『とむらい師たち』

基本情報

とむらい師たち
1968/スタンダードトリミング短縮版
(2001/2/23 KBS京都録画)
原作/野坂昭如 脚本/藤本義一
撮影/宮川一夫 照明/中岡源権
美術/内藤 昭 音楽/鏑木 創
監督/三隅研次

感想(旧HPより転載)

 デスマスク屋の主人公(勝新)は人間の死に尊厳が喪われていることに腹を立て、みずから理想の葬儀を求めて”国葬”という会社を設立して葬儀演出家となるが、事業が営利に傾きすぎたことを反省して、事業からは離れ、万博に対抗して人間の死の意味を問いかける”葬博”を企てる。しかし、その開催を待たず飛来した某国の核ミサイルによって日本はふたたび焦土と化す。

 如何にも昭和43年当時の時代の空気を濃厚に伝える三隅研次の異色作。倒産間近で企画の混迷が顕著な当時の大映京都ならではの怪作といえるだろう。戦火に焼かれて数多くの命が喪われたことなどすでに記憶から薄れて高度経済成長に酔っていた当時の日本にもう一度劫火の洗礼を受けさせるという野坂昭如の怨念がここではグロテスクな戯画として描かれる。

 ここでは奇想として描かれる葬儀の企業化はそのほとんどが今や当然のこととして日常と化しているのだから、考えてみると実に恐ろしいことでもある。

 伊藤雄之助、藤村有弘、財津一郎遠藤辰雄といった喜劇寄りの濃厚なメンバーを揃えながら、当時の石井輝男の異常性愛路線や増村保造の「盲獣」等のエログロブームにも呼応して、スペクタクルな水子供養のシーンでは日野日出志まがいの毒々しい地獄絵が白日の下に披露され、参列の婦人連のみならず誰しもが陰鬱な怨念を共有することになる。

 惜しまれるのは、主人公が後半のめり込むことになる”葬博”の衛生博覧会めいたグロテスクさが内容、スケールともに中途半端なために主人公の狂気にも似た死の意味を再生させようとする執念が十分に表現されていないことだろう。

 しかも、今回観られたのはかなり刈り込まれた短縮版ということもあり、クライマックスの展開は相当に唐突で、劇映画のセオリーが成立していないように思えるのだが、それこそが藤本義一の狙いだったのか、あるいは三隅研次の企みだったのか、まさに唐突に、あまりに唐突に日本は水爆によって滅び去ることになる。

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