われらが熊井啓、最晩年の力作『日本の黒い夏 冤罪』

基本情報

日本の黒い夏 冤罪 ★★★☆
2001 ヴィスタサイズ 118分 @AVP
原作:平石耕一 脚本:熊井啓 撮影:奥原一男 照明:矢部一男
美術:木村威夫 音楽:松村禎三 視覚効果:灰原光晴 監督:熊井啓

感想

■『帝銀事件 死刑囚』『日本列島』『黒部の太陽』の、われらが熊井啓が、故郷松本で起こった前代未聞の松本サリン事件に絡む冤罪事件を、義憤とともに、故郷愛を込めて描き出した力作。なんとなく今まで敬遠してきたのだが、もっと早く見ればよかった。いかにも熊井啓らしい映画だし、ちゃんと面白い。この、チャンと娯楽映画として通俗的に面白く語ってしまうところに熊井啓の美点がある。

■松本の高校生(放送部)が冤罪事件の報道を検証した事実をもとにした戯曲があって、これをベースに映画化したものらしい。放送部の女子高生を、美少女時代の遠野凪子が正義感一杯に演じて清新です。綺麗です。松本の地元放送局で在京の放送局とスクープを競いあうなかで、誤報と憶測を報じてしまった反省を中井貴一北村有起哉が演じる。

北村有起哉はまだ出たてで、熱くいきった記者をオーバーアクト気味に演じるが、さいごには女子高生の遠野凪子にいい子いい子されるという萌え描写(?)は、なんなのだろう。いっぽう、警察の捜査一課長を演じる梅野泰靖が、記者会見の場面しか出てないのに、異常にリアルな演技で場をさらう。三谷幸喜のコメディでも有名だけど、昔から日活映画に出ていて実力派の大ベテランで、こうしたリアルな演技と存在感は最近演じられる役者がいないので貴重だよね。

■もちろん低予算映画だが、熊井啓のイケイケの演出力は衰えておらず、毒ガスパニックの現場状況をロケ撮影で熱っぽく描くし、散布されたサリンが神部邸の中にいかに侵入したか、付近の裁判所官舎やマンションを襲ったかを静かに描きリアルな恐怖を伝える。とにかく熊井啓は”黒澤明憧れ”のメリハリ演出の人なので、音楽や効果音の使い方も鮮やか。

■女性記者の細川直美がもちろんキレイ盛りなんだけど、演技的にもしっかりしているので感心したな。こんなにできる女優だったのか。サリンなんて素人でもバケツで化学合成できますよと適当なコメントを出す教授役が藤村俊二というのもなかなか乙な配役で、全く笑えない誤報を誘因する。

■警部役の石橋蓮司が美味しい役どころで、クライマックスで中井貴一と一対一で本音をぶつけ合う場面はさすがに充実している。オウム案件という情報もあるが、神部に雑煮は食わせるなという既定路線で突き進めという上からの圧力に苦しむ現場刑事の心の内を神妙に演じる。実際、警察の現場は犯人なのかどうか確信が持てず揺れ続けたようだ。上は警察のメンツもあるから筋書きどおりに強引に進めようと迫るのだが、一方で当然公判維持ができるのかも気になるわけで、警察内部のこうしたギリギリしたせめぎ合いはここでは描き切れない。じっさい、われわれも農薬の調合失敗で毒ガス発生と言われれば、そんなことが起こるのかと素人なりに納得するしかないわけで、化学兵器なんて日本ではフィクションに属するアイテムだったからね。

■ただ、冤罪に巻き込まれる無辜の市民という怖さは案外薄味で、警察批判もマスコミ批判も意外とさらっとしていて、往年の熊井作品のようなどす黒さは少ない。その分、故郷でロケ撮影ができて、故郷の不名誉な事件を総括することができるという、うきうき感が感じられるので、不思議な感触となっている。

■劇中オウム真理教の固有名詞は登場せず単に「カルト集団」と呼ばれる。熊井啓の個人史の中では、戦後史の闇がライフワークだったわけだが、オウム真理教については、さすがに理解が追い付いていなかったのではないか。オウム事件は決して昭和や戦後の裏面史から切り離された事件ではなかったはずだけど、さすがに世代が違い過ぎたか。

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