東映映画のアイデンティティはどこから来たのか?大下英治著『小説東映 映画三国志』

■断捨離をしていて段ボール箱から出てきたので、捨てる前にもう一度読んでおこうかと手に取りましたが、さすがに面白いので一気に読みました。主役は岡田茂です。マキノ光雄らが満映の残党に仕事を与えるために東横映画で映画製作を再開し、弱小プロダクションから東映になって、さまざまな幸運からヒット映画が生まれるようになる。戦後のその社歴はほとんど岡田茂の人生に重なる。

■いかにも東映らしい豪快な(荒っぽい)エピソードに事欠かないけど、映画史的に興味深かったのは、東京撮影所の現代劇でヒット作をという念願がかなって、昭和32年今井正の『米』がヒットして、『純愛物語』も公開され、関川秀雄の『爆音と大地』(これ観たいなあ)、内田吐夢の『どたんば』の四大現代劇が公開されたと書かれている点。これにより東映撮影所=現代劇は軌道に乗ったということ。

■そもそも東映の屋台骨は、関川秀雄の『きけ、わだつみの声』とか今井正の『ひめゆりの塔』といった戦争映画(というか厭戦映画)≒社会派映画の大ヒットで築かれたので、経営的に儲けの大半は京都撮影所の時代劇になってゆくけど、もともとの会社のアイデンティティはこのあたりにあり、その企画について映画製作の司令塔であるマキノ光雄のもと、剛腕で張り切ってすすめたのが若き時代の岡田茂だった。なんとなく忘れがちですが、東映と言えばそんな会社なんですね。映画会社東映ここにありと宣言したのは、左翼がかった戦争映画≒社会派映画だったということ。マキノ光雄は、右も左もないんや、うちは大日本映画党じゃ!という名言があるくらいで、映画至上主義、というか一定の品質があって、正念場がしっかりしていて、儲かるなら思想信条は問わないという鷹揚な大人。

内田吐夢の名言としては、錦之助有馬稲子の『浪花の恋の物語』のときに、東映時代劇なんで立ち回りはありますよね?と聞かれて、「立ち回りは、ありますよ。人間心理の立ち回りがね」と返すところがサイコーですね。けだし名言だと思います。

■他にも、京都映画界では怖い人として有名だった松本常保(特撮ファンには日本電波映画の社長として有名)も暴力事件絡みで出てくるし、『緋牡丹博徒 一宿一飯』の名台詞「肌に墨はうてても、心には誰れも墨をうつこつはでけんとです。」は、脚本家の野上龍雄が砂川闘争の「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」という標語をもとに発想したとか、知らなかったよ。藤純子が入れ墨を嫌がったので納得させるために工夫して追加した台詞だそうですが、こんな台詞を書かれると役者としては後に引けませんわなあ。凄いエピソード。

■ちなみに、小説は『柳生一族の陰謀』のヒットまでですよ。いまや東映といえば特撮とアニメというイメージですが、少し前まではヤクザ映画の東映だし、もっと辿れば、時代劇の東映、でも淵源は社会派映画の東映なんですね。敢えて言えば、満映にまで遡る。実に興味深い会社です。

参考

最近、以下のNOTEで東映映画の歴史が簡潔に纏められています。筆者は山口記弘氏。京大出身で東映太秦映画村社長までつとめられた方ですが、東映人なのに(?)全くコワモテではなく、直接お話した印象はどちらかというとオタクっぽい印象で、波長が合いました。つまり、明らかに”こっち側の人”だということです!
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東宝映画のエッセンスについては、この本を読むといろいろと腑に落ちます。名著です。
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