シナリオ『愛と死の記録』を解題する

■運良く『年鑑代表シナリオ集’66』が入手できたので、『愛と死の記録』のシナリオを読むことができた。まず、このシナリオでは、おそらく2時間近い上映時間が想定されていたようだ。『愛と死をみつめて』が118分あったわけだから、当然のことで、しかも『愛と死の記録』は実質的に日活というよりも劇団民藝が中心となって企画開発が行われたようで、シナリオを読む限り、たしかに社会派映画として力が入っている。脚本を書いている大橋喜一は劇団民藝の座付き劇作家で、映画は本業ではない。小林吉男は劇団民藝の演出部に所属したらしく、日活映画でも助監督や美術を担当している。そして、広島平和資料館に本作品の取材ノートやロケハン資料を寄贈している。中には企画案や初期台本も含まれているらしい。

■そして、予想したよりもずっと多くの場面が撮影前に割愛されたか、撮影後にカットされている。ことに大きな変更は宇野重吉の場面だ。原爆で両親や兄弟を亡くして孤児となった渡哲也を養育した育成院の院長で、脚本上は「恩師」として表記される。『年鑑代表シナリオ集’66』でも配役に載っているし、当時のキネ旬にも同じ記述があるらしいので、一旦配役として発表されたものだろう。ただし、登場場面は原爆症を発症して苦しむ渡の回想イメージの中だけだが、完成した映画では完全に削除されている。そして、この映画とシナリオの大きな相違点、削除場面は、主にストレートに原爆被害の残酷さを表現する場面に集中している。そこにこそ、劇団民藝主導のシナリオ作りの色合いが濃厚に出ているのだが。

■しかし、完成した映画にはそうした直截に原爆の悲惨さを告発したり糾弾するセリフは残っていない。それらはほぼ完全に取り除かれ、当時の広島に生きる市民たちの間の被爆者差別、結婚差別の実態と実在した悲劇の方に焦点を絞っている。そして、シナリオを読む限り、この改変は正解であったと感じる。映画は社会派映画よりも純愛映画に身を寄せて尺は短くなったが、削ぎ落とされた、原爆や原爆を落とした者への直截な怒りが、吉永小百合の表情に沈潜して心に澱を残することに成功しているからだ。

■このような削除は誰の判断で行われたのか、監督の演出上の判断なのか、日活上層部からの圧力なのか、あるいは違うルートからの圧力なのか、単に上映時間の尺合わせの措置だったのか、非常に興味深いテーマだ。なぜなら吉永小百合じしんが日活の上層部からケロイドなどの場面をカットするように言われて不本意な結果になったと述懐しているからだ。では監督じしんは当時何と発言しているのか、大いに気になるところだが、そこは今後の研究に委ねたい。実際、かなりいろんなやり取りがあったと想像されるのだが、当時のキネ旬映画芸術や映画評論などに発言が残っていないだろうか。


疑問①主人公はどこに住んでいたのか?

■主人公の和江は実際どこに住んでいたのか?これはこの映画のテーマに係る大きな問題である。シナリオと映画の完成版を読み合わせるとこれは明確になる。シナリオでは「相生橋」のたもとと言っているが、映画では「三篠橋」のたもとと変更されている。「三篠橋」の方が北に位置している。どちらにしても、和江の住所は戦後基町の旧太田川沿いに発生した木造バラックが密集する「原爆スラム」と呼ばれた一角であることは間違いない。「三篠橋」であれば、「原爆スラム」の北辺に位置することになる。この変更は実際のロケ交渉の際の諸事情で「相生橋」付近の相生通りが使用できず、もっと北の町並みでロケが許可されたという経緯によるものではないかと想像する。実際、ラストの救急車が橋を渡ってすぐに右折して路地に入る場面は「三篠橋」付近でロケされたものと思われる。

