バブルは崩壊し、1999年にレイバーは暴走する!今となってはすべて”昔話”だけどな!『機動警察パトレイバー the Movie』

基本情報

機動警察パトレイバー the Movie ★★★★
1989 ヴィスタサイズ 99分 @DVD
原作:ヘッドギア 原案:ゆうきまさみ 脚本:伊藤和典 作画:黄瀬和哉 音楽:川井憲次 監督:押井守

感想

■同じ映画は何度も観ない主義(?)だけど、なんやかんやで本作は一番多く見ているかもしれない。どんだけ好きやねん?と自分に突っ込みたくなる。

■とにかく脚本が良くて、情報量の多さも特徴だけど、ちゃんと終始サスペンスが効いているところが貴重。しかも押井守はアクション主義ではないので、約100分の映画なのにクライマックスの方舟殴り込みなんて15分くらいしかないのだ。1時間かかって、やっとシバシゲオの自宅で、風洞効果と共鳴現象による暴走のメカニズムが解明されるので、ほんとにロボットアクションは少なめ。

■でもレギュラーキャラクターの説明は省略できるので、いきなり事件から入って、事件の究明だけに集中できる。なので、100分程度のコンパクトな映画でもあり、観始めると止まらないのだ。

■今回改めて認識して驚いたのは、バブル崩壊前の映画だったこと。つまりバブル全盛期に作られて公開された。バブルに浮かれながら、その危うさをなんとなく感じ始めた時期だったろうか?いや、まだまだみんな浮かれて踊っていた時期だ。だから、ホバエイイチの原風景は1999年のそれではなく、1988年の記録なのだ。スクラップアンドビルドを繰り返しながら永遠に増殖を重ねてゆく運命を課された虚栄の都・東京。だが、生粋の東京人押井守はそこに失われてゆく東京に対する郷愁を重ねる。非東京人であるわれわれにとっては、東京なんてそもそも最初からそんな都市であったはずなのに。

■今の技術で作れば方舟の崩壊はもっと大掛かりで精細な大スペクタクルになるはずだが、そこはさすがに当時の技術では厳しい。後藤隊長がホバエイイチについて語るうちに、冒頭のホバと全く同じ顔になっている場面に、このたびやっと気づきました。

■あえて言えば、劇中の古いCGショットをもう少し綺麗にリメイクして差し替えても良い気はする。ほんとはやってはいけないことなんだけど、他の手描きアニメ部分が今見ても魅力的なので、明らかに古臭く見えるから、これはギリギリあり得るのではないか。ダメかな?


押井守と辻本貴則が深夜の密談?あの頃、ボクらは痛かった『花束みたいな恋をした』

基本情報

花束みたいな恋をした ★★★☆
2021 ヴィスタサイズ 124分 @アマプラ
脚本:坂元裕二 撮影:鎌苅洋一 照明:秋山恵二郎 美術:杉本亮 音楽:大友良英 監督:土井裕泰

感想

■2015年に偶然であったサブカル好きの大学生の麦(菅田将暉)と絹(有村架純)が勢いで同棲を始めるけど、当然ながら卒業すると生活が苦しいので働き始めると、麦は世間ずれして絹の思いとすれ違い始める。。。2020年の今から振り返る、若すぎた二人の痛いけどキラキラした同棲時代(遠い目)。。。

■という、非常にシンプルなストーリーラインの青春映画&恋愛映画で、誰も難病にならないし、主役も死なないという、いまどき珍しい真っ当な青春映画で、なんだかとてもすがすがしいし、心がヒリヒリ痛い映画。公開当時ヒットしたし、評価も高かったけど、確かに映画館で観たかったよなあ。後半のすれ違いの場面よりも、むしろ前半の二人のサブカルな結びつきの顛末がとにかく魅力的でキラキラしているので、そこだけずっとエンドレスで観ていたい気がする。もちろん『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』が下敷きになっているけど、むしろこっちのほうが良いなあ。

■二人を結びつける「神」が押井守で、本人が出演しているので大笑いだけど、その話し相手が辻本貴則というのも、なんとも珍味。それ誰が嬉しいの?そして、イアホンの左右を二人で聴いていると、右チャンネルと左チャンネルは別の音楽が入ってるんだぞと、突然説教を始めるめんどくさい親父(音楽職人?)が岡部たかしというのも傑作。しかも冒頭のトリッキーなエピソードにつながる重要場面だからね。おまけに、すれ違い始めた二人が出かけるはずが、絹しか行けなかった舞台が劇団ままごとの代表作『わたしの星』というのも実にマニアックで、要はそうしたサブカル要素のどこかが琴線に響くように作ってあるわけ。しかも、二人の関係が所詮は「ままごと」であることの隠喩になっている。でも、ままごとゆえに甘さや夢があるわけで、それは青春の記念碑なのだ。まあ、リア充じゃない方のサブカルオタクの皆さんには、縁のない世界。でも、それゆえに響く夢物語でもあって、そこが受けたのかも。

