『回路』

■久しぶりに黒沢清の「回路」をDVDで見直して、本人がノベライズした小説版も読んでみた。

■映画版は前半の恐怖映画としての出来栄えが、記憶以上のもので、夜ひとりで観ているとほんまに怖いですよ。林淳一郎の撮影、羽毛田丈史の音楽も絶品ではないか。しかし、後半になってくると、特に加藤晴彦小雪のエピソードに相当無理が出て、リアリティの水準線がどのあたりに置かれているのか混乱してくる。

■小説版の読みどころはそのあたりを本人がどう理屈づけているかという点なのだが、端的に言って、小説版は登場人物の人間らしさが素直に一定の説得力でもって描かれている。登場人物の心理描写に、黒沢清独特の演出がほどこされている映画版に比べると、小説版はある意味で普通にわかりやすい物語になっている。そのことは、特に加藤晴彦小雪のエピソードに顕著で、終盤の加藤晴彦麻生久美子の出逢いの必然性がすんなり理解できる。映画版では特に廃工場の場面など、不自然の極みなのだが、小説版ではちゃんと舞台は大学の研究室に設定され、麻生久美子のちょっとした活躍も用意されており、理にかなっている。

■映画版に比べて小説版は麻生久美子の演じるミチ(未知の意味だ!)のキャラクターが積極的に描かれ、人類という存在の孤独をテーマとした映画版のペシミスティックな味わいとは異なり、お話自体が”未来を誰が知ろう”と、未来志向で締めくくられている。

■映画版は黒沢清流の青春映画として観れば、有坂来瞳の消失やラストの加藤晴彦の消滅など、もの悲しい良いシーンが忘れがたいし、大海原にポツンと砂粒のように浮かぶ船の大俯瞰ショットも映画のテーマを端的に表現しており、昏くていいのだが、小説版は幽霊の物理的侵略という奇想が全面展開されたSF小説として非常にユニークで、これまた捨てがたい。ただ、不老不死の技術的発見云々というあたりのリアリティ感覚のバランスのとり方がSF小説としては問題になるだろう。

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