『宮本武蔵・二刀流開眼』

基本情報

宮本武蔵・二刀流開眼
1963/CS
(2003/4/19 BS2録画)
原作/吉川英次
脚本/鈴木尚之内田吐夢
撮影/吉田貞治 照明/和多田 弘
美術/鈴木孝俊 音楽/小杉太一郎
監督/内田吐夢

感想(旧HPより転載)

 柳生の里を訪れて柳生石舟斎(薄田研二)の教えを請おうとした武蔵は柳生四皇帝の出迎えを受け、とっさに二刀流で応じるが、柳生石舟斎の元へ身を寄せていたお通の姿を見て、柳生との手合わせを断念する。正月元旦に又八と五条大橋での再会を約していた武蔵は京へ向かうが、その頃武蔵を迎え撃つ吉岡道場の二代目清十郎(江原慎二郎)の苦悩は深まっていた。

 いよいよ佐々木小十郎(高倉健)の登場するシリーズの3作目だが、この小次郎が随分尊大で酷薄な嫌味な男として描かれているあたりが興味を引くが、高倉健の配役には疑問も多い。後の加藤泰が松竹で撮った田宮二郎の小次郎などのほうが演技的にも配役としてもふさわしいかったように思える。

 ただ、渡海船の舳先に立つ小次郎の初登場のカットでは、背後にアニメ合成で水鳥が飛び交うという内田吐夢の拘りの演出が楽しいし、武蔵に恋焦がれて海に身を投げほとんど狂女に近い朱実(丘さとみ)を引き取って、性的な匂いを仄めかす語り口も頼もしい。

 しかし、今回の実質的な主役は武蔵というよりも吉岡道場の二代目としての圧迫に今にも押しつぶされそうな清十郎であり、ラストの武蔵の一撃で肩を砕かれ、小次郎の冷酷な進言により、その腕を斬りおとされながらも、武門の面子を保つため歩いて洛中に戻ろうとする凄惨な見せ場に、天才であり素浪人である武蔵と比較された凡人であり組織人である二代目の悲劇が強く打ち出されているものの、それが直裁に映画的な感動には結びついていない憾みは残る。

 後半の大きな見せ場になる五条大橋のステージセットなど、東映ならではのスケール感が凄いが、京都文化博物館のスクリーンで観たプリントはもっと富士フィルムの特質が顕著で、小次郎が吉岡一門と対立する河原のシーンなど雨の情景の湿った空気感が見事に表現されたものだったのだが、テレビモニターではとてもそこまでの質感は求めようがない。

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