■今どきの同棲生活はお金はないはずなのに妙におしゃれで、これが70年代ならちゃぶ台が置いてあったりする安アパートだろうし、女優は濡れ場で堂々とおっぱいを出すだろう。このあたりは、ロートルの大物脚本家(誰?)などが待ってましたとばかりに突っ込むところだろうけど、まあ実際そこはもっと映画的には突っ込んでほしいところ。有村架純は好演だけどね。

■製作プロダクションはフィルムメイカーズ、リトルモアで、東宝系の製作体制かと思いきや、どうも違ったようだ。でも雰囲気的には東宝の青春映画の系譜に近いと感じたなあ。そこが妙味なのだ。



参考

映画に登場する『わたしの星』は、まさにこの舞台の再演時の様子を描写していたのだ!NHKで放映されたのは初演時の模様。
maricozy.hatenablog.jp
土井監督はこれも悪くなかった。玄人筋のおじいさん世代にはいろいろ突っ込まれるけどね。
maricozy.hatenablog.jp
こんな青春映画もありました。『恋は雨上がりのように』も良かったよなあ。続編ないけど。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
辻本貴則は最近ウルトラなどの特撮ドラマで大活躍です。ブレーザーはちょっと大人しかったけど。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp

maricozy.hatenablog.jp
テレビドラマ『カルテット』は軽妙で良いですよ。かなり良い。
maricozy.hatenablog.jp

1970年、公害と戦争の渦中に敢えて「人類の進歩と調和」を標榜する!その系譜はミャクミャクがちゃんと受け継げよ!『公式長編記念映画 日本万国博』

基本情報

日本万国博覧会 ★☆
1971 スコープサイズ 173分 @DVD
総プロデューサー:田口助太郎 脚本構成:田口助太郎、伊勢長之助、谷口千吉 撮影監督:植松永吉 編集:伊勢長之助 照明:山根秀一 音楽:間宮芳生 総監督:谷口千吉

感想

■1970年の前半に大阪千里丘で開催された日本万国博を記録した公式記録映画で、なにしろ公式記録なので、尖ったことはぜきず、どこまでも平板な記録映像の連続で、途中で休憩の入る3時間映画だけど、全部観るのにさすがに数日かかった。ちょっとした苦行でした。でも、劇場公開時は大ヒットしたらしいから、みんな万博行きたかったんですよ。

■見ごたえがあるのはオープニングとエンディングの大スケールの動員のあたりで、中盤の各パビリオンの紹介はひたすら退屈。だいたい、各国の踊りや祭りが紹介されて、当時はまだ物珍しさがあったのかなあ?あ、そうそうあとはファッションですね。各国のホステス(!)の皆さんのファッションは今見ると極めて未来的で洗練されています。50年前ですけどね。

■さらに今見ても凄いのは各パビリオンの建築物のデザイン、造形の凄さ、ですね。まさに未来志向の、デザイン優先の実験的な建物。全く実用的ではなく、維持はできないけど、見た目のインパクト重視のおもしろ建築。『ガメラ対大魔獣ジャイガー』ではついに万博会場に大怪獣が殴り込み、と思いきや予算の制約もありあまり踏み込めないし、大御所ゴジラだって東宝が一番シビアな時期なので、大阪上陸どころか映画製作すら実現せず、むしろ公害問題にターゲットを絞り込んで一撃必殺の殴り込みをかけた。なにしろ日本映画界が一番困難な時期なので、万博の異様な盛り上がりに比べて、映画界の反応は冷淡、とうかほぼ無視ですね。真正面から取り上げるだけの、体力がなかった。山田洋次スタインベックの『怒りの葡萄』を翻案した『家族』で万博の様子を点描したけど、まあ傍観者という感じですよ。世間は(特に関西では?)万博に盛り上がっているけど、そんなのいっときの風俗に過ぎないですよ、という姿勢。もっと批評的な描き方があっても良い気がしたけどね。

■さらに驚くのは「人類の進歩と調和」を掲げながら、ちゃんと公害の問題や、戦争の問題をパビリオンに織り込んでいること。なにしろ1970年当時、まだベトナム戦争の真っ最中だし、冷戦の真っ只中。当然無視はできない。すでに公害の存在も大問題となっていて、人類の未来に対する危機感も台頭していた。なにしろ、『ゴジラ対ヘドラ』は公開こそ1971年7月だけど、撮影は1971年の冬だったのだから、この映画の公開前なのだ。

