お前らは糸をとる大事な機械じゃ!溢れ出す哀しみと怒り『あゝ野麦峠』

基本情報

あゝ野麦峠 ★★★☆
1979 ヴィスタサイズ 154分 @DVD
原作:山本茂実 脚本:服部佳 撮影:小林節雄 照明:下村一夫 美術:間野重雄 音楽:佐藤勝 監督:山本薩夫

感想

■幻の映画と呼ばれて10年、ついに念願の映画化なる!というのがキャッチフレーズとともに当時公開された山本薩夫の大ヒット作。なぜ幻の映画と呼ばれたのか。それは1969年に吉永小百合が自身のプロダクションで映画化を発表し、その後製作中断に追い込まれるという怪事件があったことを指し示している。当時、まだその事件前後の混乱を覚えている観客も少なくなかったということなのだろう。なお小百合版『あゝ野麦峠』事件の周辺事情は以下の記事でも触れていますが、後日改めてもう少し詳細なまとめ記事を書くつもりです。全国の好事家のみなさんは、もう少しお待ち下さい。かなり面白いですよ!
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■さて。実は小百合版『あゝ野麦峠』の八木保太郎によるシナリオ初稿も読んでいるのだが、確かに本作の方が良くできていると思う。江波杏子の『女の賭場』の傑作脚本も書いた服部佳はコンパクトによく纏めたと思う。元々吉永小百合が作りたかった『あゝ野麦峠』はこんなイメージだったのだろうと思う。基本的に叙情的な(悲惨な)青春映画で、同時に近代日本という「国家の」青春とその原罪を描く叙事詩でもある。小百合版『あゝ野麦峠』のシナリオはどうしても叙事詩になってしまい、小百合プロの意向と食い違って流れてしまったのだ。この映画が謎の大ヒットを記録した時、吉永小百合は何を思ったろうか。

■基本的に糸取り女工のみね(大竹しのぶ)とゆき(原田美枝子)が中心となる明治末期の約五年間の物語。幼い少女時代に飛騨の山村から長野県岡谷市の製糸工場(キカヤ)に連れてこられて、百円女工に上り詰めるが、ゆきは若旦那(森次晃嗣!)のお手つきとなって妾になることを拒んで捨てられ、帰郷の途上野麦峠で流産してしまい、ゆきは結核で郷に戻され、故郷の飛騨に向かう途中の野麦峠で命を落とす。二人の娘の悲運、明治日本の悲劇を看取るのが野麦峠のお助け茶屋の老婆で、これを北林谷栄(!)が演じる。実は小百合版『あゝ野麦峠』でも登場する役どころで、そのときも明らかに北林谷栄の宛て書きになっていた。

■前半の山場となるのが、大日本蚕糸会の総裁・伏見宮夫妻がキカヤの視察を行うシーンで、蚕の繭を茹でる臭気にやられて嘔吐する場面。伏見宮を演じるのが平田昭彦というのも凄いけど、わざわざ皇族を登場させておいて、山本亘に「ふたりとも繭の匂いでゲロ吐いた」と総括させる度胸の座った作者にも脱帽だ。何考えてるんだか。。。(その後、山本亘は心中することになるので、因果応報の帳尻が、雑にあってます!)さらに、湖の視察の最中に落ちこぼれ女工が自殺した土左衛門が上がる場面も凄くて、こんなもの上がりよったで、今はまずいから沈めろ沈めろと無かったコトにする庶民の姿に戦慄する。冒頭とラストに、鹿鳴館時代の着飾った外人さんたちの舞踏会の様子を雑に切り取った映像と、工女たちの命がけの労働の姿をカットバックする、とことんわかりやすい対比演出は山本薩夫の真骨頂だろう。上から下まで、対比によって明治の日本の姿を凝縮する狙いは、とにかくわかりやすくてブレがない。



■一方後半のクライマックスは、兄(地井武男)が引き取りに来た病身のゆきが工場を去ろうとするのに、見送りしようと職場放棄する女工たちに向かってモロボシダンこと森次晃嗣が竹刀で強烈な突きを入れながら発する次のセリフ。

「お前らは糸をとる大事な機械じゃでな。糸がとれんようになったら廃品として捨てられるんだ。それが機械の運命だ!」(映画より採録

このあたりのエネルギッシュな畳み掛けはさすがに山本薩夫の演出で面白すぎる。ほんとに森次晃嗣は役得といえる大役で、代表作。

山本薩夫の演出はさすがに往年の馬力は感じられないし、随分と技術的に雑な場面が多いのも寂しいし、なにより配役が小粒なのが残念。検番を演じる三上真一郎はもともと松竹の出身で、当然東宝のスクリーンには場違いだし、独立プロ系の映画にも馴染みがないので、何度見てもしっくりこない。

■特撮愛好家にとっては、ミニチュアワークが意外と多用されるのも嬉しい。製糸工場が林立する諏訪の町の情景をいかにもジオラマ的なミニチュアワークで描き出す。しかも季節と時代の変化に沿って飾り直して、何度も登場する。当然特撮美術は東宝映像の担当だが、撮影は本編スタッフだろうか。

■憑依型の大竹しのぶの演技は文句なしに凄い見ものだし、クールで現代的な少女を演じる原田美枝子の貫禄も凄い。近代化を急ぐ明治日本でこの二人の少女が辿る悲劇は驚くべきことに今見ても古びていない。男社会に適応して女工として向上しようとするみねも、男中心の明治国家に反抗し幸福を追求しようとするゆきも、ともに時代に押しつぶされて幸福にはなれなかった。その哀しみと怒りを言葉として社会に投げつける力を、仲間の女工たちはまだ持っていない。その念仏に、行き場のない怒りを込めながら、夜明けを待つのだ。やがて、労働争議が始まる。(小百合版『あゝ野麦峠』の後半では労働組合のストとその挫折が描かれる!)


参考

山本薩夫演出の周辺

山本薩夫演出の周辺

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服部佳は骨太な良い書き手ですよ。これも女性映画の傑作。
もともと『あゝ野麦峠』は山田信夫が書く予定だったが、監督が新日本映画㈱の持丸社長と大喧嘩していったん企画がリセットされたので降板、再始動したときに服部佳にバトンタッチされたのだ。
続編の『新緑編』も当初は服部佳の予定だったが、監督が社長とまたまた大喧嘩してついに新日本映画㈱は手を引いて、東宝が直接製作することになり、東宝山内久を脚本家として立てたらしい。
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拙著『超特撮 vol.1』では1980年以降の作品を扱っているので、本作はぎりぎり登場しないのでした。残念!

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