新世代のアダムとイブは大阪湾で生まれる!『「エロ事師たち」より 人類学入門』

基本情報

エロ事師たち」より人類学入門 ★★★
1966 スコープサイズ 128分 @DVD
原作:野坂昭如 脚本:今村昌平、沼田幸三 撮影:姫田真左久 照明:岩木保夫 美術:高田一郎 音楽:黛敏郎 演出:今村昌平

感想

■日本映画斜陽の時代、才能ある監督や俳優が続々と独立して自分のプロダクションを持った時代、日活の今村昌平も例外ではなかった。『赤い殺意』で予算管理に対して不可避的に対立し、ついに自身のプロダクションを設立して、第一作として本作を製作、エロ映画として興行的にも大ヒットもしたし、キネ旬で第二位をとった記念碑的作品。エロ映画だけど、芸術らしいよという、昭和の頃によく見られた集客の構図で、ヒットしやすい企画ではある。何しろ原作は野坂昭如出世作で、三島由紀夫も激賞した直木賞受賞作である。単なるエロではないというお墨付きがある。

■エロ8ミリ映画を製作したり、白黒ショーを興行したり、美人局をやってみたりと多方向のエロ稼業に邁進するスブやんと、彼がやっかいになっている散髪屋の寡婦一家の中で展開する色模様を軸に、高度成長期のニッポンにおけるエロの根源を人類という俯瞰的な視野まで押し広げようという、強引な意欲作。まあ今村昌平独特の民俗学妄想が控えめで、むしろ近未来映画のようでもあるところがユニーク。最終的にスブやんは人間のエロに絶望してインポになり、究極のダッチワイフの開発に精魂をつぎ込むことになるのだが、その先には以下のような妄想があり、60年代らし近未来志向(思考)と、シュールレアリズム傾向がある。

■スブやんは坂本スミ子が演じる母親と懇ろになりながら、病気で入院すると中学生の娘とも情を通じてしまう。坂本スミ子の自堕落さ風情もなかなか味があるし、とにかく熱演である。一方、その娘を演じるのが佐川啓子という新人で、こちらはさすがに今平ならではの小太りの不美人で、リアル志向としては成功しているよ。確かに。でもいくらなんでも中学生には見えないし、単純にここはもっとアイドル的な女優が演じてこその役柄だ。敢えてそれを避けるのが今平の趣味嗜好だが、誰も幸せではないよね。

坂本スミ子はその後どんどん狂っていくのだが、それもよくわからない。精神病院で狂乱する場面のロケ撮影は確かに黒澤明並の豪快な撮影で凄いのは凄いけど、それが何を表現しているのかは怪しい。絶頂期の姫田真左久の撮影は全編にわたって冴えに冴え、とにかく全カット、全場面に気合が入っている。

■基本的に全場面ロケ撮影だが、構図の決まり方と明確な陰影を描き出す照明の巧まぬ技術がすごい。敢えて不自然な照明はしてませんってよって風情で、ちゃんと当たるところには光が当たっていて、絵画的な陰影が描かれる。ただ、確かに凄いのだけど、少々やりすぎ感があって胸が焼けるよね。

■ドラマ的にはいまいち芯が見えず、その原因は最終幕の処理にあると感じる。もともとのシナリオには、例えば以下のような台詞があり、最終的なテーマの帰趨が明確なのだ。最終的に人間のエロに絶望し、インポを抱えながらダッチワイフの開発に専心することになるのだ。(ちなみに、当時はインポという言葉は映倫的にはタブーだったらしく、カラカラと言い換えられている。脚本ではすべてインポ!)

スブ「わい、初めはこれ売り出して、大儲けしよう思てたけど、今は違う。解放や自由や、それかて要らん。ただこれ早よ完成さして、抱きたいねん。(秘密らしく)わい、これを人間にしてしまうのや」

■このように、最終的には人類のエロの終焉=人類の滅亡から、新たなアダムとイブの誕生を示唆しながら映画は終わるのだ。人類から新人類への進化が、エロの追求のその果に現れるというのがこのお話の真価だが、最終的な映画ではその近未来志向な、ある意味SF的な決着は曖昧に回避される。今平的民俗学妄想はこの映画のあと、『神々の深き欲望』でピークを迎えるが、そのための助走とも言える映画といえるだろうし、なにわ映画としてみても相当秀逸な映画である。
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