ミシンはうちの地車(だんじり)なんや!岸和田女のど根性!NHK朝ドラ『カーネーション』備忘録①:第1週から第6週

生きているうちに観ておきたいと願っていた、渡辺あやの『カーネーション』に、ついに着手しました。幸いなことに、近所のレンタルビデオ屋に置いてあるので、棚から間引かれないうちに一気見しますよ。

第1週「あこがれ」

ときは大正の時代、ところは岸和田。だんじりの花形、大工方になりたいと熱望した糸子(尾野真千子)は女には無理と知ると、たまたま目にしたドレスに魅せられ、自分で縫製する夢に取り憑かれると、アッパッパを試作し始める。

第2週「運命を開く」

パッチ屋でミシンを発見した糸子は、「ミシンはうちの地車だんじり)や!」と閃く。呉服屋が左前で意気消沈した父(小林薫)は糸子が女学校をやめて、パッチ屋に働きに出ることを承知する。

第3週「熱い思い」

勉強のつもりでパッチ屋で働きはじめる糸子だが、先輩職人たちにきつくあたられてメゲそうになる。店主(トミーズ雅)から仕事後にミシンの使用許可が出ると、自分は洋服を作りたかったことを思い出す。試作のアパッパは父親から拒絶されるが、たまたま店で客がつくと、態度は豹変する。

第4週「誇り」

糸子は昭和恐慌でパッチ屋をクビになると、ミシンの講師(財前直見)と出会い、父親の後押しもあり、自宅で一週間限定で洋裁を直接教えてもらうことに。なんとか自分で洋裁が縫えるようになった昭和7年白木屋火災の報道を見た糸子は何かを思いつく。

第5週「私を見て」

糸子は心斎橋のデパートに押しかけて、制服を洋服にリニューアルし、自分に発注してくれと直談判する。一旦は拒否されるが、デザインを考案して持ち込むと正式に発注される。母方の神戸の実家でミシンを使っていると、対抗心を燃やした父親が呉服を全部処分してついにミシンを購入する。次の仕事はパッチ100足の急ぎ仕事だが、自分ひとりで徹夜で仕上げることに。

第6週「乙女の真心」

芸妓の洋服を受注して客からは喜ばれるが、採算度外視の商売に父は激怒して、糸子は改めて紳士服ロイヤルでの雇われ仕事につくことに。そこで踊り子(黒谷友香)のイブニングドレスを仕上げるが、その頃幼馴染の名門料亭の娘、奈津(栗山千明)の父が病没する。

雑感

予想以上にナニワ風味が濃いので、自然と花登筺のドラマを想起し、『じゃりン子チエ』なんかも思い出す。尾野真千子小林薫のやり取りは、チエとテツの応酬を、どうしても感じさせる。まあ小林薫はテツほど甲斐性なしではないけどね。対する母親(麻生祐未)の天然の抜け加減が絶妙で、こんな演技ができる人とは知らなかった。

第4週でやっとカーネーションの意味がさらっと触れられるという構成。祖母(正司照枝)いわくカーネーションは腐るまで咲き続けるから、根性があるのだ。つまり、カーネーションは根性の証。

渡辺あやは最近の義憤三部作『ワンダーウォール』『今ここにある危機とぼくの好感度について』『エルピス』を中心に再注目したので、なんとなく時事性の高い批評的な作風に主に惹かれたのだけど、『カーネーション』を観ると、話術の人だとわかる。それもいかにも作為的なギミック的なものではなくて、人間の性格の地をコミカルな見せ場に仕立てるのが上手い。

尾野真千子が演じるせいもあるけど、登場人物の人間性に肉付きが良くて、ふくよかなのだ。説明のための人間とか、何か物語のために奉仕するだけの人間はいないから、その絡み合いが自然と性格劇として、コメディになる。それは筋の良さとしか言いようがないけど。だから、洋裁にもファッションにも何の興味もないおっさんが観ても、確実に笑えるし、面白い。

例えば今やっている『虎に翼』は非常に興味深い意欲的な趣向ではあるけれど、あのユニークな持ち味の伊藤沙莉にちっとも魅力が出ないし、ドラマらしい馥郁たる幅が出ないから、単純に堅苦しくて面白くない。いい味が出ていない。ドラマの骨組みが丸見えで、肉付きが悪いと感じる。岡部たかしが出ているのに、ちっとも曲がない。上級階級を描いているせいで堅苦しいのだとも言えるが、それで収まってはいけないのだ。渡辺あやは国立大学の危機を『今ここにある危機とぼくの好感度について』でコメディに仕立てたのだから。(まあ、あれは実際起こっている現実がコメディでしかないので、そのままリアルに描いているともいえるけど)

ただ、第6週あたりは少し作劇に息切れを感じるなあ。わりと単純な展開だったよね。第5週が怒涛の大波乱だったから、そう感じてしまうのかも。団時朗が出てくるのは驚いたけど。(続く)

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