ウ・シ・ロ・ヲ・ミ・ル・ナ
1999/スタンダードサイズ
(99/9/28 テレビ岡山)
原作・マーク・マクシェーン 脚本・大石哲也、黒沢 清
撮影・柴主高秀 照明・金沢正夫
美術・丸尾知行 音楽・ゲイリー芦屋
監督・黒沢 清
感想(旧HPより転載)
音響効果マン(役所広司)の大型トランクの中に何者かに誘拐された少女が偶然閉じこめられてしまったことを発見した彼の妻(風吹ジュン)は霊能力でその居所を突き止めたと喧伝することで自分の持つ特殊能力を世間に認知させようとたくらむが。
「雨の夜の降霊祭」というタイトルで既に映画化されている原作の翻案によるホラー仕立ての犯罪劇で、関西テレビ制作による黒沢清のホラーには珍しく、ごく分かり易い幕切れとなっており、一般の2時間サスペンスとして観るに違いない視聴者にも親切な作りとなっている。もちろん、黒沢清自身はそんなことは否定するに違いないが、プロデュース側にはおそらくその意向があったはずだ。
役所広司と風吹ジュンの夫婦役というのは「金融腐食列島・呪縛」そのままだし、黒沢清の公開待機中の新作「カリスマ」でも共演しているはずで、いわばいま最も脂ののった顔合わせといえるだろう。実際、実質上の主役ともいえる風吹ジュンのここでの演技は特筆に値する。
岸部一徳、草なぎ剛、石田ひかり、きたろうといったメジャーなゲスト出演も華やかで、加えて大杉漣や清水大敬といった脇役、そして哀川翔までもが顔を見せるという意味で、ホラー映画にもかかわらずなんだか祝祭的な気分が充満している。
もちろん、風吹ジュンが目にしてしまう霊たちの描写は冴え渡り、ファミレスで大杉漣に付きまとう赤いドレスの女なんてデジタル処理で輪郭が滲んでいるあたりは新機軸で面白いし、後半に主人公達を責める緑色の少女の霊もただ林の中に佇んでいるだけというぶっきらぼうな描写が押しつけの恐怖を超えた”なにものか”の実在を訴えかけて、黒沢清の先鋭さを如実に示している。
しかし、今回の黒沢清の最大の企みは少女が潜り込んで閉じこめられるトランクの扱いにあることは明白だろう。普通に考えればあまりに不合理なこのトランクの取り扱いは、あるいは説明的なシーンを省略してしまったことによる欠陥なのかもしれないが、むしろ黒沢清の演出意図によってもたらされた不合理さと考えるほうが妥当だろう。つまり黒沢清はトランクという物体に我々が現実世界で知っている意味とまったく別の性格をこの映画の中に限って適用しようと考えたのだ。
なぜ主人公はトランクに少女が隠れていることに気付かなかったのか、なぜトランクは中途半端に車庫に放置されたままになっていたのか。それはトランクという物体がこの物語世界では一個の主体として機能しているからなのだ。極端に言ってしまえばトランクはこの世界では一個の生きものなのであり、しかし登場人物達もまだそのことに気づいていない状態にあるのだ。
ある時は身代金の持ち運びに使われ、あるときには秘密兵器の設計図が隠蔽され、またある時には死体の運搬にも使用され、あの太平洋戦争末期にはこともあろうにフランケンシュタインの怪物の不滅の心臓の運搬にも使用されたことすらあるという、あらゆる映画の中で頻繁に登場してきたトランクやアタッシュケース、あるいはその祖形たるあらゆる箱形の物体が潜在的に具備する”隠す”という映画的能力がその純粋な形で自立的に機能するとしたら?
ここで真に邪悪な存在は、浮遊する霊体でも少女の亡霊でもなく、森の中で少女を自らの体内に誘い込み、少女を抱きかかえて車庫の中にひっそりと息づいていたあの鉛色に鈍く輝く物体こそが、その実体であるに違いない。
参考
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