『修羅の極道・蛇の道』

修羅の極道・蛇の道
1998 ビスタサイズ
(98/5/30 V)
脚本・高橋 洋
撮影・田村正毅 照明・佐藤 譲
美術・丸尾知行 音楽・吉田 光
監督・黒沢 清

感想(旧HPより転載)

 「いちど、こういうことやってみたかったんだ」といいながら淡々と暴力を行使する謎の塾講師(?)哀川翔の助けを借りて、幼い娘を惨殺された香川照之は、仕事上の繋がりのある下元史朗や柳ユーレイらの極道者を廃工場に拉致監禁して真犯人を探ろうとする。やがて、辿り着いた荒れ果てた廃墟のなかで、柳の妻で”コメットさん”と呼ばれる仕込杖の女(!)たちと対決するうちに、事件の真相と哀川の秘密が明かされてゆく。

 「女優霊」「リング」のというよりも「露出狂の女」の、と敢えて呼びたい高橋洋の脚本は幼児虐待を素材にしたアメリカのサイコサスペンス小説を思わせる陰惨な復讐劇としてみてもウエルメイドな仕上がりで、事件の論理的展開と登場人物の心理的な整合性を兼ね備えている。おそらくアクション映画系の監督が普通に撮っていたとしても、十分に上出来なアクション映画となっていただろう。例えば、渡辺武や三池崇史あたりのVシネマ界の俊英でも十分に成立する映画ではあったはずだ。

 しかし、この映画がやはりユニークであるのは、黒沢清の自身のモチーフへの執拗な執着によっているのだろう。例えば「DOORⅢ」や「CURE」で探求された導く者と導かれる者という人物設定が、ここでも試みられていることを挙げることができる。つまり「DOORⅢ」での謎の男(役者名失念)と田中美奈子、「CURE」での萩原聖人役所広司との関係性が、哀川翔香川照之の中に継承されている。さらに思い返せば、前述の傑作Vシネマ「露出狂の女」(塩田明彦監督)でも、図書館の美術書に自身の痴態を捉えた写真を仕掛けて獲物を待ち構えていた女子大生との文通という伝導によって、主人公の主婦は日常の世界からめくるめく官能の原野へ、そして果てに広がる虚無の世界へと旅立ったのではなかったか。

 ネタバレになってしまうため詳しくは記さないが、「CURE」のラストで導き手であった萩原聖人を超えて日常の中で恐怖と同化してしまった役所広司が見せる平凡な人間の表情が、この作品のラストカットで哀川翔がみせる、人間の感情を丸ごとどこかに置き忘れてしまったような、あるいは黒沢清の映画の定石化してしまった舞台装置と同様に空っぼの、真空の笑顔と重なって見えるのはそのためだ。

 しかも、哀川翔の表の稼業として、商店街の一角で、年齢も性別もまるで共通性のない生徒達を前に演じられる、一切の説明性を排除した塾(?)のシーンで教えられるのは、物理法則ないし高等数学の定理の証明を装った「世界がひっくり返る」ほどに物騒な謎の呪文、あるいは邪教の教義であり、彼もまた「CURE」の萩原聖人が100年前の狂人から継承した催眠暗示の秘技を伝導するのと同じように、世界を静かに変革しようとしている。

 さらに、「CURE」で秀逸だった100年前の狂人が残した実験フィルムに呼応するように、哀川翔があるビデオテープを用いて香川照之を伝導する。これは高橋洋「リング」からの援用でもあるのだが、恐怖と狂気を感染させる媒体としての二次元映像というモチーフは、極めて自己言及的な道具立てである。

 ここまで似通ってくると、もはやこの映画は「CURE」のモチーフを今度はホラー映画ではなくアクション映画として変奏したものであることは明らかだろう。両作はまるで双子の関係にあるのだ。

 それにしても、伝導や布教といったモチーフにあくまでも執着する高橋洋黒沢清コンビの動因となっているのは、巷間指摘されているオウム事件の影響云々というよりも、彼らがその影響を隠そうとしない小中千昭、鶴田法男コンビによる怪奇実話再現ビデオがもたらした恐怖映画の新しい真理、その変革を共有したいという欲動であるに違いない。

(追記)99.2.18
 哀川翔が商店街の謎の塾で生徒達に教えていたものが何だったのか、今回明らかになったので付記しておきたい。

 あの”空間が裏返って時間が逆流する”という高等数学めかした謎の数式は、数学や物理学の範疇ではなく、言語学に属する問題だったのだ。つまりあれは死者と会話するための言語なのだ。

 それは哀川翔の提起する問題を易々と解答する少女の存在が、ラストに至って実在ではなく彼もまた喪っていた娘の亡霊であったことがはっきりすることによって明確となる。

 しかし、そのことは死者との会話を唯一成立させることのできる哀川翔もまた死者ではないかという可能性を開示し、娘を喪って茫然自失の香川照之が公園の通路上に書かれた謎の数式に導かれるようにして出逢う哀川と少女の唐突な出現ぶりによって確固たるものとなる。

 哀川翔は「荒野のストレンジャー」のクリント・イーストウッドだったのだ。

© 1998-2024 まり☆こうじ