■しかしというか当然ながら、当時の世相が万博をどう捉えたかは描かれない。学生運動もすでに衰退期に入っているけど、当然激しく反対していたはずだし、当時のテレビはどう伝えていただろうか。それにラジオの深夜放送などは、何を伝えていていただろうか。さすがにそのあたりのリアルを知らない世代なので、むしろそっちに興味は向かう。

■そしてあれから50年以上経って、2025年に大阪・関西万博が再びやってくる。ミャクミャク様は「いのち輝く未来世界のデザイン」のシンボルらしいけど、なんだか当たり障りのない茫漠としたテーマだなあ。「人類の進歩と調和」という格調高く巨視的で硬派な問題意識と比べると、ずいぶん無難な今風なテーマ設定だよね。ゆるふわだなあ。。。そして、今度こそ大阪万博を大怪獣が蹂躙する映画を観たいので、そこんとこよろしくお願いします!


参考

この映画はもちろん観てますが、古すぎて記事がないのだ!

野坂昭如らしい諧謔精神で批判的に万博を捉えると「葬博」になる。そんな発想がいまの必要なんだけど。
maricozy.hatenablog.jp
ジョン・フォードの『怒りの葡萄』て、いい映画でしたね。もちろん原作小説も良いんだけど。山田洋次は『家族』で翻案した。いい度胸だよね。
maricozy.hatenablog.jp

尋常じゃないのはよく分かるけど、多分オレには神代は一生理解できない『かぶりつき人生』

基本情報

かぶりつき人生 ★★
1968 スコープサイズ(モノクロ) 94分 @アマプラ
企画:大塚和 原作:田中小実昌 脚本:神代辰巳 撮影:姫田真佐久 照明:岩木保夫 美術:音楽:眞鍋理一郎 監督:神代辰巳

感想

■うち(殿岡ハツエ)のおかあちゃん(丹羽志津)はデブデブの中年女やけど30代気取りのストリッパーや。あんなだらしない女にだけはならんとこ思たけど、わてもダンサー経由でピンク映画のスター女優になってもうたわ。けど、昔好きやったヤクザ者が訪ねてきて、ややこしいことになってしもうて。。。

神代辰巳の伝説的な監督デビュー作で、全くヒットしなかったので、以降干されてしまったという因縁の映画。でも、神代は恋女房だったスター女優の島崎雪子との離婚後、主演の殿岡ハツエに惚れ込んで再婚した。そっちには疎いわたしらオタク世代には全く理解不能なおとなの世界ですな。

■でもヒットしないのは事前にわかっていたはずで、併映が磯見忠彦監督の『ネオン太平記』という新人監督週間なのだから、はなから捨て駒のエロ路線で、なにしろ日活のスターは一切出ていない低予算映画。そういえば『ネオン太平記』もスタッフはイマヘイ組で、完全に被っている。日活では時々起こるけど、姫田真佐久のキャメラマン週間だったわけだ。殿岡ハツエはもちろん、強烈な助演の丹羽志津も無名だし、男優に至っては、見分けがつかないレベルの大部屋俳優が起用されるから困惑する。そこはホントに勿体ないと思ったけどね。もっと有名な男優を起用すれば、それだけで格が上がったし、劇的な効果も違ったはず。『ネオン太平記』にはカメオ出演を含めて有名人が(無駄に)いっぱい登場するから、その対比も寒々しい。

■母娘の相克を描くのかと思いきや、あくまで主演は殿岡の男性遍歴のほうで、母親に反発しながら男を渡り歩き、母親とは微妙に違う世界で成功しピンク映画のスター女優になるが、妬みから小娘に殺されそうになるし、昔好きだったやくざ者に刺されるし、それでもあくまで前向きに貪欲に生きようとする女の生命力を描くのだが、同じ姫田真佐久が撮っていてもイマヘイとは描きぶりが全く違うのが凄いところ。姫田キャメラマンはモノクロ撮影では多他の追随を許さず、本作も撮影の凝り方は凄い。前編ロケ撮影だけど、カラー撮影の『極道ペテン師』と比べてもレベルが違う。どれだけ粘ったのかと感じる本気の仕事。

■製作は大塚和なので、基本的にリアル路線だけど、この脚本は疑問があるなあ。大塚和なので劇団民藝の仲間たちを起用しそうなところ、その筋は全く無く、純粋な風俗エロ映画として忌避されたのだろうか。それにしても、神代辰巳の脚本はとてもオーソドックスなものではなく、正直あまり面白くないし、よく大塚和がOKしたなあと不思議に感じる。『ネオン太平記』のほうがまだ分かりやすいけど、あれは弟子筋の友田二郎の製作だ。

■でも、関西女の土性骨を描く女性映画かといえば、そうでもなく、妙にファッショナブルな映像や音楽だったり、当時流行の雰囲気映画的な狙いも散見されたり、土俗路線なのか、おしゃれ路線なのか、狙いが判然としない。その当たりも、神代辰巳の掴みどころのなさだ。