■では和江は「原爆スラム」で生まれ育ったのか?これは映画にも残っているが、生まれたのは広島市内ではなくもっと山の方の西条(今は酒蔵の多い町として有名らしい)だと言っている。だから、生後に一家で基町の不法占拠地域に流入しているのだ。シナリオでそのあたりの経緯がなんとなく伺われるのが、父親の存在。映画では完全にオミットされているが、シナリオではちゃんと生きていて、ただし病気の後遺症で言葉が不自由で酒を禁じられている。つまり、戦後何年か経った頃に父親の病気で仕事を失い、生活に困窮して「原爆スラム」に移り住んだのだ。「原爆スラム」の中には当然被爆者が多くの割合で住んでいるが、彼らの一家は原爆の被害を直接は受けていないため、隣人でありながら被爆者に対する忌避感がある。

■そのことをよく示すのが兄と義姉の存在で、兄は隣家の娘との縁談話を被爆者だからという理由で断った過去がある。映画ではあまり具体的に語られないが、シナリオでは隣家の娘はそのために(そのためだけではないかもしれないが)二度自殺を図ったと語られる。完成版で、兄は

「恋じゃの愛じゃのいうて、もしお前が片輪の子どもでも産んでみい、どこへも訴え出るところはありゃせんので」

と和江に強く諭すが、シナリオでは

「(前略)もしもお前が片輪になってみい、お前を好きになる男はまずおるまい(後略)」

となっていて、この修正は映画のテーマである放射線障害が遺伝するかもしれないことに対する恐怖感を率直に示した改変で、成功している。兄の言動に当時の市民の価値観や差別意識を的確に織り込んでいる。シナリオで影の薄かった父親を割愛して、この一家の実質的な家長が兄であることを明確にしている。

■そして、この兄の人物造形は映画のラストの変更にも繋がっていて、演出家の視点としては首尾一貫している。実はシナリオでは中尾彬と浜川智子のカップルの存在が大きくて、渡と吉永のカップルと対比構図となっている。ラストシーンは以下の通りだ。

144 繁華街
  広島の空と川---
  人ごみの中を、藤井とふみ子、前へ歩いてくる。
  涙で洗われたようなふみ子の顔。
藤井「(怒りにみちて)チクショウ!・・・チクショウ!」

つまり中尾彬の呟きで終わっている。シナリオでは全体に怒りの要素が強くて、完成した映画とのもっと大きな印象の違いはそこにある。吉永、渡のカップルの代わりに、生き残った中尾・浜川のカップルの姿が、彼らが理不尽に対する怒りを内向するのではなく、はっきりと表明すべきだったことを示している。そして、中尾・浜川のカップルは平凡な一般観客の代表として登場するのだ。

■ところが、完成した映画では中尾・浜川カップルの登場するラストシーン#144はカットされ、#143の後追い自殺事件を報じる新聞記事で終わっている。だから、登場人物として最後に提示されるのは妹の不意な自死に取りすがる兄の姿なのだ。しかし、シナリオではその場面#142は、中尾・浜川カップル、佐野浅夫まで駆けつけているのに、兄の姿は描かれていない。つまり実質的なラストシーンはかなり大きく改変されている。シナリオでは兄も弟も勤めや学校で不在のまま進行するところを、映画では兄の悲痛な姿と学校から姉が最期に贈った自転車で帰宅した弟が救急車に追いすがる姿が姫田真左久の秀逸なキャメラによって最も感動的に撮られている。

■蔵原監督はシナリオの中から、はっきりと兄のドラマ性と悲劇性に着目して、その存在を強調している。妹の将来の幸福のためと信じて、敢えて世間の視線を代弁する形で、きつく忠告もしたわけだが、その無意識の差別性と偏見が妹を自死に追いやった”罪”であることに深い悲劇性を見出している。後で触れるが、シナリオでは”罪”に対する怒りがもっと明確に外に向けられていて、あきらかな政治性が意図されている。ところが、完成した映画では相当なシーンをカットすることで、被爆者への、被爆者と関わることへの、差別や偏見が孕む”罪”を、悲劇として描き出す。


疑問②宇野重吉はどこに登場したのか?

