- 映画『世界大戦争』の企画経緯
- 企画開発の経緯と著作権問題の発生
- 橋本忍版脚本の梗概
- 橋本忍が明かす軍事描写に対する圧力
- 橋本忍の野心
- 相談役からの注文と八住利雄の対応
- 木村武(馬淵薫)の立場は?
- 『世界大戦争』の成功体験がもたらしたもの
- 田中友幸の最後のよりどころ
- 大いなる蛇足
- 参考
映画『世界大戦争』の企画経緯
■1961年公開の東宝映画『世界大戦争』は製作費に3億円を投じた東宝特撮全盛期の豪華大作で、一個の社会派映画としても傑作でしたが、企画から公開までに紆余曲折があったことは一部では有名な事実です。東映が1960年に製作して公開した『第三次世界大戦 41時間の恐怖』*1と内容的に酷似していることが問題になり、東宝側は何度も製作をストップして、企画の再検討を行います。
■もともとは、橋本忍脚本、堀川弘通監督で『第三次世界大戦 世界最後の日』『第三次世界大戦 東京最後の日』などの仮題で準備されていましたが、そのためこの座組による企画は幻に終わりました。橋本忍の書いた脚本はなかなか入手困難で、どんなお話だったのかいまだに不明な部分が多いのですが、古い週刊誌の記事(新週刊1961.10.26号「やっとはじめた”世界大戦争” 企画から上映までの25ヶ月」)でその一端が明らかになったので、今後の研究のためにここに記録しておきたいと思います。
■ちなみに、月刊シナリオ誌(2019年10月号)に吉田伊知郎氏がシナリオ評『第三次世界大戦 東京最後の日』という記事を寄せているのですが、未読です。いずれこれもカバーしたいと思います。
■同様に「東宝特撮映画大全集 2012 世界大戦争」の記事 『世界大戦争』撮影秘話-特別編- 幻の企画『第三次世界大戦』についても入手できていません。
企画開発の経緯と著作権問題の発生
■同週刊誌の記事を中心として現在把握しているかぎり、東宝映画『世界大戦争』の企画開発には、ざっと以下のような流れになっています。
- 昭和34年9月、東宝で映画化決定(橋本忍脚本、堀川弘通監督)
- 昭和35年、橋本忍が脚本執筆開始
- 昭和35年8月15日に「第三次世界大戦」クランクイン予定と発表
- 昭和35年8月、昭和35年6月13日号「週間新潮」の「第三次大戦の41時間」と構成が似ているため、同記事を原作として映画化を行っていた東映との間で問題になる。「第三次世界大戦の41時間」は、週刊新潮編集部の作だが、軍事評論家の林克也の口述をもとにしていたため著作権を主張して、週刊新潮を訴える動きも起こった
- 昭和35年9月、八住利雄が橋本版脚本の改定作業を進めたものの、版権問題のいざこざが避けられないので東宝はいったん中止と決定、スタッフは解散
- 昭和35年10月、東映の『第三次世界大戦 41時間の恐怖』(監督:日高繁明)公開
- あらためて八住利雄脚本、松林宗恵監督で企画を再起動
- 昭和35年12月にクランクイン予定となるが、直前に森岩雄専務が「国際情勢の緊迫のおりから慎重を期したい」と中止を決定し、スタッフはまた解散
- 昭和36年2月、終改訂稿が完成(最終的に脚本は12回の改訂を経て完成した。)
- 昭和36年4月、クランクイン
- 昭和36年6月上旬、クランクアップ
- 昭和36年9月、完成
- 昭和36年10月、公開
橋本忍版脚本の梗概
それでは、もともと橋本忍の書いた脚本『第三次世界大戦 東京最後の日』はどんな内容だったのでしょうか。
■橋本版第1稿では、フランキー一家は水爆戦が始まると聞いて東京から逃げ出し、那須野ヶ原で東京がミサイルにやられる場面を望遠する。そして自分も数時間後に放射能で半狂乱になって。。。というお話になっているそうです。
■橋本版第2稿では、墓参に出かけた郷里の仙台で東京の被爆を知り、東京へ向かう途中の宇都宮で避難民に遭遇、仙台に引き返すが途中で多数の避難民と一緒に放射能で死んでゆく。。。という、お話に変更されています。
■橋本忍が黒澤明に書いた異形の傑作『生きものの記録』がどうしても想起されるところです。『生きものの記録』は『ゴジラ』に対する黒澤明の返歌になっていましたが、橋本忍は寓話としての『ゴジラ』をさらにリアルに推し進めた構想を持っていたわけです。
橋本忍が明かす軍事描写に対する圧力
■軍事的な部分については橋本忍が以下のように語っています。
「いうにいえない力が企画を左右していた」
上記の橋本忍版のなかでの米ソ陣営の衝突は以下のように構想されていました。
・沖縄の米基地とソ連の極東基地だけが登場するはずだった
・まず沖縄の米基地が吹っ飛び、ソ連の極東基地が米の中距離弾道弾で損傷するが、地下基地は生きている。でも放射能の影響が徐々に及び、司令官と原子物理学者が、人類は滅亡するが、4、5億年すればまた人類は復活するだろうと会話を交わす。
■橋本忍は
ソ連基地の光景は、非常に力を入れて書いたし、ずい分長くなったんです
と語っています。
相談役からの注文と八住利雄の対応
■企画がリセットされて、八住利雄が再構築して執筆を開始した際に、東宝は相談役として以下の4氏の参加を求めて意見を聞いています。
■ただし、橋本忍版第2稿の表記をみると、橋本忍版の執筆時にはすでに上記メンバーが参加しており、企画当初から意見を聴取していたようです。
- 資料提供:入江啓四郎、新名丈夫
- 構成:林克也
■しかも、林克也が「構成」となっています。田中友幸の映画企画の原点が林克也の著作だったので、林克也は当初よりこの企画に関わっており、週刊新潮の「第三次世界大戦の41時間」のタイミングの方が遅かった可能性があります。東宝も東映も林克也の考え方に基づいて想を練ったので、似てくるのも当然なわけです。そして、東映はあとから割り込んできて、持ち前の速成体制で先に完成させてしまったという経緯が透けて見えますが、このあたりはもう少し調査が必要です。
■そして八住利雄版の第1稿には、加瀬俊一から以下のような希望がありました。
■この意見を受けて、当時の現実とは異なり、政府が完全中立の立場で全世界に毅然と平和を呼びかける姿を反映したそうです。後段は意外とあっさり受け流したようです。このあたりの経緯は、後に『日本沈没』にもけっこうそのまま反映しているのは、田中友幸らしいところですね。
■また、八住利雄は日本政府の性格をどうするかにいちばん苦労したそうです。八住利雄の以下の発言も貴重です。
私は橋本さんの”リアリズム”をより漠然とした”ヒューマニズム”にする役目を担当したことになるかもしれません
木村武(馬淵薫)の立場は?