参考

『ネオン太平記』と同時上映だったのだ!
maricozy.hatenablog.jp
神代辰巳の映画はどうも掴みどころがなくてよくわからない。むしろテレビ映画のほうがしっくり来る。円谷プロでも撮ってるよ。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp

戦後24年、まだ戦争は終わっていない!もともとは「喜劇 ゲリラの群れ」だった野坂昭如原作の力作『極道ペテン師』

基本情報

極道ペテン師 ★★★
1969 スコープサイズ 93分 @アマプラ
企画:友田二郎 原作:野坂昭如 脚本:村井良雄、千野皓司 撮影:姫田真佐久 照明:松村文雄 美術:徳田博 音楽:林光 監督:千野皓司

感想

釜ヶ崎に住むペテン師集団の頭目カンパイ氏は、昨年の交通事故のせいでインポ状態だ。仲間たちといろんな奇抜な詐欺を働くが、ある日、自分のことをお父ちゃんと呼ぶ少年ケン坊がつきまとい始める。ブルーフィルムの女を母ちゃんだと呼んだことから少年の母親探しが始まるが。。。

■日活出身の千野皓司という監督は、なかなか掴み所がない人で、日活が傾いてから監督デビューしたので映画界では良い待遇を得られなかった。石原プロに抜擢された『ある兵士の賭け』ではPとの対立から降板してしまい、映画界からは遠ざかる。むしろユニオン映画製作のテレビ映画で頭角を現し、売れっ子になった。でもその後、テレフィーチャーの時代になって急に充実期を迎え、『密約 外務省機密漏洩事件』『滋賀銀行九億円横領事件 女の決算』『深川通り魔殺人事件』などの実録路線で傑作を連打した(実は未見!)この頃の活躍がなんといっても絶頂期だろう。でも個人的には赤川次郎原作の軽サスペンス『ママに殺意を』が忘れがたい。市毛良枝が絶妙に色っぽかった頃の傑作。(もう一度観たいなあ)
maricozy.hatenablog.jp

■さて、本作はノーベル書房の映画製作プロダクションであるノーベルプロダクションが製作、日活配給なので、外部作品だけど、スタッフは日活の第一線。友田Pなので、今村組スタッフが取り組んだが、釜ヶ崎で長期ロケを行ったため、途中で製作費が切れて撮影中断となった。中平康も『当たりや大将』で釜ヶ崎ロケを敢行して苦労したわけで、現場では当然いろんなことが起こるわけです。ただ、姫田キャメラマンはなんといっても、モノクロ撮影に妙味があるので、これもモノクロで撮るべきだった。予算や現場的な制約で照明効果などかなりラフなのでね。モノクロで撮れば、確実に映画の格が上がったと思う。
maricozy.hatenablog.jp

■インチキ新興宗教をでっち上げたり、政治家のニセモンを演じたりのコミカルなエピソードは意外と冴えなくて、そこは千野皓司の資質の問題かもしれない。でも後半に謎の少年が登場するあたりから急に描写が生き生きとしてくるが不思議。ロケ撮影(車載の長廻し!)にもなんだか気合が入ってくるし、冒頭に置かれた不発弾のエピソードの発展や演出も意表を突くし、グッと真剣味が増してくる。邪魔な子どもをどうしようかと仲間で話し合うと、◯◯しちゃうんだよねということが、ある意味当然の選択肢のようにみんなの気持ちに現れてくるのが実に怖い。でもこの当時の人権状況を如実に表現しているわけです!当時はこんな感じだったんですよ。いや、今も?
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp

■終盤になって映画のテーマがストレートに表出されるあたりが圧巻で、アメリカに隷属する現実の日本の姿と、戦争はまだ終わっていない、当時の(今も?)現実をフランキー堺が打ち出す。もちろんフランキー堺の配役には『私は貝になりたい』とか『世界大戦争』とかのイメージが付託されている(はず)。誰が少年を◯◯したのか?ゲバルトは学生運動の専売特許やあらへんで!でも林光の意外にも楽天的な楽曲が、妙に希望に溢れたラストを彩るのは、1969年の高度経済成長期の日本の余裕なのだ。ほんの3,4年後には『日本沈没』で『ノストラダムの大予言』なので、終末思想に覆われることになる。まだまだ、お気楽ないい時代だったのだ。

■伴淳の娘でストリッパーを演じる川喜多純子という女優が凄い実在感なんだけど、これ一作しか出ていないようだ。どこから連れてきたのか?一方、梶芽衣子まで脇役で出ているけど、随分ひどい扱いで、よく出たよなあ。


