黒人ジャズのビートだけが俺を動かす!『狂熱の季節』

基本情報

狂熱の季節 ★★★☆
1960 スコープサイズ(モノクロ) 76分 @アマプラ
企画:山本武 原作:河野典生 脚本:山田信夫 撮影:間宮義雄 照明:吉田協佐 美術:千葉一彦 音楽:黛敏郎 監督:蔵原惟繕

感想

河野典生の「狂熱のデュエット」を映画化した青春風俗映画だが、蔵原監督全盛期の有り余る即興精神で、非常に鮮烈な映画になった。インテリ族(長門裕之松本典子)とビート族(川地民夫&千代侑子&郷鍈治)を対比して、そのなかでも川地民夫松本典子の暴力的な性関係を中心として、同世代間のギャップを赤裸々に暴く。

■インテリ族は新聞記者と新進画家、一方のビート族は黒人ジャズを信奉する無軌道なプータロー、ヤクザ志願の男、外人専用のパンパンという有様で、川地民夫に無理やり犯されて妊娠した新進女流画家は、同じように恋人の新聞記者を汚してくれないと、昔の関係には戻れないと懇願する。このあたりの展開は後の日活ロマンポルノで何度も観た気がするが、ここがルーツだったのか。

■何が凄いと言って、間宮義雄のキャメラワークが圧巻。文字通りキャメラが動き回る。しかも、単なる手持ちではなくて、車載キャメラがグイグイと車内と車外を行ったり来たり、激しくパンしたり、出たり戻ったりする。今見ても眼を疑うアクロバティックなキャメラワークが凄まじい。前年の『その壁を砕け』で利用(開発?)したリグを使いまわしたものと思われるが、とにかく車載キャメラの縦横無尽のアクションは事件といってもいい。おそらくこのあたりの呼吸は、森田芳光の『ときめきに死す』のキャメラワークに影響を与えているはずだ。日本映画で車載キャメラの挙動にここまでこだわるのは日活系のキャメラマンだけだから。(東宝でも東映でもありえない!)

■郷鍈治はわかりやすいチンピラだが、黒人ジャズだけに心を開く川地民夫のキャラクターはなかなかつかみにくい。新進女流画家を湿っぽく演じた松本典子が特に後半素晴らしく、ジャズ演奏のように即興的に生きることしかできないデラシネ川地民夫を追い詰めようとして、殺人未遂までおかすが、逆に追い詰められてしまう残酷劇。彼女は前衛画家を気取っていても、中身は古い女で、体内にジャズのビートしかなくて、そのリズムだけで体を動かしている空っぽの存在、川地民夫の現代性には追いつけないのだ。

キャメラの映し出す映像は非常にリアルそのものだが、そのあたりのテーマ性を社会的リアリズムではなく、感覚的なキャメラワークで描き出したのが蔵原監督の持ち味で、後にはよりシュールレアリスムに接近してゆく。いったんはお蔵入りになった問題作『愛の渇き』がその頂点となり、日活映画を緩やかな崩壊に導く死神のような映画となった。60年代後半の日活映画において『愛の渇き』は映画史的に非常に象徴的な映画のひとつで、いっぽうの鈴木清順問題とともにシュールレアリズムへの傾倒に対する日活上層部の嫌悪感を物語る。なにしろ浦山桐郎さえ『私が棄てた女』を撮ってしまう時代だったのだから。

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