『愛の渇き』

基本情報

愛の渇き ★★★★
1967/スコープサイズ
(2001/5/19 BS2録画)
企画/大塚和 原作/三島由紀夫 脚本/藤田繁夫,蔵原惟繕
撮影/間宮義雄 照明/吉田一夫
美術/千葉和彦 音楽/黛 敏郎
監督/蔵原惟繕

感想(旧ブログより転載)

 引退した実業家(中村伸郎)の亡くなった次男の嫁で、いまや事実上彼の妾として豪邸に幽閉同様の生活を送る未亡人(浅丘ルリ子)は、下男(石立鉄男)の野生の輝きに魅入られ、彼の存在に深い爪痕を残すために彼を遠回しな方法で虐め続けるが、ついに下女が彼の子を身籠もったことを知った彼女は、下男の留守中に堕胎させ下女を追い出してしまう。ところが、そのことを知っても歯牙にもかけない若者の、微動だにしない存在に嫉妬した彼女は、彼を鍬で叩き殺して温室に埋めてしまうのだった。

 同じ監督と組んだ「執炎」で高く評価された浅丘ルリ子の単独主演企画として製作されたものと思われるこの映画はまるで昼メロのようなナレーションや字幕による会話、ヒロインの自己への旅立ちを彩るホリゾントに描かれた真っ赤な空を提示するパートカラー画面といった奇抜な意匠に富んだエロティクな文芸作品である。

 同時期に大映若尾文子が演じていたエロ映画としての商業的パッケージの中に先鋭的な女性映画の姿を隠した増村保造との諸作品にも似た位置に定位されるべき映画だと思われるが、この映画のほんの2、3年前まで演じていた石原裕次郎の相手役時代と比べると浅丘ルリ子の女優としての成熟度には目覚ましいものがある。後に増村保造が望んで浅丘ルリ子を「女体」で起用したのも実にもっともなことである。

 美に対する嫉妬と、そこから生じる苦しみから逃れるために全ての根元である対象自体を破壊する事で自分自身が解放されるという「金閣寺」にも似た主題を持つこの映画は一種の心理サスペンスとしてもかなり良くできた部類に入るはずで、得難い魅力を放っている。恐らく日本映画における心理サスペンスというジャンルの中でも重要な位置を占めるはずだが、おそらくそのことを認識している者は少ないだろう。そういう意味において、この忘れられた秀作は再発見されるのを今なお待ち続けているのだろう。

 この明らかに理不尽な女のマグマを浅丘ルリ子が極限まで演じ尽くすのが、増村による「女体」なのだが、その萌芽がここに既に明らかである。
 我々は、浅丘ルリ子を再発見する必要がある。

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