日本のドキュメンタリー産業・技術編『潤滑油』『ある機関助士』『68の車輪』『超高層のあけぼの』

『潤滑油』


www.youtube.com
www.kagakueizo.org
■1960 25分 脚本:吉見泰 撮影監督:小林米作 演出:竹内信次 照明:田畑正一 音楽:池野成

■硬い金属の擦れ合う間にぬるっと入って、摩擦を減らす潤滑油とその効果を持続する様々な添加剤の大活躍を紹介する産業映画だけど、音楽が池野成なので終始不穏な雰囲気に包まれる異色作。中盤には『白い巨塔』のテーマ曲も聴けます。

■基本的に綺麗にかつ重厚に撮ることを意図していて、工場での照明もバッチリ。なにしろ劇映画のライトマンを起用している。摩擦を吸収して汚れて酸化した潤滑油の顕微鏡映像など、アブストラクトでシュールな映像も見どころで、独特のトリップ感覚も味わえて、60年代後半のドラッグ感覚を先取りしているかも。

■映像はがっちりと構えて硬派なんだけど、イメージ映像的な印象も強くて、相当な異色作という感じですね。

『ある機関助士』


www.youtube.com

■1963 37分 脚本&監督:土本典昭 撮影:根岸栄 音楽:三木稔

ウィキペディアによれば、もともと1962年の三河島事故特捜最前線の傑作回があったなあ!知ってる?)を受けて、国鉄がその安全性を宣伝するために企画した宣伝映画だが、岩波映画が(がんばって)落札し、土本典昭がデビューした重要作で、その筋(ドキュメンタリー畑)では有名な映画らしい。受賞歴多数なのだ。

蒸気機関車の機関助士を主人公として、国鉄労組の協力も得て、当時の国鉄の労働現場や労働環境がリアルに描かれるので、これは今見ても新鮮に感じる。機関士との会話も、先頭車両は吹きさらしで轟音に包まれるので、大声&独特の手振りサインで行われる。当然、労働者はばい煙にさらされて煤だらけになる。石鹸でごしごし顔の黒ずみを落とす場面なども、当たり前の記録だが、妙に強く印象に残る。それが映画なのだ。

■操車場でおじさんがポイントの切替器を、両方の手足でフルに使って踊るようにして操作する場面なども、初めて観たけど、凄い労働であり、技術だし、非常に映画的なシルエットとアクションなので感心した。主役じゃないけど、土本監督も現場で観て、これは撮らねばと思ったに違いない。まるで宮崎駿の映画みたいなのだ。

■純粋な宣伝映画ではないし、左翼系映画でもなく、純粋なアート映画でもない不思議なポジションを開拓してしまった映画だな。

『68の車輪』


www.youtube.com
www.kagakueizo.org
www.kagakueizo.org

■1965 32分 脚本:吉見 泰 演出:森田実 音楽:山本直純 撮影:入沢五郎、春日友喜、加藤和三 照明:田畑正一、土田定夫 解説:城 達也

日本通運シュナーベル式トレーラで、東電が発注した巨大な変圧器を発電所まで運搬する様子を記録した重厚な記録映画。

■なにしろ超重量なので、途中の木橋やあぜ道を全部補強しないと通れないから、その補強作業を並行して行いながら、何日もかけて時速2キロとか5キロの低速走行を続ける。その巨体の通過する田園風景は、今では想像もできないのどかさだ。

■なにしろ、巨大トレーラは、そのまま東宝特撮映画やサンダーバードの超兵器に見えるから、ドキュメンタリーなのに、ミニチュア特撮に錯覚するという変な感覚を味わう。牧歌的な農村の細道を、長大な鉄の塊が通過するだけで心躍るのは、特撮者の性だろうか。音楽を伊福部昭に差し替えれば、完全に特撮映画のワンシーンになるはずだ。途中で何箇所も通行の難所があり、ひとつひとつクリアしてゆくサスペンス映画でもある。まるで『恐怖の報酬』ですね。

■その運転手や補強工事を行う人足といったはたらくおじさんの姿を描いた労働映画でもあるし、野次馬の大人やこどもたちの姿も貴重な記録だよね。そして、本作品もその筋では有名作らしいです。

『超高層のあけぼの 霞ヶ関超高層ビル・第1部』

■1966 27分 脚本&監督:板谷紀之、石松直和 撮影:大野洋、賀川嘉一

■日本の超高層ビルの嚆矢となった霞が関ビルの構想段階を描く第1部で、第2部は未見です。ちなみに、このあとで関川秀雄監督が劇映画『超高層のあけぼの』を撮りますが、別の映画です。でも製作母体は鹿島建設なので、姉妹作とでもいいましょうか。

