感想
■成長した少数民族の最後の生き残りジアはこの世界に自分の居場所がないと悩んでいた。その頃、地底空洞(ホロウアース)から何かの信号が発出されていることを感じ取る。コングは地底世界の更に奥地に分け入り、ゴジラは活動を開始、原発や新怪獣を襲撃して膨大なエネルギーを蓄え始める。地底世界で何が起こっているのか?
■というお話だけど、実際は完全にコング映画。ゴジラはドラマの軸ではなく、地表世界の王としてキャラクターが完成してブレない。だから、本作はほとんど地中世界で展開するし、コングとジア(カイリー・ホットル )が主役となる。それは前作からストレートに繋がっていて、前作が途中から大幅にお話を改変したためバランスが悪かったのに比べて、本作はちゃんとバランスの取れた脚本になっている。それゆえ、前作より(は)面白い。
■髑髏島の少数民族イーウィス族の生き残りというマイノリティで、白人たちの通う学校に通っても自分の居場所はここじゃないという違和感に苛まれる適応障害の少女。それが地中世界での冒険を経て、最終的に自分の居場所、故郷がどこかなのかを自分の判断で選択する。そのドラマが背骨になっているから、どんなに大風呂敷を広げても映画の軸がブレない。その点で、成功していると思うし、正直アイリーン博士(レベッカ・ホール)とジアの関係性に泣かされる。博士号を2つ持つバリバリのキャリアウーマンのアイリーンはジアと出逢って、「彼女のために生きる」と決めて未婚の母娘になる。まるで坂元裕二の『Mother』なのだ。(誘拐はしないけど)
maricozy.hatenablog.jp
■監督のアダム・ウィンガードが怪獣映画に興味ないのは前作でもわかっているから、本作のゴジラ登場場面も実に味がない。怪獣映画らしい現実世界が侵食されるサスペンスを1シーン設ければいいのに、そこは完全に実写漫画映画。でも、本作はゴジラの描写に吹っ切れていて、完全に活劇仕様の筋肉俳優。坂本浩一なら全部ぬいぐるみで撮ると思うけど、あんなことやこんなことをのびのびと演じて、意外と悪くない。ゴジラらしくはないけれど。コロッセオをねぐらにするあたりも、可愛くていいぞ。
■なにしろ地中世界が主な舞台になるので映画の半分以上がCG映像。CG部分はある意味で立体感があるのだけど、地中世界をロケとステージ撮影で描いた本編部分は照明のマッチングも含めて映像のルックが厳しくて、CGとの合成も多くて色調もキレイじゃない。前半の地上場面ではちゃんとレベッカ・ホールがキレイにキュートに撮れていたのに、勿体ないなあ。ステージ撮影の美術装置がけっこう狭苦しいのも残念。大作なのに。
■それにしてもとにかく、猿、猿、猿の惑星!あっちの人って、どれだけ猿好きなのか?怪獣映画ではなく、猿の惑星にしか見えないから凄いよ。スカーキングとかシモ(アンギラス?)とかスコ(コングの息子?)とか、まあどうでもいいんだけど。せっかくモスラを出すのになんでジアが双子じゃないのか?とか食い足りない点ももちろんあるけど、アイリーンとジアの疑似母娘のお話としては、きれいに完結しているので、実はちょと泣かされる。前作の前半で割と丁寧に二人の芝居を撮っていたことが本作で奏功する。そこを観に行ったらいいんじゃないかな!
補遺
■ジアは空洞地球の探検を経て、宿命的に定められた自分の本来あるべきところを見つける。さらにそのうえで、最終的に自分の帰るべきところはどこなのかを、自分の意思で選択する。それが映画のテーマになっていて、同じことはコングのドラマにも設定されていて、並行して描かれる。
■コングは空洞地球のなかで自分のあるべき場所を探して、未踏査エリアに足を踏み入れ、自分の仲間たちがスカーキングに支配されていることを知る。そして地上の王・ゴジラの力まで借りて、地底の王座を奪還して、本来いるべき王座に座る。コングは晴れて地底の王に就任する。それは『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』のラストにきれいに呼応している。
■この世界のなかで、自分の居場所はどこなのか、自分に居場所はないのではないか、と疎外感に思い悩む全世界の繊細な若い衆やマイノリティに向けて、自分の居場所を決めるのは自分自身だよ、自分で決めればいいんだよと力強く訴える、実に真っ当な道徳映画なので、義務教育の一環として体育館などで巡回上映すればいいと、本気で思う。