感想
■昭和23年の帝銀事件の発生から、平沢貞通逮捕、昭和25年の死刑判決、昭和37年の宮城刑務所への移送までの捜査経緯を、新聞記者たちの視点から、帝銀事件を冤罪事件として描き出し、報道のあり方を問う大真面目な社会派映画。熊井啓の監督デビュー作で、もともと脚本はうまい人だったが、本作も複雑な事件経緯を実にわかりやすく、それでいてテーマは明確に描きだし、構成の妙を感じる。
■モノクロ、シネマスコープで、日活スターは登場せず、主な配役は民藝ほかの新劇系の俳優陣で、それもそのはず、熊井啓は配役の相談を宇野重吉にしている。日活は劇団民藝と提携していて、日活の若い俳優やスタッフたちの相談役でもあったらしい。吉永小百合も困ったときや重大な仕事で決断を下すときにはには必ず宇野重吉に相談していたという。満を持しての監督デビュー作で、しかもGHQやアメリカ批判を含んだ機微なテーマであるだけに、アドバイスを求めたものだろうが、その際に平沢画伯はうちの信欣三を、と推されたという。戦時中に警察に引っ張られた経験もあるからね、ということだった。
■主役というか、狂言回しは内藤武敏で、その妻になる帝銀事件の生存者の娘が笹森礼子。平沢画伯の妻が北林谷栄で、映画のクライマックスを支える重要な三女役が柳川慶子という配役。何度観ても柳川慶子はちょっと弱いと感じる。ここにこそ日活の名花が必要だったはずだ。内藤武敏とコンビを組むのが井上昭文で、一番の儲け役じゃないか。同じ社で平沢犯人説を推して対立するのが藤岡重慶で、このあたりは顔ぶれだけで楽しい。
■監督デビュー作にして熊井啓のやりたいことのすべてが盛り込まれた綴織のような映画で、戦後史の闇に対する強い興味、米国に対する憧れと失望、生真面目な問題意識、そして映画への道を決定づけた黒澤明への憧憬。実際、日活映画としては異例とも思われる製作費のかけ方で、裕次郎らのAクラス大作に匹敵する美術予算が組まれていると推察する。モノクロとはいえ、美術セットはリアリズムで統一し、黒澤映画クラスの質感を追求している。もちろん、東宝ほど美術費用は潤沢ではないが、異様に頑張っているし、なにしろ日活のモノクロ撮影はなぜか優秀なのだ。
■本作も姫田キャメラマンではないが、非常に秀逸なモノクロによりリアリズム撮影が行われ、撮影賞もの。例えば山本薩夫が同時期に東映で撮った『にっぽん泥棒物語』の映像と比べると、そのレベルの違いは全く比較にならない。同じように法廷劇をモノクロ、ズーム撮影で描くのだが、美術、照明のレベルの違い、美術装置の質感の違いは明白だ。というか、東映のモノクロ撮影が雑すぎるのだ(撮影機材が悪い?)。同じ時期で同じキャメラマンの『陸軍残虐物語』はオーソドックスに質感が高いのでその画質のバラつきは正直謎なのだが。
■本作の肝は、事件に使用された毒薬をアセト・シアノ・ヒドリン(青酸ニトリール)と規定して、関東軍731部隊や陸軍登戸研究所の在籍者、元軍人や軍属を真犯人と推定していることだろう。登戸研究所で開発・実験され、その使用法がマニュアル化され、終戦時に自決用と称して多数持ち出されたというから、実際、そのとおりだろうと思うし、お話としてもやはり非常に興味を引く。いかにも熊井啓の好きそうな題材だと思うし、観客の興味を確実に引くところなのだ。結果として、化学兵器人体実験の研究成果を冷戦下で独占したい米国、GHQの圧力で、警察も最重要としていたこの線を放棄し、名刺捜査班の捜査によるでっち上げに近い平沢犯行説を取り上げるしかなくなるのだ。この戦中戦後の深い闇を背負って登場するのが佐野浅夫演じる佐伯という男で、昭和23年時点では傷痍軍人たちとひっそりと地下に隠れ住む元軍人だ。
■実録再現映画という趣で、ドラマ的な深みや人間像のユニークさがないのが惜しいところだが、そのリベンジは後の問題作『日本列島』で果たされるわけだろう。『日本列島』には本作の影の主役(?)である宇野重吉がついに主役として登場するし、日活の名花・芦川いづみのが偽ドル事件の重要人物の娘として起用され、本作では盛り込めなかった人間ドラマの情の部分をぐいぐい押し込んでくる。そう、あざといくらいの演出でね!
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