基本情報
圧殺の森 ★★★☆
1967/スタンダードサイズ
(2001/2/1 NFC)
撮影/大津幸四郎 監督/小川伸介
感想(旧HPより転載)
市立高崎経済大学の不正入学等を契機として始まった学生運動のなかで、退学処分になった運動家達が最後の砦として学生ホールを占拠する。夏休み期間に入って一般学生達のいなくなった構内で、何時強行されるかもしれない学校当局ならびに警察、機動隊の突入に備えながら籠城する彼らの姿を16ミリモノクロ撮影のキャメラが圧倒的に熱っぽく映し出す小川伸介の記録映画。
激化する学生運動のなかで、学生組織を切り崩すために学校側の要請で田舎からの出てきた親の説得によって学生が運動を離脱してゆく姿を望遠の隠し撮りで捉えたシーンが挿入されるのだが、今観るとむしろこうした親の説得やそれを受け入れた学生達の方が正常に見えてしまう。
学生ホールを不法占拠した学生運動家達の高揚した情熱は現在の同年代の学生達に比べれば随分大人びて見えるし不合理な世界をリセットせずにはおれない彼らの鬱屈したエネルギーは貴重であるが、その内実は彼らが忌み嫌った体育会系学生達とその原始的なありようにおいては大差ないものであるだろう。
そして、学生運動家達の独特のイントネーションで繰り広げられるアジ演説や一見難解な論戦に見える激論も彼ら独特のパターン化された思考様式に過ぎないことが徐々に分かってくる。
火災警報が鳴ったために学生ホールに立ち入ろうとした守衛のに対する彼らの軽蔑しきった態度が彼らの独りよがりな思い上がりを如実に表している。そもそも学生からの授業料よりもむしろ市民の税金によってより多くを維持管理されている学生ホールを「学生ホールは学生のものなんだよ。あたりまえだろ。」という理屈で除籍された学生達が不法に占拠し続ける事態は仮に今現在の出来事ならば、学生の我が儘として一蹴され、到底国民の同情すら集めることはできないだろう。
結局彼らのよって立つ基盤は理論的な説得よりも恫喝であり、しかも数を頼んだ組織的な圧力であることは、これも彼らの反抗する対象と同じ性質のものであるという皮肉。そのことが、彼らを一般の国民から孤立させ、内ゲバや無差別テロという袋小路へと迷い込んでいく無惨な未来を予見させないこともないだろう。
しかし、そうした後出しジャンケンのような批判を超えて、この映画は確実に面白い。学生ホール占拠に至る高崎経済大学の学生運動の激化を写真で延々と説明していくアヴァンタイトルの煽り方はまるで山本薩夫の映画のようだし、何時来るともしれない強行突入を待ちぼうける学生達の夏休みの姿はまるで「台風クラブ」のようにも見える。そして、サスペンスを煽るだけ煽っておいてまるで肩すかしな実際の展開には出来過ぎたニューシネマを観るような感慨すらわき起こる。