俺はやくざの姐を愛したトンチキ野郎さ『泥だらけのいのち』

基本情報

泥だらけのいのち ★★★
1963 スコープサイズ(モノクロ) 83分 @アマプラ
企画:大塚和 脚本:馬場当、丹野雄二 撮影:高村倉太郎 照明:高橋勇 美術:中村公彦 音楽:奥村一 監督:堀池清

感想

■白タクをしのぎとする青年(山内賢)は、男気のあるヤクザの兄貴分(葉山良二)に見込まれて組に出入りするうち、その姐(久保菜穂子)に心を寄せてゆく。代貸が喧嘩騒ぎで入獄すると仕事で赤子の面倒を見られない姐に代わって、赤ん坊の面倒をみるはめに。。。

■というお話で、大塚和の企画なので社会派勤労映画かとおもいきや、あらぬ方向にネジ曲がる、かなり変な映画。山内賢には和泉雅子という恋人がいるのに、やくざの姐と知り合うと、彼女に惹かれてゆくし、三角関係のメロドラマかとおもいきや、仮の父親としてこどもを育てるお話に転調して、青春映画なのかメロドラマなのか、股旅映画なのか、いろんなジャンルが混交して、いわくいいがたい珍しい映画になっている。

山内賢には年上の女性を思慕する路線があり、『その人は遠く』などもその代表作だが、本作もその路線を踏襲するものだろうか。和泉雅子は準主役で登場するものの、扱いが小さい。でも、『非行少女』も撮ったキャメラの高村倉太郎の撮影が妙に念入りで、素晴らしく流麗な柔らかいタッチで和泉雅子のアップを描くので、陶然とする。さすがに名キャメラマンだなあと感心。

■しかし、何が言いたいのかはよくわからない映画なので、訴求力は弱いよね。青春映画にしても、リアルな話ではないし、むしろ時代劇にでも仕立てたほうがしっくりくる気がする。主人公はしまいにはホントのヤクザになってしまう転落物語でもあるのに、テーマが定まらない。大塚和の企画意図はどこにあったのだろうか。

参考

『その人は遠く』も大塚和の企画で、脚本まで書いているので、完全に路線を踏襲したものでしょうね。監督も同じ堀池清だし。
maricozy.hatenablog.jp

泥臭さとシャレオツ!犬シリーズ第2弾『喧嘩犬』

基本情報

喧嘩犬 ★★★
1964 スコープサイズ(モノクロ) 89分 @アマプラ
企画:辻久一 脚本:藤本義一 撮影:渡辺公夫 照明:泉正蔵 美術:高橋康一 音楽:土橋啓二 監督:村山三男

感想

田宮二郎の犬シリーズ第2弾で、なぜか東京撮影所の制作となったが、浪速風味満載で小気味いい。前作で刑務所に入った鴨井大介がシャバに出て、土建屋に見込まれて工事現場の飯場の管理を任されるが、ムショで弟分になった小吉が土建屋の悪巧みで殺されると復讐を誓う。。。

■今回は天知茂演じるショボクレ刑事は登場しないが、坂本スミ子はちゃんと登場する。小吉の女房役で良い見せ場をもらっている。殺された小吉を待ちながらひとりぽつんと替え歌を歌っている場面はさすがによくできていて、村山三男の名演出だった。

■ヒロインとなる日陰の女は浜田ゆう子が演じて、これも村山三男と渡辺公夫のコンビが意外におしゃれかつシャープに描く。煽って天井を画角に入れ込んだアングルを多用して、頭を抑え込まれて逃げ場がない男女の情念をスクリーンに閉じ込める。大映らしく陰影の強いモノクロ撮影だが、リマスターが念入りなので、非常に綺麗。お話の舞台は刑務所に飯場という泥臭い映画なのに、キャメラがシャープなので、実にシャレオツに見えるから不思議。

■ただ残念なのは大きな脇役である小吉を演じる海野かつをという役者をよく知らないことで、ここはもう少し上手い人を置くべきだった。悪役の常連である成田三樹夫はすっかり後年の『探偵物語』の刑事を彷彿させる軽妙な演技で快調。さすがにアドリブの台詞はないと思うが、演技のニュアンスはアドリブ演技に近い崩し方。

