『さくや 妖怪伝』

基本情報

さくや 妖怪伝
2000/ビスタサイズ
(2000/8/12 祇園会館)
脚本・光益公映 撮影・江原祥二 照明・土野宏志
美術・原田哲男 音楽・川井憲次 特殊技術統括・尾上克郎 特技監督樋口真嗣
原案&監督・原口智生

感想(旧HPより転載)

 初監督作品であるオリジナルビデオ「ミカドロイド」でも部分的に独自の抒情性を醸し出していた原口智生の映像作家としての才能が前面開花した予想以上の快作で、なによりもこれほど妖怪や怪談映画、そして映画そのものへの愛情に溢れた映画を観るのは久しぶりだ。

 「子連れ狼」シリーズに倣ってエピソードの羅列的な構成をとったために素人目にもアバウトな印象を与える脚本だが、演出や役者のアンサンブルがその欠点を見事に補って余りある成果を上げているし、主人公のさくやとその弟で河童の子供との暖かく、かつ過酷な運命を物語るエピソードには「ジュブナイル」になかった映画らしい情感が滲んでいる。

 なんといっても主演の安藤希の眼に焦点を合わせてカットを積み上げた演出は役者の生硬さを瑞々しい凛々しさへと転化させて見事な戦略であるし、物語のもう一方の担い手である河童の子供を演じる山内秀一の無条件な愛らしさが、妖怪と人間の板挟みになる葛藤の残酷さを際だたせて見事なキャスティング。

 脇を固める嶋田久作も「帝都物語」以来久しぶりに素晴らしいはまり役で、ほとんど完璧なキャラクター造形を見せて秀逸だ。

 そしてキャスティングといえば、なんといっても土蜘蛛の女王を演じる松坂慶子の素晴らしさを称賛せずにはいられない。クライマックスでの社の廃屋の屋根の上で見栄を切るシーンなど、松竹京都撮影所のスタッフワークの見事さに支えられてまさに泉鏡花の世界を体現して圧巻だし、「妖怪百物語」の大首のにように巨大な顔面が主人公たちを追いつめるシーンのシュールな怪奇美の表現も松坂のキャスティングあったればこその成果だ。

 それにしても撮影所の底力を思い知らされる映画で、松竹京都映画の若手(?)スタッフの作品にかける意地がスクリーンの端々から滲み出す。照明については往年の大映京都のレベルに及ばないものの、表現のポイントを絞り込んだ美術デザインは意欲的且つ的確だし、流麗なキャメラワークは部分的に森田富士郎を彷彿させるほどに充実しきっている。正直言って、こうした作品でここまで時代劇的な質感や情感がここまで本格的に表現されるとは予想していなかったのだが、このあたりには原口智生の演出意図が大きく関与しているに違いない。特に、森の中で楽しげに唄い踊る妖怪達に心惹かれてゆく河童の太郎をさくやが制止する愉しくも厳しいシーンの表現など演出家と撮影所スタッフの映画愛が頂点に達した涙なくしては観ることのできない名シーンだ。

 樋口真嗣特撮研究所のコラボレーションで魅せる特撮シーンも極めて贅沢で、特撮研究所名物の地割れ特撮には佛田洋まで参加する豪華さ。クライマックスのミニチュアワークが「大魔神」に及ばないのが正直言って残念だし、デジタル合成の画調の平板さが気にならないでもないが、「ジュブナイル」のVFXの数倍血がたぎることは受け合いだ。

 しかしこの映画が大胆なのは、デジタル特撮がむしろ着ぐるみ妖怪達の引き立て役として位置づけられていることで、例えば品田冬樹の造形物らしいシャープな輪郭でデブ猫ながらカッコ良い荒れ寺の化け猫のシーンは千葉真一監督の「リメインズ」で金田治が着ぐるみの人喰い熊を見事なカッティングで演出して見せたシーンには及ばないが、キャメラワークおよび照明と編集のチームワークが原口智生の作り物への情愛をすくい取ってきわめてチャーミングな出来映えとなっている。

 辛抱たまらんほど愉快なエンドクレジットに至るまでたっぷりと原口智生の妖怪愛が横溢した極上の”納涼映画”の誕生を心から祝福したい。
さくや、ふたたび

 二度目の「さくや」は祇園会館の木曜日恒例1,000円均一料金で観たのだが、この劇場はスクリーンも大きいし、映像も明るく鮮明で、座席も新しくてゆったりしており、上映中に天井のライトが消えないことを除いては実に素晴らしい映画館なのだ。いつもは旧作2本立て上映の2番館なのだが、実にもったいない使い方をしていると思うぞ。京都の下手なロードショー館よりも映画鑑賞には良好だと思うのだが。

 さて、初見の印象はかなり感情に流されてしまったように思っていたのだが、改めて観てもこれは十分に水準以上の映画であることを確認した。妖怪映画(そもそもこんなジャンル自体存在するのか?)や特撮映画としてよりも、実にアクション映画としてきちんと作られているのだ。

 なんといっても河童の太郎が自分の限界を突き破って一回り成長を遂げる過程が案外丁寧に描写されており、エピソードの串刺し状態の構成の弊害も、そのことでかなり緩和されている。なによりも太郎を演じた山内秀一が素晴らしく、安藤希のさくやを見事に支えている。

 そして驚くべきことは、道中記の部分の抒情的な描写の巧みさで、例えば妖怪達の宴会に惹かれていく河童の太郎を引き戻すシーンで、さくやが手を差し伸べるカットと手を繋いだ姉弟が妖怪達の森を後にするカットの豊かな情感を孕んだ見事なカッティングは川井憲次の秀逸な音楽とともに忘れがたいし、妖刀村正に操られるようにしてに浪人達の命を奪ったさくやに対して、自分にはこんな惨いことはできないと叫ぶ太郎の頬を打つカットをフェードアウトで締めくくって、気まずく離れて道中を急ぐ姉弟の姿を冬枯れの野に俯角の移動で捉えたカットを繋いで見せる場面転換の鮮やかさなどとても時代劇初監督の演出とは見えず、編集者の貢献が相当に大きかったものと想像されるが、松竹京都撮影所スタッフとの協同作業を希望した原口智生の眼の確かさは本物だ。

 樋口真嗣は最近やたらと画面を揺らすのだが、こうした時代劇にはあまりそぐわないだろう。本編のキャメラが堂々と構えているのだから特撮班も堂々としていればよろしい。第一画面が揺れると観にくくて仕方ない。せっかくのミニチュアワークや複雑なデジタル合成も成果が見えないでは意味がない。それから、ミニチュアワークは円谷英二や佐川和夫に倣って、アングルを変えて3回は繰り返して見せて欲しいものだ。さらにくどいようだけど、敵は頓知で倒すこと。怨霊退散!で終わりというのは、工夫がなさすぎだ。この映画については、さくやと太郎のドラマが既に映画のクライマックスを語り終えているので、それでも通用するのだが。

 さあ、あとはワーナーから3,400円位でDVDが発売されるのを待つだけだ!

(DVD特別版)
 改めてDVDで鑑賞すると、撮りきりのライブシーンに比べてデジタル処理を施工したシーンでは色彩が抜け落ち、輪郭のシャープさが失われており、画調の変化が歴然としていることに気付く。

 逆に言えば、それほど高画質なDVDになっているということで、特撮シーンのメイキングがちょっと短すぎるのが難点だが、原口智生尾上克郎樋口真嗣の気の合う3人のスタッフたちが和気藹々と進行するオーディオコメンタリーの楽しさは特撮、時代劇好きには堪えられない。

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