お殿様は酒乱!内田吐夢が戦争責任を追求するハード時代劇『血槍富士』

基本情報

血槍富士 ★★★☆
1955 スタンダードサイズ 94分 @NHKBS
企画:マキノ満男、玉木潤一郎 企画協力:伊藤大輔小津安二郎清水宏 原作:井上金太郎 脚色:八尋不二、民門敏雄 脚本:三村伸太郎 撮影:吉田貞治 照明:中山治雄 美術:鈴木俊孝 音楽:小杉太一郎 監督:内田吐夢

感想

■江戸へ登る若様(島田照夫)には酒乱の悪癖があったので、お供の槍持ち奴(片岡千恵蔵)は気が気じゃない。道中で同宿した父娘が娘を苦界に沈めようとしていることを知ると、若様は伝来の名槍を金に変えようと考えるが、偽物と鑑定される。。。

満映終戦を迎え、中国に残留していた内田吐夢の戦後復帰作で、以前に一度観ているが、すっかり後半を忘れていた。改めて観ると、終盤でテーマ性が明確になって、思いの外感動することに。

■道中を庶民と一緒に旅する設定で、若様が互いに助けあいながら生きている庶民の生活ぶりに触れて、それに比べて武家社会の虚妄ぶりを認識するというお話が自然と腑に落ちる。名槍と言われた槍は偽物で値がつかないし、家来の槍持ちの立てた手柄は、主人の手柄として顕彰される。では主人の手柄は主君の手柄なのか?では主君の手柄は誰の手柄なのか?と考え始めると、いやでも封建制社会の砂上の楼閣に似た論理の虚妄に気づくことになる。

■そんな若殿を演じるのが島田照夫という人で、いまいち演技的に深みが足りないのが残念なところで、もう少し良い役者ならもっとテーマが強調されただろう。人は良いんだけど酒乱で、とにかく酒だけは飲ませるなという言いつけが劇的なサスペンスを生むし、実際そんな残念な人は身近にいるので、リアルそのもの。終盤には、とうとう居酒屋で些細なことから武士同志の乱闘が始まることに。

■最後に小杉太一郎の諧謔的な音楽に海ゆかばが次第にフェードインしてせり上がってゆく演出は映画史的に伝説的な場面だけど、すっかり忘れていたので、新鮮な気持ちで感動しましたよ。家臣の手柄が主人の手柄になり、主人の手柄は君主の手柄になるのなら、そんな封建的な社会制度の成れの果てに経験した大戦争の、その失敗の責任はいったい最終的に誰のものなのか?と言外に問いかける内田吐夢の攻めた姿勢は大胆不敵だ。これが時代劇の醍醐味というものだし、とにかく「映画づくり大好き人間」の結集した東映の自由さと懐の深さというものだ。この若様の姿には、内田吐夢満映で仕えた甘粕理事長の姿が仮託されている気もするなあ。根はいい人なんだけど、どこかに変なスイッチがあって、そこだけは触ってはいけないという危うい感じの人。

■といったテーマ性も凄いけど、道中の庶民の描写がさらりと冴えていて、千恵蔵といい感じになる女旅芸人の母娘の交流とか、腹に一物含んだ雰囲気でこっそり大金を運ぶ月形龍之介のエピソードとか、槍持ちに素朴に憧れる少年(千恵蔵の実子)の文字どおり裸一貫で飛び出してきた心もとなさとかに痺れるなあ。

■いいな、槍持ちなんかになるんじゃないぞ。千恵蔵は実の息子にそう告げて(教示して)故郷へ向かう。主人の仇討ちはしたけれど、この心の虚しさはなんだろう。死ぬべき理由の無い者たちがまた無為に命を落としてしまった。故郷へ向かうその道筋には、同じように無数の水漬く屍、草生す屍が眠っているに違いないのだ。


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