田宮二郎はますますノリノリで大量にあるコテコテの大阪弁を早口でまくし立てて、圧巻の好演。名演と呼んでもいいくらいだ。もちろん大阪出身なので大阪弁はお手の物だけど、当時の全国区での大阪弁の受け止め方を少し変えるものではなかったろうか。明石家さんまが東京に進出して大阪弁が完全に全国区になる、十数年前の出来事だが。

ついにカラー化!田宮二郎の犬シリーズ第三弾『ごろつき犬』

基本情報

ごろつき犬 ★★★
1965 スコープサイズ 87分 @アマプラ
企画:辻久一 脚本:藤本義一 撮影:小林節雄 照明:渡辺長治 美術:渡辺竹三郎 音楽:山内正 監督:村野鐵太郎

感想

■犬シリーズ第3弾は、ついにカラー映画化。監督は新鋭の村野鐵太郎だけど、まったく危なげがないよね。今回はアクロバット的な大阪弁の台詞よりも、活劇要素が勝り、当時のスパイアクションなどの要素も匂わせながら、悪女と日陰の女の間を鴨井大介が往還する。ラストの一騎打ちも含めて、曲撃ち要素を盛りだくさんとして、まだそれなりに人気のあった西部劇の要素や座頭市シリーズへの対抗心も燃やすサービス満点の一作。

■なかなか複雑なお話で、簡単に要約できないのだが、謎の女(水谷良重)から夫の仇の一六組を撃つように依頼されて新世界界隈に戻った鴨井が一六組の幹部の女(江波杏子)に惹かれると、そこに何故かダイマル・ラケットの二人が絡んで芸を見せる。そんなさなか、組幹部射殺の濡れ衣を着せられた鴨井は、正体不明の組長の正体を探るうち、白浜温泉で接近遭遇した謎の拳銃の使い手と対立する。。。

■もともと大阪ディープサウスを舞台とした泥臭さが身上の犬シリーズだが、徐々におしゃれ活劇方向にシフトチェンジを図る。台詞はコテコテの大阪弁なのに、活劇やお色気要素は欧米映画を参照しているのがユニーク。田宮二郎のファッションもどんどん洗練されて、再登場のショボクレ刑事のよれよれのコート姿と好対照。一匹狼の流れ者のほうが、地方公務員より衣装に金がかかっているわけ。

■一方、大映東京撮影所のエース級を投入した映像面の充実も凄くて、コントラストが強く、隠すところは黒く潰すのは大映タッチだけど、美術装置の質感の深みがリマスターで際立ち、東映や日活のペラペラな材質とは次元が異なる。ドヤ街の木賃宿の壁や戸の使い込まれたテカテカした深みのある照りなんて、大映ならではの表現。影の部分は思い切ってシャープに黒く塗り込んで、光の照らす部分は思いっきり材質感を精細に表現するという贅沢極まりない映像美。東宝でも黒澤映画くらいじゃないとここまでやらない。多分、使用しているカラーネガフィルムが上質なんだね。もちろんフジフィルムじゃない。リマスターも丁寧で、ちゃんとクライマックスの疑似夜景も再現されている。

■女優陣は水谷良重の色っぽさも実にいいし、文字通り日陰の女を演じる江波杏子ファム・ファタール感も抜群。演技的にはまだまだ硬いけどね。でも贅沢なカラー撮影のなかで、ひときわ際立つ顔立ちで、まさに造形美。もちろん、坂本スミ子も出てますよ!期待通りのコメディ要員で、毎回違う役で登場するらしい。レギュラーといえばショボクレ刑事の天知茂も大活躍で、田宮二郎にうどんの汁だけ奢る場面は、なかなかの味だ。田宮二郎との掛け合いもアドリブ感が育ってきたぞ。今後が楽しみ。

■また音楽が山内正というのも驚きで、『大怪獣ガメラ』でも『夫が見た』でもない、軽快なジャズアレンジで傑作スコア。こんな楽曲も書ける器用な人だったのだ。

千里ニュータウンでモリケン監督の即興的演出が冴える!快作『青春のお通り』

基本情報

青春のお通り ★★★
1965 スコープサイズ 75分 @アマプラ
企画:坂上静翁 原作:京都伸夫 脚本:三木克巳 撮影:藤岡粂信 照明:岩木保夫 美術:西亥一郎 音楽:山本直純 監督:森永健次郎

