少年よ、神を否定しろ!戦後逆コースを批判する”純左翼”児童映画『石合戦』

基本情報

石合戦 ★★★☆
1955 スタンダードサイズ 91分 @アマプラ
企画:山梨稔 製作:大塚和、松丸青史 原作:上司小剣 構成:松下東雄 脚本:松丸青史、吉田隆一、松山亜土 撮影:仲澤半次郎 照明:吉沢欣三 美術:江坂実 音楽:草河啓 監督:若杉光夫

感想

■牧歌的な児童映画かと思って観ていると、どんどん不穏な方向にシフトしていく、若杉光夫の代表作にして、過激な野心作。

■神官の跡取り息子である主人公は、母を病で喪い、神頼みの虚しさを知ると、御神体を打ち壊すのだった。。。

■冨士映画と劇団民藝の提携作で、まだ民芸映画社の形が整っていない時期なので、大塚和が製作はしているが、民芸映画社の固定スタッフではなく、フリーのスタッフで制作したようだ。つまり、劇団民藝映画部の時代の作品。配給は日活だけど、一筋縄ではいかない児童映画だ。

■もともと劇団民藝は民芸映画社を興すほど映画製作には熱心で、しかも、児童映画、教育映画によって左翼的思想を普及させようとした。民芸映画社には二面性があって、一面は日活の下請けとして低予算の社会派リアリズムのモノクロ映画を提供することで、他方は自主配給や非メジャー系の配給網に啓蒙的な中編児童映画を流通させることだった。(この民芸映画社の児童映画については、後日記事をアップしますよ。)本作はそのルーツに属する。

■なにしろ、戦後民主主義のもたらした合理主義を子どもたちに敷衍することがテーマで、古来つづく神事でもあった石合戦を真っ向から野蛮な風習として否定し、敗戦と占領によって一時は廃れるかと思った神道が復活していることを揶揄し、小澤栄演じる父親の神官は昼間から飲んだくれで、妻を常に阿呆と罵倒するDV夫で、家事手伝いの娘に手を出す汚れた大人として描く。山田五十鈴が演じる母親は善人だが病弱で寝付いたままで、それでも長男には立派な神官となることを託すものの、神にすがりながら、病には勝てない。浜田光夫(浜田光曠)演じる少年は、そうした大人たちの姿から神の不在を感知して、偽りの御神体を破壊する。

■そもそも、事件の発端は嵯峨善平演じる保守反動的な県会議員がいたずらっ子によって川に落とされたことに端を発していて、真犯人の少年の家は村八分を宣言されてしまう。その親父が宇野重吉で、小さい役だけど、この時期の虐げられた庶民を演じる演技は充実している。でも、村八分の件はあっさり解消されてしまうので、あまりテーマ的には発展しない。

■それよりも、神官の家の生活を描きながら、ついには神の否定に行き着くドラマの苛烈さに舌を巻く。でも、映画の表現としては牧歌的で叙情的、まるで今井正の映画のような筆使いで、左翼系キャメラマンの仲澤半次郎の腕の良さもよく分かる。若杉光夫の演出としても、後年の日活映画では意外と生硬でユーモアの余裕がないのだが、本作はたっぷりと柔らかな人間味を映像表現に載せていて、やればできる人なのだ。非常に良いタッチ。モノクロ、スタンダードのロケ撮影の威力が絶大で、光と影の柔らかなコントラストと細密な描写力が、世界の美しい機微を描き出す。後年の日活の下請けとしての民芸映画社の作品とは、まるでタッチが違う。

若杉光夫と民芸映画社の歴史を紐解く上で、絶対に欠かせない秀作にして、野心作。絶対びっくりするから、必見だよ!

参考

▶映画監督・若杉光夫の映画人生は、そのまま浜田光夫の成長の記録であった。浜田光夫の成長とともに、映画のテーマも変遷し、深化していった。ほとんど一心同体と言っても過言ではない。
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