■これまでのように狭い敷地に容積率ぱつぱつの建物を建てるんじゃなくて、建物の周囲に余白を作って環境や交通や人流に配慮するためには高層化して容積を確保するしかないということで、法規制が緩和されて、霞ヶ関にでっかいビルが建ちました。『怪獣総進撃』では早速ファイヤードラゴンの餌食になりました。その前にはシーボーズも登ってましたね。(未完成なのに)

■見どころは、耐震性能や風の影響などを当時のコンピュータや模型でシミュレーションする場面とか、周辺の公園の様子の模型が妙にかわいいといったあたりが印象的ですね。この映画は非常に癖のない、誰にもわかりやすい、楽しい映画なので、万人向けですね。これに比べると『潤滑油』とか『ある機関士助士』は、アート系に見えます。

ついに観た!姫が恋しい親鸞の青春悶々物語『親鸞』

基本情報

親鸞 ★★★
1960 スコープサイズ 147分 @東映時代劇youtube
企画:坪井与、辻野公晴、小川貴也 原作:吉川英治 脚本:成沢昌茂 撮影:坪井誠 照明:和多田弘 美術:桂長四郎 音楽:伊福部昭 監督:田坂具隆

感想

■以前から是非見たいと思っていたのだが、DVDは出ていないし、京都の映画館ではかからないし、どうしたものかと思っていたら、youtube東映時代劇チャンネルでさらっと配信されているので、びっくりして早速観ましたよ。画質も期待していなかったのですが、実にきれいなリマスターで、なんでDVDとか出さないのか不思議なことだ。きっと親鸞の描き方について仏教界となんらかの齟齬があり、事実上の封印映画になっているのかと勘ぐっていたのだが、別にそうでもなかったようだ。そもそも映画のクレジットに仏教団体の名はなく、後年のように仏教界が製作費を出したわけでもなさそうだ。

www.youtube.com

■基本的に親鸞の生涯は不明な部分が多くて、そもそも実在したのかも疑われたくらいなので、吉川英治の小説もほとんどは小説家の創作によるけど、映画版はそれをさらに大幅に改変しているようだ。しかも、二部作の続編で完結する構成で、本作ではまだ親鸞は凡夫として無明の闇の中にあるし、法然すらまだ出てこない!

親鸞中村錦之助)は比叡山の修行を終えて京の都に戻ってきてもまだ悟りの境地にはなく、法隆寺に再修行に出かける。京の都に戻って師の慈円大河内傳次郎)が詠んだ恋歌に関する女犯の批判に見事に反駁して門跡に補せられるが、関白(千田是也)の娘(吉川博子)への思慕を断ち切れず、無明の闇を彷徨う。。。

■というお話で、冒頭の遊女に絡まれる場面で、比叡山の僧侶の堕落ぶりと、女犯(にょぼん)の罪が本作のテーマであることを明確に示す。青年親鸞の懊悩を誠実に追うことが映画の眼目であり、日活から東映に移籍して第一作の本作は、たしかに力が入っているのはわかる。助監督のサードかフォースあたりに中島貞夫がついていて、映画づくりの醍醐味を田坂組で教わったと述べているから、時間と金をかけて取り組んだ大作である。東映時代劇の全盛期なので、ステージセットが広大で、そこは大映時代劇を上回る。ただ、キャメラが寄ると、美術装置の質感の低さが露呈するのは東映の限界。でも、リマスターで観ると、ホントに眼福なので、それだけで満足する。

中村錦之助の演技も、本当に全盛期の一番いい頃で、青年らしいナイーブさが残っていて、実に誠実な演技で見応えがある。田坂監督も気力十分なので、比叡山での錦之助の大演説の場面も、巨大なセットでクレーンで堂々とキャメラを引きながら、同時録音で見せる。撮影ステージの機材のギシギシいう物音(多分クレーンの車輪がステージの床を踏む音)まで綺麗に拾っているので臨場感と緊張感が凄い。

■ただ、一番気になるのは、浄土系仏教の教義がほとんど描かれないことで、そこは法然と出会うはずの続編で集中的に描く予定なのかもしれないが、それでもあまりに希薄なのが気になる。僧侶が女性を愛することが認められるのか、そこだけにテーマを絞ってしまったので、そもそも、鎌倉期の民衆の苦しみとか救いを求める心情がほとんど描かれない。浪花千栄子の老婆のシーンくらいのもので、演技も演出も秀逸だけど、不十分だ。そのあたりは後年のアニメ『手塚治虫ブッダ』のほうが的確に点描する。

■この時期の宗教映画はなぜか肝心の教義を描くことを避ける傾向があり、『日蓮と蒙古大襲来』だって『釈迦』だって、物理的なスペクタクルを描くことに頼って、宗教者としての肝心の部分を描こうとしない。そこについて革新を行ったのは後年の『人間革命』『続・人間革命』で、橋本忍は大真面目なので、時間をかけて真剣に教義を研究したうえで、通俗的に受ける劇的要素を決め込んで作劇して、実際、異様な成功を収めた。その多くは丹波哲郎とのコラボによる突然変異だけど、他の宗教と異なる独自の宗教教義を真正面から絵解きするという、ありそうでなかった見世物を成立させたのだ。

■が、本作では浄土系宗教の教義ではなく、宗教者親鸞の青春の懊悩にテーマを見出すのだ。それは、親鸞がまだ教義を見出していないからなのかもしれないが、であれば続編でしっかりと描かれるのだろうか。続編もぜひyoutubeで見せてほしいものだが。じゃないとお話が完結しないよ。東映さん、頼んだよ!


