感想
■昭和31年、龍賀製薬の社長が急逝、後継社長選びを自社に有利に進めようと血液銀行のサラリーマン水木は龍賀一族の住む哭倉村に向かうが、後継者を巡って奇怪な連続殺人事件が発生する。失踪した妻を探すなぞの放浪者が村に現れると、事件の背後に妖怪の影が見え隠れするが。。。
■鬼太郎誕生のあのエピソードを映画化?陰鬱な怪奇ドラマになれば楽しいのに、と思いながらも、予告編の雰囲気はちょっと違うしなあと思っていたら、なぜか評判がいいようなので、念のため観てきましたよ。実際、なかなかの力作で悪くないけど、疑問点も多かったなあ。
■まずは疑問点を簡潔に羅列してみようか。
- 鬼太郎の親父は包帯ぐるぐるの病人でミイラ男のはずが、なぜか今風な小顔のイケメン(その名も「ゲゲ郎」!)に!(ねこ娘も普通の美少女になってるぞ!)
- しかも血液銀行のサラリーマン水木とバディになる!それもなんとなくBL風味だよ!腐女子を狙いすぎ?
- いまさら「犬神家の一族」なんてなぞっても新味がないぞ
- 怪奇ドラマじゃなくて、伝記活劇じゃないか!それもいろいろと既視感がありありと…
- 鬼太郎なのに(東映なのに)ユーモア、諧謔味が足りないなあ。これはかなりの減点材料
- そもそも妖怪に対する愛が感じられない。これもかなり重要な問題
といったところかな。
■でも良いところも多くて、そこは水木しげるのエッセンスが生きているし、東映活劇の精神や反骨精神が息づいていると感じる。もともと東映アニメは東映時代劇の伝統を受け継いだのか、作劇が時代劇のそれで、ゆえに活劇演出は揺るぎがないのだ。日清日露戦争の時代から日本兵を賦活化してきた謎の妙薬Mの秘密とか、山間の僻村で日本的な資本主義の秘密を開示するとか、結構気宇壮大だし、戦後史に対する批評性も盛り込んで、確かにこんな話作るのは東映くらいだと思うよ。搾取され滅びゆく幽霊族の描写のあたりも、やはり東映だから描ける部分だと思うなあ。このあたりはホントに妙に立派だと思う。そうした思想性(?)は『ゴジラ-1.0』よりも優れた部分ですね。
■ただ上記の通り、鬼太郎のお話なのにそもそも怪奇ムードも希薄だし、妖怪は単なる悪役として登場するだけだし、妖怪に対する愛が感じられないのは残念なところ。その代わりに強烈に塗り込められたのは、支配階級の民衆支配の悪逆ぶりで、やはりこのあたりは左翼系独立映画のそれではなくて、東映時代劇のエッセンスと伝統が開花していると感じる。「てめえら人間じゃねえ!叩っ斬ってやる!」の精神ですね。(これ「破れ傘刀舟悪人狩り」のセリフなので、東映じゃないけどね)
■そういえば音楽が川井憲次だったことを改めて思い出した。観てる最中は全く気が付かなかったよ。それだけ夢中になって観ていたわけだろうか…結構面白かったんだね!