いつの時代も、青年たちは日本の未来に絶望していた。それが日本の戦後ってことらしいよ!『われらの時代』

基本情報

われらの時代 ★★★☆
1959 スコープサイズ(モノクロ) 97分 @アマプラ
企画:高木雅行 原作:大江健三郎 脚本:白坂依志夫 撮影:山崎善弘 照明:森年男 美術:松山崇 音楽:佐藤勝 監督:蔵原惟繕

感想

■洋パン(渡辺美佐子)のヒモとして大学に通う主人公(長門裕介)は米国に隷属する日本に絶望してフランスに脱出しようとしていた。一方その弟(小泉静男)はバンド仲間の朝鮮人(小高雄二)の導きで、世の中をあっと言わせるために爆弾製造にのめり込むが。。。

■というお話で、なぜか日本映画史の歴史の中に埋没してしまって、ほとんど忘れられた映画になっているが、なかなかの問題作で、無視し難い意欲作。もちろん大江健三郎のヒット小説の映画化という文芸大作路線だが、なにしろ内容が内容なので、松竹ヌーベルバーグ派が手掛けるか、日活の若手が作るかしか選択肢がなかっただろう。そして何故か(?)日活の企画者が映画化権を取得した。しかも脚本は若手バリバリで、原作者とも親交があった白坂依志夫が担当する。前年に大映で『巨人と玩具』、同年に東宝で『野獣死すべし』を書いた絶頂期の筆だ。企画、座組ともにこれ以上無いくらいに最尖鋭の映画である。なのに、結局は日本映画史のなかで忘れ去られてしまった。それはなぜか?

■原因は原作そのものと脚本家の若さが、生硬で観念的な脚本となってしまったことにあると思う。増村保造の『巨人と玩具』も相当に図式的な構図で押し切った映画だが、本作もかなり図式劇に見える。観念としてはわかるし面白いけど、血の通った人間に見えない弱点がある。同様に小説の映画化で、これも相当に観念的だった舛田利雄の『狼の王子』では、現代ヤクザ映画の仮面をかぶりながら戦後日本に対する最尖鋭な批判であると同時にファッショナブルであり、しかもリアルな人間像を実感させた天才的な離れ業と比べると、やはり上滑りな感じがするのだ。それは原作由来でもあろうし、脚本家の若さにもよるだろう。(原作小説、読んでないけどね!)

■実際、長門裕之渡辺美佐子の演技もイマヘイ映画などに比べると特に優れたものではなくて、演技的に見どころなのはむしろ日本で在日として生まれ、朝鮮戦争に米兵のお稚児さんとして同行したという、屈折した青年像を演じた小高雄二で、これは役得だった。こんな脇役、東映映画以外では考えれられないと思っていたけど、ちゃんと日活でも描いていたのだ。というか、日活ではすでにしれっとイマヘイが『にあんちゃん』を作ってるからね。(後年に浦山の『キューポラのある街』もあるけど)

■基本的に演技は苦手な小高雄二だけど、ときどき配役の妙で変な持ち味を発揮する個性派俳優で、前田満州男の『殺人者を追え』などもガチガチの生真面目な若者らしい生硬さが生きていたが、本作でも上手い下手を超えた独自の存在感を刻みつけた。映画俳優は、確かにこれでいいのだ。演技の技術的な巧拙よりも、キャスティングそのものが命なのだ。その意味では、長門裕之渡辺美佐子吉行和子もけっしてキャリアのベストアクトとはいえないから、蔵原監督はあまり演技指導には熱心でなかったのかもしれない。憎まれ役の金子信雄の使い方も、まさに東映的ともいえる類型的な演技を要求しており、効率的ではあるが人間味に膨らみがない。

■映画冒頭のナレーションの

「日本の若い青年にとって、希望と呼ぶべきものはない。(中略)未来へ豊かな夢を描くことができない。(中略)じっとしたまま老いぼれるのを待っている。やがて、胃がんで病院の貧しいベッドの上で安らかに死ぬ日が来るのを待っている。」
(映画より採録

から始まって、

「だが若者たちは自殺のために飛び込む勇気すらない。そこで若者たちは意味もなく生きてゆく。だらしなく生きてゆく。それが青年たちの、”われらの時代”だ。」
(映画より採録

とナレーションで全部語ってしまうのもいかがなものか。そもそも胃がんで穏やかに死ぬのを待っているとか、いかにも作者たちの、若者らしい無知としかいえない。緩和医療が発達した現在ですら、がんを発症した人間は、そんなに楽に死ねはしないのだから。

■そうした作者たちの、特に脚本の白坂依志夫の、観念的な若書き、若気の至り感がこの映画を忘れられた映画にしてしまったのだ。でも、それでも、60年安保前夜の日本の若者たちの気分を代弁して記録したという意味では、捨てがたい価値と魅力のある映画であって、再評価が必要だと思うのだ。若者たちは常にこの国の未来に絶望し、ここでないどこかへの脱出願望とともにあった。それは令和の時代、今日そのものとも言え、60年前の日本(の若者)と大して変わらないように見える。いや、少なくとも戦後ずっと、日本の若者はこの国の未来に絶望し続けてきたらしいのだ。そのことを改めて認識する必要があると思うのだ。

© 1998-2024 まり☆こうじ