感想

■チャッカリ娘(吉永小百合)は短大を出ると売れっ子放送作家(藤村有弘)と女優(芳村真理)の夫婦が住む宝塚の豪邸にお手伝いさんに入るが、旦那は浮気性で、妻にも東京に浮気相手があった。女優の仕事で東京に付き添った彼女は、撮影所の大部屋俳優の青年(杉山俊夫)と知り合うが、彼女には千里丘に住む親友の兄(浜田光夫)に未練があった。。。

■タイトルバックで開発途上の千里丘の丘陵地が延々と映し出されるので、千里ニュータウンがメイン舞台かとおもいきや、宝塚の豪邸と日活の撮影所風景がフィーチャーされるという、意外と開放的でスペクタクルな(?)青春映画で、さすがに三木克巳井手俊郎)だなあと納得する、綺麗に構成された佳作。吉永小百合はいつも以上に頼りない声優役の浜田光夫と大部屋俳優役の杉山俊夫の間で揺れ動く。

■短大の同期でなかよし三人娘が吉永、浜川智子、松原智恵子で、楽しそうに好演するし、売れっ子放送作家の藤村有弘もキャラクターとしては当然のハマりっぷり。対する妙にグラマー(死語?)な大女優役がなんと芳村真理で、ホントにビックリする。正直誰だかわかりませんでしたよ。知らない女優だけど、なんでこんなに綺麗で貫禄があるの?と思って見ていた間抜けです。

三木克巳と森永健次郎はかなり相性が良いようで、他にもコンビ作があるけど、三木克巳の無駄のないしっかりした脚本構成のおかげで、モリケン監督のアドリブ的な演出が自由に振る舞えるようだ。本作もとにかく無意味にキャメラが動き回り、編集も多少のギクシャクは気にしない。

■ヌーベルバーグだってもっとやってるだろ?若い観客が観るんだから、これくらいラフなタッチが新鮮なんだよ。と言ったかどうかは定かでないが、名キャメラマンの藤岡粂信も持ち味のじっくり作り込んだオーソックスな画調とは異なり、かなり即興的な撮影。ロケ撮影の照明効果なんて、緻密なリアリズムは無理だから、現場の雰囲気優先で。でも、日活撮影所の裏側を積極的に使ったロケ撮影が圧巻で、モリケン監督ならではの思いつかないアングルが炸裂する。吉永と杉山の別れを大俯瞰でスペクタクル映画のように撮った長いカットなんて、かなり凄い。

■青春映画なのに最終的なクライマックスは千里ニュータウンのショッピングセンター(といっても昨今のショッピングモールではなく、ホントに個人商店が軒を並べているだけの昔懐かしいスーパーマーケット!)の現地ロケというのも凄くて、もちろん脚本的には序盤の買い物シーンに呼応しているのだが、ここで吉永と浜田が再開して、例によって言い合いしながら一気に和解して、陽光のあふれるニュータウンに駆け出すという展開もあっけにとられる清々しさ。ああ、若いっていいなあ!

参考



三木克巳と森永健次郎のコンビといえば、これですね。快作「若草物語
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp

早撃ちの鴨井大介とはわいのこっちゃで!浪速風味の軽快活劇、犬シリーズ第一作『宿無し犬』

基本情報

宿無し犬 ★★★
1964 スコープサイズ(モノクロ) 91分 @アマプラ
企画:辻久一 脚本:藤本義一 撮影:武田千吉郎 照明:中岡源権 美術:西岡善信 音楽:塚原哲夫 監督:田中徳三

感想

田宮二郎の主演シリーズ「犬」シリーズの第一作。『白い巨塔』で財前五郎を演じる前の、身が軽くてペラペラと早口でよく喋る大阪のあんちゃん風のチンピラを楽しげに好演するアクション喜劇で、浪速風味の人情がちょっと絡むし、さらに結構垢抜けたメロドラマの見せ場もある良作で、まだ大映も余裕があったらしく、リッリなモノクロ映画。撮影の武田千吉郎はあまり有名ではないが、実は結構な名手で、いい映画を何本も撮っている。本作も重厚さとロケ撮影のシャープさを見せつける。日活映画ほどではないが、現地ロケの魅力も多めで、貯水池付近の街角の情景なんて素晴らしい。

