アメさんとパンさんのおかげで、アタシは幸せ…基地の街の性春を描く異色作『十六歳』

基本情報

十六歳 ★★★☆
1960 スコープサイズ(モノクロ) 95分 @アマプラ
企画:坂上静翁 原作:打木村治 脚本:三木克巳 撮影:横山実 照明:河野愛三 美術:松山崇 音楽:佐藤勝 特殊技術:金田啓治 監督:滝沢英輔

感想

■60年安保の年、昭和35年度芸術祭参加作品で、実はゴリゴリの社会派青春映画。なのでてっきり大塚和の企画かと思いきや、坂上静翁の企画で、脚本は三木克巳こと井手俊郎が書いているから、どちらかといえば穏健派文芸映画路線。だが、原作者の打木村治は正真正銘の左翼作家なので、本作も埼玉(入間?)の米軍基地周辺の貧しい農家が庭先に廃材で小屋を立てて米兵の日本人妻を住まわせて家賃収入を得ていた史実(らしい)をベースに、そこに生きる中学3年生の女の子の性春と悲劇を描く、まごう方なき社会派ドラマになっている。

■農民たちはパンちゃん(パンパン、パン助)を庭先に住まわせてアメさんとパンさんのおかげで余裕のある生活ができるようになって夢のようだと喜ぶ。でもそのいびつな関係の中で、主人公せん子(浅丘ルリ子)の青春(性春)は歪んでしまう。

■主人公は葉山良二と長門裕之の二人の男性教員の間で揺れ動くが、このあたりの描き方は井手俊郎の得意ジャンルでさすがに見せる。葉山良二はいつものように演技が生硬だし、長門裕之の演技も今平映画に比べると最良のものではないが、特に長門の男の性欲のいやらしさをねっとりと描く筆はさすがに井手俊郎。純愛の相手になる葉山も今の基準で見ると完全に暴力教師で勝手に私物を覗き見る変態だけど、当時は熱血漢ということで、みな納得していたのだなあ(遠い目)。

■主人公の家の貸家にいるのが米兵のオンリーさんである渡辺美佐子で、これが主人公のメンターとなって、いろんなことを教えてやる。その中にはひっそり性教育も含まれていて、せん子はアメさんとパンさんの営みを覗き見る。教師の葉山は彼女は「職業が職業だからね、淫らな反面があるよ」というと、せん子はみんな覗いて知っているけど「淫らじゃありません!」と激しく反抗する。その激しさに気圧された葉山は自転車を漕いでスタスタと離脱する。このあたりの演出は実に良い調子だ。葉山に対する肉欲を自覚する彼女に対して、葉山はあくまで煮え切らないのだ。キスだけはしてしまったけれど。

渡辺美佐子は村の弁天池に米軍基地から廃液が流れ込んで田畑を汚染していることを知り、損害賠償を要求するデモに参加すると米兵からアカは大嫌いだと棄てられてしまう。この映画の社会派的な部分は、この渡辺美佐子の退場でいったん後退し、その後はせん子の性春と就職活動が描かれ、実家の経済的困窮にも追い詰められてゆく。そして長門先生のダメ男ぶりが露呈してくる。

■監督の滝沢英輔は戦後に東宝から日活に移籍した戦前からのベテランなので、日活では巨匠扱いのはずだが、なぜか戦後民主主義に対する違和感を描き続けた変な人で、本作はその思想をかなりストレートに描いている。しかも60年安保の敗北の後に。でも老巨匠の小品なので、当時誰も反応しなかったのだろう。知る人ぞ知る異色作だ。

■ただ、ラストの取って付けたようなせん子の交通事故死はあまりにご都合主義でいただけない。当時ありがちな展開ではあるが、やはり安易に感じる。基地付近の大型看板の照明に照らし出された、パンちゃんに成り下がったケバい浅丘ルリ子の妖艶な表情とか、さすがに演技も演出も素晴らしくショッキングな見せ場なのは劇的効果満点でいいのだが、安易に彼女を殺してはいけない。

■無残な姿で生き続けざるをえない絶望的な日本と米国の断絶の有り様は、ここで途絶えるものではなく、今後もさらに曖昧なまま営々と続く「戦後」であることを訴えないといけないはずだから。

参考

▶日本人は米国の残飯をあさる豚だ!と日記には書いておこう。
maricozy.hatenablog.jp
滝沢英輔は敗戦国日本の「戦後」の違和感を時代劇に仮託して凝視し続けた。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
▶60年安否の挫折は当然若い映画人に多大な影響を残した。
maricozy.hatenablog.jp
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