感想
■この映画を観るのは、3回目くらいなんだけど、特に好きな映画というわけでもなかったんだけど、なぜか心引く不思議な映画だ。そして、今回改めて観ると、徹底的に暗くて、明らかに日活ムードアクションの世界をはみだしている。脚本は菊田一夫の「長崎」という戯曲を下敷きにしながら、ほとんど国弘威雄のオリジナルに近いようだ。国弘といえは橋本忍の弟子で、東宝でも共作が多かったし、東宝と契約も結んでいたらしいが、本作は珍しい単独作で、本人としてもかなりの意欲作ではないだろうか。
■戦時中に上海で生まれ、何不自由なく暮らしていた少年が、終戦後中国人に両親を惨殺され、戦後の神戸でやくざの幹部として出世するが、幼いころの幸福だった時代の記憶につながる賛美歌に惹かれてオルガン奏者の娘と恋に落ちる。組を抜けてかろうじてたどり着いた横浜の荷役の仕事にも慣れ、平凡な、人間らしい小さな幸福に浸っていた男に最悪の不幸が訪れる。復讐に燃えた男は再び修羅の血をたぎらせるという、ある意味やくざ映画らしいやくざ映画だが、師匠の橋本忍の構築に倣った回想形式が非常にユニークな効果を上げている。本来なら、不幸なカップルの悲劇として泣かせる映画になるはずなのだが、そうしたメロドラマ性を明確に拒否している。裕次郎とルリ子のムードアクションなので、本当はそうなるべきなのに、映画のムードは薄暗くささくれ立っている。
■この頃の裕次郎はすでにすっかりぽっちゃり顔で、無残な青春の痛みを演じるにはさすがに無理があり、どうしてもミスキャストの印象がある。小さなアパートでのままごとのようないじましい幸福な生活はさすがに貫禄の出た裕次郎では苦しくて、赤木圭一郎なら、まさにピッタリだったろう。早世が惜しまれる。
■ただ、とことん暗くシニカルな作風は徹底していて、主人をなくしたラストのアパートの部屋を映し出すラストは何度か繰り返してみていると、安易な涙を拒否するリアルな厳しさを訴えてくる。小さな新聞の記事をよく読むと、裕次郎に刺された悪の首魁は「重症」とされ、どうやら死んではいないようなのだ!やるせなさすぎじゃかいか!
■演出的には港湾労働者の暴動寸前という群衆シーンのボリューム感や熱が十分に演出されていないし、ルリ子が殺害される場面ももう少し丁寧に撮ってほしいところ。野村孝は逸材なので、当然悪くなないのだが。それにガスバーナーで拷問されたにしては裕次郎に傷が残っていないのも不自然で、たぶん脚本では顔に火傷が残って、そのせいでまともな職につけないといった展開があったのではないだろうか。兄貴分の小池朝雄のあくどさも見事なもので、小池朝雄史上に残る名演でしたね。
■これ、ほんとにオリジナルの脚本が読みたいなあ。脚本は完成品とはまた違うニュアンスがある予感がする。そして、もっと暗くて辛い物語という印象になる気がする。名曲「夜霧のブルース」がなんとかムードアクションに転化してくれているが、歌謡曲のない脚本はもっと陰惨だったに違いない。そして、韓国映画でリメイクすると絶対傑作になると思うぞ。
■上海での母の死とルリ子の死が重なり合って、男の幸せは二度までも完膚なきまでに破壊される。その時に、男には何ができるのか。その時に、それでも男にとって生きる意味はまだあるのか。過酷すぎる試練は神が男に課したものなのか、風俗的なやくざ映画の体裁のなかに、一人の男と神の対峙が描かれる。なぜかそんな孤高の日活ムードアクションなのだ。