■お話云々よりも配役のアンサンブルの妙で見せる映画で、なにより田宮二郎の軽快なチンピラぶりが痛快。レギュラーとなる坂本スミ子のリアルな関西女の風情も、まあ満点やね。勤め先のラブホが焼失して失業し、パンパン(死語)になって生き残っているしぶとさ。木賃宿労務者から200円(!)取り立てて、まあえわと引き上げる風情、最高。田宮二郎を付け回すヨレヨレ無精髭の刑事役が天知茂で、これが絶品の味わい。まだ若くいけど、新東宝時代よりも余裕が出てきて、軽妙な演技が満点の見ものだし、素直にかっこいいい。そして、今見ると田宮と天知のBL風味のホモソーシャル感が際立つ。

■一方、ヒロインの江波杏子はまだ開発途上で硬い。演技的な心理描写はまだ不十分だし、脚本に書かれた女の陰影の表現には達していないが、港のホテルでの田宮とのメロドラマの見せ場は田中徳三の意外な資質が見られて、フランス映画というか、まるで日活映画のよう。多分、舛田利雄を意識したと思うな。同世代やし、わしかて負けてへんで!その意気が伝わってくる。

佐々木孝丸がヤクザの親分で前半で活躍するのも珍しいし、塚原哲夫のジャズ音楽も爽快で楽しく、田中徳三の器用さがよくわかる快作。一部では田中徳三を過小評価する向きもないではないが、いやいやかなりユニークな資質の持ち主で、やっぱりいい映画が多いのだ。人間はそれぞれに個性があり、映画には作った人の個性がなからず表出するものなのだ。

参考

maricozy.hatenablog.jp
これなんかも田中徳三の異色作で、いい映画。どう考えても特別な才能あるよね。
maricozy.hatenablog.jp
だって『怪談雪女郎』撮っちゃう人なのだ。耽美世界は独壇場という個性派でもある。 
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp

侍どもを根絶やしにしろ!加賀の一向衆が大暴れ『暴れ豪右衛門』

基本情報

暴れ豪右衛門 ★★★
1966 スコープサイズ(モノクロ) 100分 @DVD
製作:田中友幸 脚本:井手雅人稲垣浩 撮影:山田一夫 照明:大野晨一 美術:植田寛 音楽:石井歓 合成:三瓶一信 監督:稲垣浩

感想

■舞台は16世紀戦国時代の加賀の国、そこでは前世紀末に浄土真宗中興の祖と呼ばれる蓮如の指導により一向宗浄土真宗)の宗徒である百姓たちが一向一揆を成功させ、領主を追い出して百姓たちの共和国を打ち立てていた。庶民の力で武士の支配を取り除き、約百年にわたって加賀の地で民衆統治を行ったという、この加賀一向一揆の史実はそれだけで非常に興味深く、なんで東映で映画化しないのか、かねてから不思議だったのだが、意外にもその例がないのだった。

東映は『親鸞』『続 親鸞』という映画を製作しているのだが、あまりヒットしなかったので、真宗は商売にならないと踏んだ、といった経緯なのかもしれない。というか、基本的に時代劇は「武士道憧れ」が基本にあるので、武士が百姓に負ける話は庶民が受け付けないのかもしれない。映画を観るほとんどの観客は武士ではななく、百姓の子孫であるはずなのに、だ。ホントに不思議なんだけど。

■そして、この映画はそんな時代背景を冒頭の字幕やセリフで曖昧に示しながら、加賀七党のひとつ信夫(しのぶ)の地の土豪(要は武装農民ですね)を主人公とし、侍を憎み、侍を根絶やしにすることを標榜する豪右衛門という豪放な乱暴者&指導者を主人公として、一向衆である(はずの)加賀七党を分裂させ百姓を一気に踏み潰そうとする朝倉家と次第に対立を深めてゆく。そのなかで豪右衛門と末弟の田村亮が世代対立を深めてゆき、そこを朝倉家に突かれて利用されることになる。

■この時期の井手雅人の脚本にははずれがなく、本作もさすがに活劇としてはよくできているので、ちゃんと楽しい。三船敏郎佐藤允田村亮の三兄弟の世代対立のお話で、最終的には田村亮の新しい世代が頭の古い三船敏郎たちを凌駕して次世代を継承してゆく話か?とおもいきや、無垢な若い世代は無惨に武家たちの政治的策略に利用されて果て、結局のところまだまだ俺たちロートルの剛力と死地を掻い潜った経験値がなければ世の中は動かないのだとばかりに、世代交代の可能性をあっさりと払拭して、まだまだ俺たちはやれる!この漲る力を見ろ!年寄りを舐めるな!と、三船敏郎佐々木孝丸や富田仲次郎や上田吉二郎らのむさ苦しいおっさんたちが奮い立つという終わり方になっている。ホントですよ。ホントにそんな映画なのでビックリだ。

