■第1話は、とにかくドラマに関するドラマという、メタドラマであるという点に惹かれました。障害者を起用してドラマを作るということを、放送局内の内幕をある意味暴露し、自分自身にダメ出しをしながら、追い詰めてゆくという設定で、制作陣の本気度が伝わります。ファーストシーンからいきなり本気度マックスです。生半可な覚悟で作ってませんよ、ということをさらっと宣言する。痺れる。
■もともと「多様性月間」キャンペーンとか、社内の女性活躍促進とか、組織的な辻褄わせとかやってます感のために通した企画だったのに、当の本人の編成部長(橋本さとしが好演)がいきなり交代して、新任の編成部長は、こんな企画はプレゼン以前の代物だと突き返す。水野美紀が言い放つセリフが奮ってる。
「あなたは根本的に人間を描くという意識が欠如しています」
どうやらNHK大阪が、テレビドラマ業界に戦線布告するみたいです。自らハードルを上げきって、一体このあと竜頭蛇尾に終わらない心算があるのだろうか?観ている方が心配になるほどの意欲作。
■その後、全4話を見終えた。最終回まで、ほんとにこのドラマ終われるのだろうかとヒヤヒヤしたけど、ちゃんと終わった。一応ね。最後の最後まで主人公が煮えきらなず、バラエティ班に帰りたいとか言い出すので、どうなることかと思ったけど。最終回のホントにあと20分くらいのところまで、迷い続ける。その時、やっと光が差して、プロデューサーとしての、本来最初からあるべきドラマに対する指針が舞い降りてくる(文字通り光が動くのでビックリする)。なんでドラマが作りたいのか、その意味を、自分がスカウトした車椅子の高校生(和合由依)に教えられる。
■ドラマ業界の内幕暴露モノでもあり、自分たちの仕事の仕方への真摯な問いかけでもある自己言及的なドラマについてのドラマで、ドラマ業界の置かれた立場や、その中で若いクリエーターたちがどんなことを思いながら、一方で思いの至らなさを抱えて暗中模索しているかを、伊藤万理華が繊細に、というよりもも、あけすけに生々しく演じた。その主人公へ問う価値のあるテーマを投げかけたところがこのドラマの肝だし、志の高さだし、誠実さだ。『燕は戻ってこない』とあわせて、伊藤万理華が演技賞を取ることはこれで確実になった。
■実際の障碍者をドラマに役者として起用すること。もちろん彼らは普通の社会にナチュラルに存在して暮らしているわけだから、ドラマの中にいないほうが不自然なのだが、いろんな気兼ねや、事なかれ主義や、的はずれな忖度や、あるいは純粋な差別感情などによって、ドラマの中の世界にはいないことにされていたことに対する、ドラマ業界内から発した内省は、まちがいなく描くことに価値がある。障碍者を「感動ポルノ」(日本語として熟れていない語感の悪い嫌な言葉。感動の押し付けとかお涙頂戴と普通に言えばいいのに)としてしか描けない、描けなかったことに対して、堂々とアンチテーゼを投げつける。ひたすら硬派で、主人公前に立ちはだかる大きな壁であり、メンターでもある水野美紀もいいけど、いろいろしがらみを抱えて働く組織のおじさん感(そして軽薄な業界人感)をリアルに演じた橋本さとしが、やっぱり絶品。
■正直、4話では短すぎで、ついに登場した伝説の売れっ子脚本家をわざわざ余貴美子が演じるけど、あまり見せ場はない。勿体ないなあ。本来なら、もっと主人公にドラマって何なのか、人間を描くとはどんなことなのかを示唆すべき役柄(のはず)だからな。ただ、劇中劇の結末があんな感じだったので、あまり有能に見せられないというバランスかもしれない。主人公のもとから去る岡山天音も、過去の学生時代の栄光にすがる生き方に対して、もっと厳しい視線が欲しい気はした。あのビデオレターだけでは、決着がつかないと思う。
■演出の大嶋慧介は大阪局の人で、押田友太はよるドラ『恋せぬふたり』(未見だけど、こんど観る)を企画、演出した東京局の人。NHKはちゃんと若手Dが育っているなあ。各局ともPはさいきん女性が多くて意欲的な企画も多いけど、Dはまだまだ男性が多いな。