ALWAYS 三丁目の夕日 ★★★★

ALWAYS 三丁目の夕日
2005 スコープサイズ
TOHOシネマズ二条(SC10)

原作■西岸良平 脚本■山崎 貴、古沢良太
撮影■柴崎幸三 照明■水野研一
美術■上條安里 音楽■佐藤直樹
VFX■山崎 貴 VFXディレクター■渋谷紀世子
監督■山崎 貴


 昭和33年の東京の下町の鈴木オートに東北から集団就職で六子(堀北真希)がやってきた。一方、向かいの駄菓子屋の茶山(吉岡秀隆)のもとには近所の飲み屋の女(小雪)が身寄りの無い男の子を押しつけてしまう。

 昭和33年の東京の下町の商店街に生きる庶民の生活を日本映画最高峰VFXを駆使して描き出す、山崎貴の新たなる飛躍作。監督デビューより、同年代の樋口真嗣よりも映像作家としては常に1歩リードし続ける責めの姿勢と運の強さ、そしてその才能の豊かさと幅広さに嫉妬する映画関係者は少なくないだろう。

 常に昭和33年の東京の光景を、基本的にはリアリズムで再現しようとするが、物語自体が一種のファンタジーなので、作品全体もファンタジー色が強くなっている。

 篠田正浩が「スパイ・ゾルゲ」で目指したものがいっそう高い完成度で人情喜劇として結実しており、映画に込められた情感の豊かさと映像技術の卓越した完成度は手放しに賞賛してもいいだろう。

 原作から珠玉のエピソードを抽出して練りこんだ脚本も素晴らしいし、それぞれのエピソードの見せ場がちゃんと俳優の演技によって脚本の要求が達成されていることに感心する。

 個々のエピソード自体は素朴なもので、専任の脚本家は恥ずかしくて書けないほど衒いの無いものだが、昭和33年という設定の妙が全てを包み込み、観客を確かな感動へと誘う。山崎貴に変な文学的素養がなかったことが幸いしているに違いない。こうした映画に文学趣味は要らないのだろう。逆に「春の雪」は文学趣味が不足しているのだ。

 吉岡秀隆の最期のシーンは演出的にはくどく、日本映画らしいやりすぎ感が濃厚だが、飲み屋での指輪の場面は日本映画でも近年稀な名シーンだ。山崎貴にこんなシーンが撮れるとは正直意外だった。樋口真嗣には無い資質だろう。

 VFXの技法的には、細かく見ると怪しげなディテールも散見されるが、セットからヴァーチャルな空間へスムーズに1カットで繋いでしまうマッチムーブなど日本映画離れした先端技術で圧倒する。どこまでがロケで何処までがマット画なのか、CGなのか、そしてどれが俳優の合成で、どれがCGエキストラなのか、ほとんど見分けはつかない。この技術を使えば、昭和史の重大事件を素材とした映画を安く制作することも現実味を帯びてくるだろう。

 ただ、気になったのは、ところどころに見られた照明設計の不徹底さだ。屋外の設定の照明なのに、人物の影が複数出ていたり、輪郭があいまい過ぎて、全く屋外の光に見えないシーンがかなりあり、往年の日本映画のモノクロ映画でのリアルな照明効果に比べて見劣りするのはいかがなものか。名手柴崎幸三はファンタジーとしての映像設計を優先しすぎたようだ。

ちなみに、山崎貴はプロデューサーとの付き合い上、いやいや監督を引受けることになったものの、やりたくなくて仕方なかったそうです。
どうやってモチベーションを維持しようかと悩んだといいます。
でもいやいや始めた作品が予想外の大ヒットとなり、これまで作りたくて撮ってきたSF作品を超えて、ようやく満足できる興行収入を叩き出し、悲しいやら面白いやら複雑な心情だったそうです。
この映画によって、山崎貴の映画人生は大きく変化することになりました。人間の人生は偶然の出逢いの積み重ねなのです。

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