■今回、以上のような企画経緯が判明したのですが、八住利雄と一緒に脚本を練り直したはずの木村武(馬淵薫)が全く登場しないのは不思議な気がしますね。そもそも、橋本忍版をリセットして、木村武に叩き台を書かせ、師匠にあたる八住利雄に改訂とお墨付きをお願いするといった手順だろうと想像していたのですが、以上の経緯を踏まえるとやはり、『世界大戦争』の脚本は八住利雄がメインで書いたのでしょうね。なにしろ超大作ですからね。
■でも何しろ多忙な八住利雄を改定作業に長時間拘束できないから、田中友幸の元同志で、八住利雄の弟子筋でもある木村武(馬淵薫)に改定作業をさせたという事情ではないかと推察します。(これは今後も物証は出てこないだろうけど)
■正直なところ、橋本忍版の脚本では特撮の見せ場が十全ではなかった気もするし、そもそも沖縄の米軍基地なんてこの時代の東宝で(今でも)描けるはずないと思いますよね!
『世界大戦争』の成功体験がもたらしたもの
■最終的な『世界大戦争』があれだけの傑作で、興行的にも大ヒットだったので、結果オーライで幸運な作品といえるでしょう。本作は東宝特撮に理想主義的な日本政府が登場する最初の作品となりました。後に丹波哲郎という不世出の才能と出逢って『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』といった警世的な特撮スペクタクル”演説”映画を生み出すルーツにもなりました。しかもこの二作は、橋本忍と八住利雄という、『世界大戦争』の脚本に関わった二大巨匠が脚本を書いているのも意義深いところです。とにかく、田中友幸はとても執念深いプロデューサーだったのです。
田中友幸の最後のよりどころ
■以上のように散々な目にあったこの難産企画ですが、最終的に以下のような共通認識により、実現にこぎつけたといいます。
もしも、この作品が日の目をみるものなら、原水爆反対だけでも訴えられればよい。他の点は全部妥協しても。。。
■たしかに『世界大戦争』は様々な妥協の産物だったことは確かです。でも最終的に映画が完成して、この世界に残されたことが、最も感動的なことだと思うのです。映画人としてのその決意と矜持を知って、改めて稀有の企画であり映画であったことを再認識した次第です。
大いなる蛇足
■と、無難に綺麗にまとめたところですが、最後に恒例の邪推を展開したいと思います。これがないと記事書いた気がしないんですよ…
■以上のように公式には東映版とかぶったので東宝は企画を再検討したことになっていますが、本当かなあという印象です。実のところは、橋本忍版が基地問題を含めて実名を出し、”リアリズム”で構築したことに怖気づいたというのが真相じゃないかと思いますよね。なにしろ橋本忍は沖縄基地を堂々と描くつもりだったというのだから、東宝がそんなこと許すわけがないですよ、普通に考えて。しかも、橋本忍の脚本開発は、ベトナム戦争が進行中で、U-2撃墜事件が起こり、60年安保闘争の真っ最中に書かれたという時代背景を忘れてはいけない。そんな世情の中で東宝も1960年にいったんはクランクインを発表しているので、逆に正気か?と感じてしまいます。本当に勝算があったのか?
■橋本忍版脚本が田中友幸の考えていたような世界中にセールスできる穏便な内容にならなかった(当たり前だ!)から、大御所の八住利雄の手も借りてなんとか無難な形に改訂しようとしたところに、版権問題が持ち上がって、ある意味リセットして仕切り直しできるので助かった!というのが実情ではないでしょうか。結局、橋本忍版脚本を棄てて、八住利雄が”ヒューマニズム”の観点で、一から書き直すわけですからね。そして、浄土真宗の僧侶である松林監督的には、所詮人間のすることだし、じたばたした足掻いたところで、滅びるべき運命なら滅びるしかないし、結局はその愚かさもろとも阿弥陀如来しか救えるわけないわな、と達観しているわけでしょう。(明言はしないけど)
■脚本は未読だけど、どう考えても橋本忍の第2稿あたりでクランクインはありえないと思うし、撮入したとして、まさかお蔵入りはないにしても、大幅な修正や撮り直しが発生した可能性もあるわけで、東宝も危うい状態だった気がしますね。第2稿は第1稿よりもマイルドにはなってるんだろうけど。ああ、橋本忍版脚本読みたいなあ。以上、とりあえずの中間報告です。
参考
やっぱりこの映画、非常に重要な作品だと感じますね。『ゴジラ』と『世界大戦争』の間のミッシングリンク。今になって、やっとその真意が見えてきた。
maricozy.hatenablog.jp
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