今こそ「世界同時怪獣革命」の時!実は政治思想劇だった『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

おはなし

■わたしは「モナーク」の科学者エマ・ラッセル。なぜか美男美女揃いの秘密機関「モナーク」のなかでも、魅惑的だとか、謎めいた大人の女のムードがあるなんて噂されたものだけど、実際誰にも負けない自信があるわ。今じゃ、バツイチで所帯じみてしまったけど、若い頃は。。。ごめんなさい、つい遠い目をしてしまったわね。

■5年前、ゴジラのサンフランシスコ上陸で愛する息子を亡くしてからはゴジラに対する復讐心で怪獣たち(タイタンズ)の研究を進めてきたの。自分でも意外だったけど、その結果たどり着いたのは、怪獣たちの存在意義が何なのかということだったわ。地球上で次々と発見された怪獣たちは、地球上で人類誕生以前から生態系の中に特別な位置づけを与えられていることを知ったの。

■怪獣たちは地球の生態系のバランス装置であり、地球環境が自然の摂理に反する変化を起こしたとき、その偏りを糺してあるべきところに押し戻そうとする。そのために、その巨体と巨大な力が必要とされたらしいの。だから、いま怪獣たちが目覚めつつあることは、地球の生態系の危機を意味している。人類による地球環境の激変が、怪獣たちによる地球規模のリセットを必要とする、臨界点を超えたのね。

■であれば、ゴジラを始めとする怪獣たちは倒すべき、滅ぼすべき対象ではなく、むしろ、彼らに力を貸すことが地球規模で考えたときに正義なのではないか?いえ、そうに違いない。

■愛する聡明な娘、マディソンもきっとその理念を理解してくれるはず。怪獣たちによる地球環境の是正、スクラップ&ビルドこそが宇宙規模の正義に違いないのだから。そのためには、この特殊音波装置「オルカ」を使って怪獣たちとコミュニケーションをとり、呼び覚ますことが必要だし、生ぬるい「モナーク」に先んじて目的を達成するためには、過激な環境テロリストたちの実行力を一時的に利用することが必要だったの。許して、マディソン、目的のためには手段を選ばないこの母を。

■でも、世界の真理を知ってしまった以上、科学者として、もう後戻りはできないのよ。手遅れにならないために、今こそ実践するときなの。そう、怪獣たちによる「世界同時(怪獣)革命」を遂行するときが来たんだわ!まずは南極に眠る、最強の怪獣「モンスター・ゼロ」を呼び覚ますのよ!

感想

■というわけで、エマ・ラッセル博士の心の声を代弁してみました。この映画、怪獣映画がSFからファンタジーに変化してゆくプロセスをそのまま一本の映画のなかでも再現してみせる、なかなか味わいの深い映画で、単なるバカ映画ではないですね。CG怪獣たちのドツキ合いには燃えませんが、「世界同時(怪獣)革命」幻想に突き動かされる女科学者にして女革命家、エマ・ラッセルの物語としては、中途半端ではあるものの、見どころが多い。

■一方で、怪獣たちは倒すべき敵ではなく、適応すべき大きな環境変化なのだと説く芹沢博士の言も味わい深い。それ、フォーチュン・クッキーのおみくじに書いてあったのか?と茶化すあたりが、いかにもアメリカンですが、実際そのとおりなのだということは作者たちも認識して書いている。1954年の『ゴジラ』でゴジラを葬り鎮めるために自己犠牲となった芹沢博士の子孫が、こんどはゴジラを復活させるために自分の命を捧げる、あるいはゴジラと一体化するというあたりも、趣深いのだけど、映画では「芹沢が気合を入れすぎた!」と茶化す。そこは、「まるで芹沢が乗り移ったようだ!」と書かないといけないところ。

■「世界同時(怪獣)革命」による世界の平坦化、絶対平等化を意図した、ある意味共産主義的な革命指向を持つエマ・ラッセルに対して、この世界には秩序の根源となるべき存在、ある意味で封建的な「王」が必要なのだと主張するのが、芹沢博士なのかもしれない。人類が生き残るためには、「王」の存在を認め、それを神から与えられた所与の環境、権威として、その秩序に順応するしかないのだという世界観が、この映画の中で根本的に対立している。そして、エマ・ラッセルは、自らが覚醒させたモンスター・ゼロが「偽の王」であり、ゴジラこそが「真の王」であることを死の間際に納得し、芹沢に対する思想的敗北を認めるのだ。でももちろん、個人的にはエマを応援しながら映画を観ますよね!だから、本作の芹沢博士には終いまでピンとこない。怪獣との共存という観念が、むしろ封建的な思想に聞こえてしまうところがあるからだ。

■せっかく、エマ・ラッセルと芹沢博士を対置しながら、基本的には家族劇として構築したため、元夫との対立に収束してしまうので、テーマ性の掘り下げが不完全に終わったものの、以上のようになかなか先鋭的なテーマ設定が施された、見どころのある思想映画ですよ。(ホントか?)

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