参考

maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
これは画期的な宗教映画だったと思います。なかなか真似できない芸当。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
浄土系仏教の教義はこの映画をみると腑に落ちますよ。SFだけど。
maricozy.hatenablog.jp
でも宗教映画の最高峰はコレ!最高だと思います。南無阿弥陀仏
maricozy.hatenablog.jp

地獄の底から”アレ”が来る!怪獣の出ない怪獣映画だった、わくわくホラーの快作『来る』

基本情報

来る ★★★☆
2018 ヴィスタサイズ 134分 @DVD
原作:澤村伊智 脚本:中島哲也岩井秀人、門間宣裕 撮影:岡村良憲 照明:高倉進 上野敦年 美術:桑島十和子 音楽: 坂東祐大ほか VFXスーパーバイザー:柳川瀬雅英、桑原雅志 監督:中島哲也

感想

イクメンパパを偽装する男(妻夫木聡)の周りで怪奇現象が頻発する。子供のころの隠蔽した記憶の底に残るあの出来事が関係しているのか?親友の民俗学者青木崇高)が胡散臭いオカルトライター(岡田准一)経由で紹介してきたのは、霊媒能力があるというキャバ嬢(小松菜奈)だったが。。。

■なんとなく怪作という噂は聞いていたのだが、これはなかなか見どころのある怪奇映画、いやオカルト映画の力作だった。でも、怪奇映画としての肝心なところは意外と冴えず、怪異描写など新味はないし、そこを見せたいという映画ではない。むしろ、怪獣の出ない怪獣映画に見えるし、子どもを媒介として、人の心の地獄を覗き見る地獄映画の系譜に見える。そして、怪奇映画としてではなく、怪獣の出ない怪獣映画、地獄映画として成功している。

■そもそも『ぼぎわんが来る』という原作小説の映画化なのに、「ぼぎわん」は描かれない。「ぼぎわん」がなにかという謎解きや、説明も無い。だから怪奇映画ではない。でもテーマは明快で、古来より現世と異界をつなぐ境界的な存在でありつづける子どもという不思議な存在とおとなの関わりであり、子どもに対する罪悪感が、おとなの心を地獄に引き寄せる。文字通り三途の川が登場するので驚くけど、中川信夫の『地獄』とか神代辰巳の『地獄』や石井輝男の『地獄』の系譜。

■映画としての美点は妻夫木聡黒木華岡田准一の心の地獄がちゃんと描かれているところで、怪異描写の平凡さに比べて、こちらの方に力が入っている。さらに、霊媒キャバ嬢の小松菜奈はすごい化け方だし、最終的にその姉である大物霊媒師として丹波哲郎クラスの存在感で松たか子があっぱれな怪演を見せる。こうした漫画的なありきたりな役柄はたいてい安易な描写になって、全く説得力を持たないのだが、本作の松たか子の演技は完璧で、わが国の霊的防衛に関するプロフェッショナリズムの存在を納得させてしまうから凄い。このキャラクターには『ガメラ3邪神覚醒』の山咲千里も入り込んでいるし、もうひとつの『帝都物語』かもしれない。

■大物霊媒師の登場は後半に物語をヒートアップするし、アレの霊的誘導及び迎撃作戦のサスペンスは完全に怪獣映画の呼吸で、燃える見せ場で、伊福部節が流れないのが不思議な感じで、アレを迎え撃つために全国の霊能者が招集される場面も、噂には聞いていたけど、確かに凄い。三軒茶屋ババアでおなじみの柴田理恵が、また新たな怪演レパートリーを見せるし、なにしろまあ見事な配役。三軒茶屋ババアのキャリアは伊達じゃなかった!アレのお祓い大作戦はほとんど”祭り”として演出されていて、”祭り”が”祀り”であった記憶を呼び覚まし、波及して、そもそも怪獣映画が怪獣の襲来とお祓いを描く、つまり怪獣を祀る、”お祭り映画”であることを自覚させる。