■ただ、これは東宝の意向だと思うが、東映なら抜かりなく点描するはずの庶民の生活実感の細部を欠いているのが弱点で、信夫の村の経済生活や生業などが抜け落ちているので、ただの漠然としたステロタイプな稲作農民にしか見えないし、そもそもどこで稲作しているのかも不明。なんカットか入れるだけでいいはずなのに。さらに、ロケ撮影が北陸加賀の地には見えず、どうみても御殿場にしか見えないのも惜しいし、夜間シーンの疑似夜景のつぶしがほとんど機能しておらず、明暗がちぐはぐになっているのは、マスター制作時の配慮が足りないだろう。東宝の場合、ネガからマスターを作るときに何故かつぶしの効果を無視するクセがあるのは、何でしょうね?

■また一番問題なのは彼ら加賀七党の者たちは基本的に多くが一向宗浄土真宗)の信徒のはずなのに、宗教的なアイコンをほとんど見せないことだ。三船が南無阿弥陀仏と台詞で一言言ったり、旗印に南無阿弥陀仏と書かれていたりするけど、宗教色はほぼ取り去られている。これは東宝の社風というか、海外配給を意識したものだろう。世界の三船が大暴れというのが、キャッチフレーズで世界中に東宝映画が売れた時代だ。一方東映はもっとドメスティックだし、若いインテリ作家が意識的に虐げられた庶民の歴史を掬い上げたのと比べると、好対照に見える。でもそこがユニークで描いて欲しいところなのになあ。

■すでに東映では集団時代劇が連作され、時代劇の終焉が意識された時期に、敢えて稲垣浩はまるで日本昔ばなしのような牧歌的な時代劇を作った。脇役たちの演技は総じて定型的で、東映時代劇のようなモブの生活感のリアリティが欠けている。というか意識的にそうしている。でもそのことは多分、公開当時に古臭いと感じられたはずだ。老巨匠の手慰み程度という評価だっただろう。でも今見ると、逆に新鮮に観ることができる。牧歌的な、楽天的な時代劇はいいものだ。稲垣浩が作りたくて撮った『ゲンと不動明王』は、児童映画の傑作で牧歌的なタッチが尊い映画だけど、お話はリアルで、大人の事情とかお金の話しかしていないのと好対照なのだ。

■配役では、星由里子のお姫様は気の毒なほど類型的な描き方で、一方村娘の大空真弓は儲け役。武士の血を引くために、かえって信夫の村では豪右衛門にいじめ抜かれる、差別と被差別の構図の逆転を背負って生々しく生きる娘。田村亮の青春映画に向かうのかと思われたが単なる犠牲者になると対照的に、逞しく戦国の世を生き抜く生命力を熱演して、精彩がある。この役の描写は脚本も監督も力が入っているのがわかるし、この映画の美点のひとつ。

参考

maricozy.hatenablog.jp
『ゲンと不動明王』は戦後稲垣映画のなかでも最高傑作のひとつ。
maricozy.hatenablog.jp
時代は下って泰平の武士の世に加賀騒動も勃発!映画『加賀騒動』もかなりの傑作で、こちらは全く牧歌的でなく、ひたすらシリアスに奥歯がすり減るような心理的負荷をかける、サラリーマン残酷映画。世界中の組織人が嗚咽したとか、しなかったとか!?
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
これも加賀騒動を描いた映画ですね。意外に見どころのある『武士の献立』
maricozy.hatenablog.jp
『秘剣』は全く牧歌的ではない悲痛な青春映画。脚本の馬渕薫(木村武)の持ち味もあるかな。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
浄土系の宗教映画としては、こちらが真正面から親鸞のこころ(?)を描き尽くした傑作。『競輪上人行状記』ですよ。必見。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp

言っときますけど、うちは淫売屋じゃなくて、うどん屋ですからね!幻の小品佳作『屋根裏の女たち』

基本情報

屋根裏の女たち ★★★☆
1956 スタンダードサイズ 82分 @アマプラ
企画:塚口一雄 原作:壺井栄 脚本:井手俊郎、木村恵吾 撮影:秋野友宏 照明:伊藤幸夫 美術:柴田篤二 音楽:斎藤一郎 監督:木村恵吾

