なんで近松とか文楽にこだわってるんだろう?その理由が判明!単なる素人の感想じゃなかったよ!(われながらビックリ)

■このブログでは、文楽とか演劇とか映画やドラマの作劇やドラマツルギーについて、いろいろと難癖をつけているところですが、大方の読者は、単なる素人の戯言とお考えのことでしょう。いや、それでいいんですけどね。。。実際、脚本家でも劇作家でも評論家でもないので。

■でも、自分自身なんでこんなにこだわってるんだろう?と疑問に思うこともあり、つらつらと思い返せば、大学時代の教養課程に行き着きました。という話です。

■実は関西の某国立大学の教養課程で、近松門左衛門の講義を受けていたことを思い出しました。同大学は、実は関西の演劇研究の歴史が深くて、山崎正和も教授をやっていたし、最近でも平田オリザが所属していたところ。そんな認識すら、当時持ってなかったけどね。なにしろ、毛利菊枝とか北村英三が所属した京都の新劇団くるみ座の資料も寄贈されてますからね。凄いところなんですよ。(たぶん)

■もちろん、同大学の文学部だったらストレートに演劇研究をやっていたかもしれないけど、専門分野が異なるので、教養課程しかとっていない。でもちゃんと単位はとってますからね。優良可のどれかは忘れたけど、一応、近松の生涯や、文楽の興行や、その盛衰に関する基本的な歴史は教わっているし、試験にも解答しましたよ。ホントに不思議なんだけど、なんで近松を選択したのかも、今や覚えていない。。。なにしろ、その頃はまだ文楽はおろか、普通の演劇すら観たこともなかったのに、なんで選択したのか?

■実際に一番印象深いのは、近松の講義なのに有名な心中物ではなく『国性爺合戦』の講義が多かったことで、半分くらいは国姓爺(鄭成功ですよ!)だった気がする。なんで心中ものじゃなかったのかは、今になって不思議に感じるところだけど、10代の若い男女向けなので、先生が自制したのかな?しらんけど。そもそも担当教員の名前を覚えていない!誰だったんだ??

■なので、本ブログで、役の性根がとか、ドラマツルギーがとか、作劇が云々とか、いろいろ訳知り顔の苦言を呈しているけど、これは単なる素人の感想ではなく、一応基礎的な教養を踏まえたうえでの意見であることは明記しておきたいところです。いやほんま。

■ちなみに、大学生の頃は、教養課程なんて高校の授業の焼き直しみたいで全くやる気が起こらなかったけど、今になって教養課程で学んだことの重要性が身につまされてくる。日本国憲法なんて、大学の教養課程で教わったことがいま一番役立っているし、というか、ちゃんと学んだのはあの講義だけだし、英語の授業の一環として教わったアメリカ文学なんかも当時学んだことがいまだに文芸作品の鑑賞や解釈の基礎になっています。ヘミングウェイの小説や『ディア・ハンター』なんて英語の授業で使われたけど、単なる英語の学習というよりも、文芸批評の視点とか、メソッドを学びましたね。それはいまだに覚えているので、斬新だったんですよ。専門分野が文学じゃないので、それ以上深堀りはできなかったけど。

■一応、そうした基本的な教養を踏まえて、このブログの記事が書かれているということは、銘記しておきたいところです。幸いにして、それなりの教育を受けることができたので、こうして社会還元(?)を行っているというわけです。単に、脊髄反射的な感想や思いつきを垂れ流しているわけでもないんだなあと、自分自身やっと気付いたところです。

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