■そういえば『進撃の巨人』は当初中島哲也が大幅にアレンジして映画化する計画だったので、実現すれば凄かったかもしれないなあ。意外と怪獣映画要素が反映していたのじゃないか。本作の場合は「ぼぎわん」をストレートに描いてしまうと完全に怪獣映画になるので、それを避ける意図があったのではないかな。まあ、原作小説を読んでいないので、詳細は不明だけど。ちなみに2016年『シン・ゴジラ』以降の東宝映画ですね。


『永遠の0』を再見する

■『ゴジラ-1.0』を観ると、明らかに『永遠の0』の続編的な性格を有しているので、改めて再見したけど、やっぱりあまり大したことなかった。ドラマ的には新鮮な視点がないし、ドラマも役者も演出も妙に生硬で、なんだか堅苦しい教育映画みたい。家族のために生きて還ることを願い、特攻作戦を嫌悪していた兵士宮部久蔵がなぜ最終的に特攻作戦に志願したのかという謎を追う心理ドラマだけど、正直あまり説得力も意外性もない。

夏八木勲は封切り時には物故しており、平幹二朗も2016年に亡くなっていが、山本學橋爪功も健在。彼ら大ベテランは、でもステロタイプな役柄で、結局みんな田中泯の引き立て役に過ぎないのが残酷。橋爪功なんて、よくあんな平板な役(説明役)を引き受けたなあ。仮にも杉浦恭介(@京都迷宮案内)として、すべての美談や建前を疑ってかかるひねくれ者が当たり役なのにね!特攻作戦の美談なんてまっさきに疑ってかかるはずの人なのに!それに前にも書いたけど、吹石一恵は無駄に綺麗すぎて、逆に可哀想。もっといい役つけてくださいよ!そして、狂言回しであまり美味しいところのない三浦春馬。もうこの世界にはいないのだ。。。後年の『太陽の子』良かったのになあ。
maricozy.hatenablog.jp

■実際のところ『ゴジラ-1.0』は山崎貴のドラマ演出家としての不出来な部分が、キャラクター映画としての見せ場やVFXの見せ方のうまさでいい塩梅に中和されて、なんだかそれなりのドラマがあったかのように錯覚させてしまった、絶妙なバランスで成り立った佳作だったという気がする。

六ちゃん嫁に行く😭『ALWAYS三丁目の夕日’64』

基本情報

ALWAYS三丁目の夕日’64 ★★☆
2012 スコープサイズ 144分 @DVD
原作:西岸良平 脚本:古沢良太 撮影:柴崎幸三 照明:水野研一 美術:上條安里 音楽:佐藤直紀 VFXディレクター:渋谷紀世子 監督、脚本、VFX山崎貴

感想

■シリーズ三作目で、なんといっても蛇足感が否めないし、意外にもVFXの見せ場は少ない。しかも、最近の山崎貴の映画に比べると明らかにVFXのクオリティが甘いので、逆に言えばこの10年間に大幅に白組は進化したわけですね。

■六ちゃん(堀北真希)が青年医師(森山未來)と結婚する話と、淳之介(須賀健太)がこっそり小説家デビューしていることを知って、茶川(吉岡秀隆)が激怒し、(心で泣きながら)縁を切るという形で、淳之介が巣立ってゆく苦い話の二本立てですね。素人目にも演技のテンションがおかしい人が何人かいて、それが山崎貴映画のおなじみになってしまったけど、あれは何なのでしょうか。

■その中で素朴に輝いているのが堀北真希で、四角いスクリーンに映える容姿のフォルムが実に逸材。フィルモグラフィーを確認すると意外といい映画に出ていなくて、これだけの才能と、映画映えする個性を他で活かせなかったのは残念なことだ。結婚して引退してしまったとさ。。。『白夜行』なんて、ほんとは配役で成功するはずの企画だったのに。

■人生の進路を巡って、淳之介と茶川が対立して大激論になり、お前を絶対許さない、小説家として絶対に叩き潰すと宣言(パワハラ?)して、心で泣きながら淳之介を送り出すあたりの場面がクライマックスになるけど、吉岡秀隆のテンションがおかしいので、なんだか芝居の見せ場が大げさだし、冗長になる。このあたりの芝居の見せ方の采配がおかしいので山崎貴は軽くみられてしまうのだが。実際、山崎貴の演技指導における参照点はどこにあるのだろうかと疑問に感じる。でも、大ベテランの山田洋次でもたまに非常に退屈な映画を撮ったりするから、相対的にはそんなに酷くはない気もするところだ。


参考

maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
ホントはこれで成功すべきだったのに、何故か事故物件になってしまった。製作過程でなにがあったのか?おまけに掘北は『大奥』(東映じゃなくてTBSの男女逆転のやつ)と掛け持ち撮影だったらしい。
maricozy.hatenablog.jp

© 1998-2024 まり☆こうじ