感想

■とある港町のうどん屋で客寄せにストリッパー崩れの女を酌婦に置いたところ繁盛して、数人の酌婦を置くまでに急成長する。もちろん売春が行われていることは地元では公然の秘密だ。その家の年頃の一人娘の性春と酌婦達のそれぞれの人生模様を織り込んで描く文芸女性映画の小品佳作。こんな映画が存在していたことは今回始めて知りました。まだまだ昔の邦画は発掘のし甲斐があるね。

■でも企画意図としては、日陰の女達の赤裸々な実態をえげつなく描くことにあったようで、木村恵吾監督もそこはグイグイ押す。後年なら五社英雄が撮ってもいいくらいの内容だ。地味ながら演技陣の力演と好演が目立ち、望月優子清川虹子浦辺粂子の三巨塔が揃うだけでもうお腹いっぱい。望月優子はいつもながら悲劇的な日本の母親像を完璧に演じるし、むしろ日本の母親像を彼女が発明してしまったのではないかというくらいに馴染んでいる。ご近所の清川虹子は実はまだ若いのだが、すでに完璧なおばさん演技。浦辺粂子はうらぶれた流しの芸人で、なにかと周囲に辛辣な悪態をついて笑わせる。人のいいばあさんではなく、今回は悪(アク)のほうの粂子である。こんな婆さんは、今も昔も各地に実在します。

■さらに酌婦達の顔ぶれも凄くて、ストリッパー崩れを演じる倉田マユミのやけくそ気味に人生を開き直ったあばずれ演技が実にリアルで凄い。大映の脇役女優だけど、実は映画監督の倉田文人の娘で、なんと文学座出身の生粋の新劇人。とてもそんな生え抜きに見えないやさぐれた生々しさが逆に凄い。ホントの場末の女を連れてきましたくらいの、演技を超えたリアリティがある。一世一代の名演じゃないか。さらに同僚の酌婦の中には若々しい岸田今日子までいて、太もも丸出しでピチピチしているし、太い唇の存在感もすごい。まるで妖怪みたい(いい意味で)。倉田マユミとは同じ文学座出身だから張り合っていたかもしれないね。

■モノクロ、スタンダードの映像フォーマットが完璧に機能していて、低予算作品なのにロケとステージ撮影の照明のマッチングも完璧だし、猥雑な生活感が生々しく造形される。木村恵吾の映画ってはじめて観たけど、粘っこく描くスタイルのようだ。代表作が二度も映画化した『痴人の愛』だしね。でもこれだけの濃厚な演技合戦を捌く手腕は並ではなくて、演技指導が相当に上手い監督だったようだ。

■ちなみにネット上のデータでは音楽が團伊玖磨になっているけど、実際は斎藤一郎なのだ。要注意!

参考

同じようなお話を社会派風に描くと滝沢英輔の『十六歳』になる。脚本も同じ井手俊郎だし、完全に姉妹映画だね。
maricozy.hatenablog.jp

原宿族の生態を抉れ?山本圭が可愛くグレる異色作『君が青春のとき』

基本情報

君が青春のとき ★★★
1967 スコープサイズ 94分
企画:大塚和 脚本:山田信夫倉本聰、加藤隆之介 撮影:萩原憲治 照明:大西美津男 美術:坂口武玄 音楽:小杉太一郎 監督:斎藤武市

感想

■TBSの新人ディレクター(吉永小百合)は原宿族の自堕落な生態を世間に訴えるべく、潜入取材に突入するが、騙されて心を許した純な青年ピン公(山本圭)に対する罪悪感から取材の断念を決意する。。。

吉永小百合が新米テレビディレクター役を演じる異色作。入社一年目の新人ディレクターがドキュメント番組の企画を採用されるというのはいくらなんでもありえないと考えるますが、いかがなもんでしょう。1967年当時のこと、TBSでは局のディレクターが「ウルトラマン」なんか撮ってる頃ですね。その中には若手の実相寺昭雄もいたけど、30歳くらいですね。ただし、演出家デビューは入社2年目くらいだから、黎明期のテレビ局は人材の登用が早かったようですね。凄いね。伸び盛りの業界だな。

■お話としては意外とよくできていて、新人ディレクターの演出デビュー作での挫折を描く苦いお話で、印象としてはアメリカ映画にありそうな素材と描き方。日本映画には珍しいと感じる。企画が大塚和なので、やっっぱり普通の青春映画ではなく社会派青春映画で、マスコミと取材対象の距離感について描いている。全く同時期に大塚和が監督デビューさせた今平が『人間蒸発』を公開していて、取材する側とされる側が一線を踏み越えるお話(というか実録)なので、今平の意欲作に対する日活の返歌とも考えられる。

