最悪の無責任作戦!撤退作戦はこの世の地獄だった『戦慄の記録 インパール -完全版-』

昭和19年に開始され、3週間で完了するはずのインパール作戦が、恐れていた雨季に入ってずるずると泥沼化、3か月後に作戦中止が決定するも、その後の撤退作戦中に飢餓と疫病で、最終的に3万人の兵が死亡したという悪夢のような軍事的醜態を明らかにするNHKスペシャルの完全版。犠牲者の約6割は、作戦中止決定後の犠牲者だったという。

■対する英軍は最新鋭の武器を揃え、補給も万全、負傷者は1時間以内に医療へアクセスできるという合理的な体制を作り上げていたが、我が方は牛、羊などを連れていって、現地調達に加えて腹が減ったらそれを食べるという作戦。それ作戦か?それもチンドウィン河を渡る際に半数の牛は流されたし、急峻な山道を登れない。道がないから軍用車は部品にバラして人力で担ぎ上げるという始末…

■陸軍において作戦は上層部の人間関係の情実で開始され、責任は誰にあるのかも(あえて?)不明確のまま、強気で声がでかい者が重用され、慎重な者、合理的に判断しようとする者は腰抜けと罵倒される組織で、作戦の不可能性を意見具申したら当然左遷され、軍事法廷で実態を訴える用意をしていたら心神喪失扱いで埒外に隔離される。

■参謀たちは「5000人殺せば、〇〇をとれる」といった議論を交わして、隷下の兵の命は完全に消耗品扱いだ。(ここでいう5000人は敵兵ではなく、指揮下の兵のことだよ!)最後は大和魂神頼みという謎の精神主義が西欧列強に戦い負けたのは、彼我の物象の差でもあるし、同時にイデオロギーの敗北だったのだ。日清、日露では最終的に勝ったから、兵たちを消耗品として扱った事実が相対的に注目されなかった(とはいえ多くの国民は家族を息子を喪って憤りを抱えていたはずだ)だけで、近代化後のわが国の軍隊なるものの実相と矛盾が、ここで明るみになったということだろう。

■その結果、撤退作戦は死屍累々の生地獄が現出する。倒れた兵の肉を削ぎ、食べたり売ったり、物々交換したり。1944年は気象記録的にも稀な猛烈なスコールが襲い、傷ついた兵士は生きながら腐敗し、遺体は1週間ほどで白骨化したという。「白骨街道」と呼ばれる所以である。

■さすがにNHKスペシャルなので、すらすらと分かりやすい構成で、巨大な軍事作戦を簡略化、単純化しすぎの感はあるけど、当時の貴重な生々しい記録やそれを書いた本人の証言とか、まあ単純に凄いよね。遥か南方の見知らぬ国で死んでいった者も、かろうじて生き残った者も、軍組織や上層部(そしてその頂点)に対するその怨嗟はわれわれの計り知れないものがあるだろう。そのあたりは笠原和夫がかろうじて映画の作劇に塗り込めて後世に残してくれたけどね。

■でも名もなき(いや実際は事務的に記録が残っている)兵たち3万人のその怨念は、無念の思いは本当にどこかに雲散霧消してしまったのだろうか?あるいはどこか別の次元に澱のように溜まっているのではないだろうか。

参考

maricozy.hatenablog.jp
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水木しげるは「死んでも帰れぬニューギニア」戦線を生き残った。ただし、左腕を彼の地に残して。
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当然のことながら日露戦争の時代から兵の命は「消耗品」だった。
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