美術:大鶴泰弘 音楽:黛敏郎 監督:中平康

感想

釜ヶ崎で当たり屋やバクチで日々を生き延びる無軌道な「大将」は、借金を埋めるためにホルモン屋の女将が一人息子のために爪に火をともすようにして貯めたなけなしの学費を騙し取ると、街娼の女と神戸の高級ホテルで散財して使い切ってしまう。それを知った女将は。。。

新藤兼人中平康は名コンビで、いくつも傑作を残しているが、本作は新藤兼人が自分で監督しようと思って釜ヶ崎に泊まり込んで取材したリアリズムを脚本化したオリジナル脚本で、なにか良いホンはありませんか?と新藤のもとを訪れた大塚和と中平康が、ぜひコレを下さいと頼み込んで映画化したもの。だから、脚本だけでなく、原作とクレジットされていて、その分ギャラも上乗せされたはず。

■ただし、新藤本人は以下のように述懐しており、脚本を渡したことを後悔している。

「このころ中平には、問題意識は皆無なんだね。シナリオを無茶苦茶にしてしまった。これにはがっかりした。小手先で喜劇にしようという感じですね。」
出所:新藤兼人『作劇術』

と述べて批判し、

「自分がやるより面白いかなという、シナリオライターの心が出てきて了解したんですが、出来上がりを観て、つくづく残念だった。」
出所:新藤兼人『作劇術』

と容赦なく切り捨てる。

■実際のところ脚本はかなり改変されたようだし、撮り方も全盛期の中平康のものとは異なる。当時の釜ヶ崎は小さなヤクザの組が乱立していて、その全部に挨拶しないと撮影がなりたたず、当然警察にも許可が必要という難条件でのオールロケ撮影ゆえに、制作体制に限界があったことは想像できる。

■それにしてももともとの脚本がそれほどのものだったかとうかは疑問が残る。もっとリアル志向のお話かと思っていたのだが、意外にも寓話的。でもそれも中途半端。

「この映画は、現場でそうとう変更されていますね。」
出所:新藤兼人『作劇術』

■「ドブのキリスト」と呼ばれる地元の刑事がこの街のもんの共通の欠点は「道徳心」が欠けていることだと言わせたあとに、ホルモン屋の女将の事故死でその日暮らしの「大将」が急に改心する展開は、お話の構成としては面白いところだが、あまり心理的な説得力がないし、本来なら必要な感動がない。演出の粘りが足りないのだ。それに魅力的になりそうな脇の登場人物の人間像があまり彫り込まれない。「ドブのキリスト」だって山茶花究が演じる「王様」だって、もっと面白くなりそうなのに、人間像が広がらない。

■それは「大将」に関してもそうで、女将の死で急に罪悪感を覚えて博打場の広場にブランコを作ろうとするのも黒澤の『生きる』の翻案にしか見えない。このあたりは脚本がかなり改変されたようだが、正直なんでこんな展開にしたのか理解し難い。どうも長門裕之と子役を絡ませるのは『にあんちゃん』の成功を意識したものではないか。

昭和35年には山谷で何度も暴動が発生、昭和36年には第一次釜ヶ崎暴動と、全国各地のドヤ街の実態が世間の耳目を集めており、昭和37年当時のリアルにリスキーだった頃の釜ヶ崎で暴挙に近い大規模ロケーションを敢行して、ドキュメンタルな映像を残したのはそれだけで価値があるが、そこに住む虫けらのような人生の機微をすくい取っているとは思えない。

「何やアイツに一番大事なもんが欠けてるわい。この街にいよる奴の共通の傷や。道徳観いうもんがゼロや。」
出所:映画より採録

で片付けられては、たまったものではないだろう(まあ、どぶのキリストが言うから箴言に愛が潜んでいるわけだが)。それに、なにわ映画なのに、なにわ風情も出ていない。『才女気質』で京都風情は見事に表現していたコンビなのに。

■特に前半部分は妙にハイテンションで人間像が相当上滑りしている。警察署長(嵯峨善兵!)の着任から始まって、大将の死は無駄にしないという台詞で締めくくる映画で、ホントにそれでいいの?というなぞの構成。松竹新喜劇ならそれでもいいんだけど。ああ、そうか、藤山寛美が演じればピッタリだわ。でも、新藤兼人の真意はホントにそこにあったのか?
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