■1965年から1967年ころまで風紀の乱れや交通問題が地元で問題視されたらしい「原宿族」の生態をえぐるといいながら、彼らの生態も実態も、実は何も描かれていない点が最大の欠点。山本圭がその代表選手として注目されるが、人間像の描き込みはほとんどないに等しい。単なる根無し草のチンピラといった風情で、山本圭本人も演じるのに苦労しているように見える。いつもの左翼論客キャラではなくて、妙にふにゃふにゃした頼りない演じ方で、サングラスを外さない。

■それでも、このピン公が可愛く見えてくるから、映画は一定の成功をおさめる。寂しげに去る後ろ姿の哀しさ。彼はどんな人間で、何を考え、それは「原宿族」ゆえの問題だったのか、ピン公の個別の問題だったのか、そのあたりは何も具体的に描かず、映画の主題はマスコミ人の倫理の問題に集約してゆく。その意味では尺が足りなかったかもしれない。

■原宿族のたまり場で流しの女ギター弾きと山本圭がデュエットする場面がなかなかの傑作で、雰囲気あるきれいなお姉さん風のギター弾き(凄い設定だな)を演じるのが、斎藤チヤ子で見事にバッチリな雰囲気美人。「怪奇大作戦」の『京都買います』の美弥子さんじゃないですか。もちろん、その前の映画ですが、大人っぽい憂い感が堪りませんね。まだ若いのに!

■監督の斎藤武市は小津調の文芸映画にオリジンがあるのだが、娯楽映画路線でも卓越した手腕と感覚を発揮している、なかなかすごい人。本作も冒頭で内藤武敏演じる部長のデスクの前で自分の企画について長弁舌を振るって部長のお茶を勝手に飲むや「ぬるい!」と言い捨てるシーンからタイトルに切り替わる導入部分なども見事な演出。

■ちなみに英語タイトルは『Hippie Love』となっていて、ぐっとくるけど、でもお話のテーマはマスコミ人の報道倫理の問題なので、タイトルに偽りありだね。

参考

斎藤武市はいい映画を撮ってますよ。当たり前だけど。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp

向こうが権力で来るなら、こっちは金や!面白すぎる150分映画の記念碑的傑作『白い巨塔』

基本情報

白い巨塔 ★★★★
1966 スコープサイズ 149分 @アマプラ
企画:財前定生、伊藤武郎 原作:山崎豊子 脚本:橋本忍 撮影:宗川信夫 照明:柴田恒吉 美術:間野重雄 音楽:池野成 監督:山本薩夫

感想

■なんというか年末になると観たくなってくる不思議な映画で、でも何年ぶりだろうか。なにしろこのブログの過去記事に見当たらない!

■お話は説明するまでもなくみんなご存知のとおり。とにかく名門浪速大学医学部附属病院の教授陣のおじさんたちの権力闘争と権謀術策が圧倒的に面白くて、日本中の勤め人も身につまされるので、当然のように大ヒットした。

田宮二郎が何かが憑いたような異様な熱演を見せるし、橋本忍の話術も絶頂期で有無を言わせないし、山本薩夫の演出もかなり熱が入っていて、『傷だらけの山河』より意欲的。実際の開腹手術をタイトル頭で巨大スクリーンに映し出すケレン味もさすがの映画職人。やるときはとことんやるべきなのだ。封切り当時、映画館でかなりの観客が卒倒したんじゃないかな。映倫がよく許したと感心する。

■当時原作は第1部までしか完成していないので、誤診裁判の場面は実は35分くらいしかなくて驚いた。教授選の話がクライマックスであるけど、そのあとにさらに誤診裁判でダメ押しして、もうひとつのクライマックスが設置されるという、これ『エイリアン2』方式の先取りじゃないか。

■しかも映画的には単調になりがちな裁判シーンはナレーションを多用して、重要な証人の証言だけを取り出して、その台詞と回想だけでちゃんと劇的なクライマックスを構成するという力技。橋本忍の剛腕恐るべし。芸達者が演じるその証人の話術、話芸で面白がらせる手法は後に野村芳太郎の『事件』でも踏襲してますね。本作は加藤嘉滝沢修の圧倒的な名演で釘付けになりますよ。こんな演技なかなか真似すらできない。言を左右して真意を悟らせず、「いや、私はそんなことは申し上げていない。私の言っていることは意味が違う!」と名台詞を繰り出す滝沢修に惚れます。。。

■久しぶりに見ると石山健二郎の出演が多くて、浪速の反権力魂をグロテスクに体現して圧巻。「なんぼや、なんぼ金がいるんや!」「向こうが権力で来るのなら、こっちは金や!」は男なら(?)一度は啖呵を切ってみたい名台詞。ちなみに「おなごの溝浚いして金貯めたかいがあった」の酷い台詞はシナリオにはないので、山本薩夫が原作から(?)付加したものかもしれない。でも座敷の芸者たちが大受けしてるんだよね。これが昭和時代の現実だったのだ。

■さらに今回感心したのは小川由美子の綺麗さで、クラブのママなので当時のスマートな流行ファッションでバッチリ決まっている。全体に演技のトーンが高すぎるのでやや演劇的なんだけど、随所で弱気になる田宮二郎のネジを巻く様が演技的にも演出的にも秀逸で、特にS#137のアパートで田宮二郎を追い詰める場面は圧巻。「投資株の大暴落・・・財前家とも縁切れで、もうどこへも行くところが・・・いや、そうでもないわ。あんたの行くところが一つだけあるわ。岡山県や。」と田舎の岡山に帰って、お母ちゃんの懐に逃げ帰れ、つまり人生のふりだしに戻れと詰ることで、田宮二郎は腹が決まって発奮する。おれは誤診などない。するはずがない。何一つ間違いなどなかったのだと裁判で押し切る覚悟を決める。この場面、脚本だけではここまでテンションの高い見せ場に感じられないのだが、山本薩夫のケレン演出は冴えている。

橋本忍の構成で大改変は、田宮二郎の外遊の部分の割愛と、滝沢修(船尾教授)の再登場下り。どちらの措置も尺に納めるために必要な処置だが、特に船尾教授の裁判所鑑定人としての再登場は効果絶大で、テーマも際立つし大成功だった。

これホントに山本薩夫が撮ったのか?の謎映画『にせ刑事』

基本情報

にせ刑事 ★☆
1967 スコープサイズ(モノクロ) 92分 @アマプラ
企画:伊藤武郎、宮古とく子 脚本:高岩肇 撮影:小林節雄 照明:泉正蔵 美術:間野重雄 音楽:日暮雅信 監督:山本薩夫

感想

■拳銃を盗まれて警官を辞めた男(勝新太郎)は、家業の魚屋を継ぐつもりが、たまたま知り合った幼稚園の先生(姿美千子)の受け持ちの子供が誘拐される事件が発生すると、俄然にせ刑事として捜査を始める。。。

■という変な話だけど、実際はもっと変なので驚く。山本薩夫が『白い巨塔』の次回作として大映で撮った映画だが、企画も脚本も謎だらけで、よほどの事情があったのだろう。脚本の高岩肇は何作も組んでいて、気心がしれているだろうし、過去にそれなりの秀作もあるのだが、本作は明白な失敗作。

勝新演じる元警官が実家に収まるまでが第一幕、偶然電車内でチンピラに絡まれる女性を助けて、かえって怪我をさせるがマスコミに英雄として取り上げられるまでが第二幕、誘拐事件が第三幕といったところだが、肝心の誘拐事件がまったくお粗末で、銀行の不正融資とか政府閣僚の関与した裏金疑惑が背景にあるのだが、その面白そうな事件の摘発に動き出したところで映画は終わってしまう。そこから先が見たかったのに。

加東大介と吉村実子を配置した勝新の実家の描写が長いのは、どうもシリーズ化を意識したものかもしれない。にせ刑事が勝手に事件に介入して、勝手に解決してしまうというコミカルな犯罪ドラマをシリーズ化しようとして、第一作を山本薩夫に任せたのではないかな。それにしては低予算だし、脚本の吟味が足りない。

■正直まったくいいところがない映画で、生きの良い吉村実子のはつらつさとか、何故か誘拐される子供が大魔神好きで、映画館で大魔神を上映してたりする小ネタが興味深いくらいのことで、ホントに山本薩夫が撮ったのかなあ?と感じる次第だ。脚本を読めば、なんだこれ?俺が撮るの?となるはずだもの。

© 1998-2024 まり☆こうじ