■一旦製作発表では出演が予定されたが、少なくとも完成した映画には登場しない宇野重吉の存在。一体どんな役で登場する予定だったのか。シナリオでは「恩師 老人・戦災児育成所長」と表記されている。そして、映画の第二幕の終盤、渡が原爆症を発症して嵐の夜に病室で夢を見る。シーン#106が宇野重吉の初登場シーンだ。渡は「おじいちゃん!」と呼びかける。シナリオではかなり長いシーンになっているので、一部だけ抜粋してみよう。

106 病室(夜)
(前略)
幸雄「おじいちゃん!残念じゃ!・・・」
恩師「忘るなよ」
幸雄「忘れとらん」
恩師「(仏教的執念をあらわした形相で)
 原爆を忘るな・・・
 父母を殺し、いまなお何万の人に、地獄の苦しみを残しつづける・・・
 原爆の罪・・・
 これをなしたる者を忘れるな
 それを忘れて平和はない
 それを忘れての平和は
 にせものの平和じゃ」
ーーーこれらの一部分に篠田正枝さんの経文を読む声が、とぎれとぎれに入る。
ーーー祭をあらわすはやし
ーーージャズ、
ーーー花火の音。
(後略)

■そしてこの後に、被爆直後の記録フィルムや平和大会の乱闘(1959年の右翼乱入事件だろうか)などもモンタージュされる構成となっており、完成した映画とはかなりタッチの異なるストレートな主張がここに盛られていることが分かる。「原爆の罪・・・これをなしたる者を忘れるな」と明確にアメリカに対する怒りの抗議を表明している。おそらく独立プロダクションの映画であればそのまま残っただろうが、さすがに日活の純愛映画としてはふさわしくないという判断で切られたものだろう。実際、夢のシーンに唐突に宇野重吉を登場させても、木に竹を接いだようにしか見えず、せっかくの主張がご都合主義に見えなくもないので、その判断はあながち間違いとも言えない気がするのだ。

■おそらく、この戦災児育成所の所長にはモデルがあるのだろう。本来なら、和江が直接会いにいったりするところだが、モデルとなった実在の人物も当時既に故人だったことから、成仏しながらも原爆に対する怒りだけは解けない精神的な存在として描くという方針になったものだろうと想像する。そこから「仏教的執念」という矛盾したト書きが書かれたのだろう。・・・と、邪推してみたのだが、#117の渡の絶命する場面で病室に恩師が当たり前のように登場しているので、このあたりはシナリオ時点で、実際のところ未整理な印象だ!

■なお、上記中の「篠田正枝」となっているのは「正田篠枝」の誤記だろう。正田は『さんげ』が有名な原爆歌人で、映画の前年、乳がん白血病で亡くなっている。(このたび初めて知りました)監督が蔵原惟繕だからということなのか、かなり前衛的なモンタージュが指定されているのも意外だった。


疑問③滝沢修の台詞が途切れているのは何故か?

■これは単純な理由で、シナリオでは原爆病院院長の場面が長すぎるからです!原爆症やその障害の遺伝についての当時の一般的な知見や、神様の問題まで持ち出して、単純に言ってしまえば説明台詞を延々と演じることになるから、大幅にカットされたのだ。と言っても大きなシーンはたった2つしかない。#84院長室と#124院長室で、両シーンとも三分の一くらいはカットされている。特に#124ではシーンのはじめがカットされているから、滝沢修の唐突な受け答えでシーンが始まる。

院長「・・・答えられませんね・・・わたしは神さまでない(淋しく笑う)」

という台詞がそうだ。一体どんな質問に答えられないと言っているのだろうか。当然察しが付くところだが、和江は幸雄と愛し合い結婚することは、兄の言う通り間違っていたのか、科学的に合理的な理由のある間違いだったのかと問うているのだ。

■さらに、このシーンの前段には、重要な要素が書き込まれている。それは兄の存在と「近所の娘」(映画では「隣のお姉さん」)との過去の縁談のエピソードである。ここは良いシーンなので、長くなるが実際のシナリオを参照してみよう。

和江「ほいじゃあ幸雄さん、たとえ死なんでても、結婚しちゃいけん人じゃったんですか?」
院長「さあ・・・むずかしい問題じゃ・・・」
和江「先生、うちの兄は、以前にある縁談があって・・・その娘さんがひどい被爆、学徒動員で、顔を半面・・・」
院長「(大きく、うなずく)」
和江「手術で跡もうすうなりました。ほいでも相手が被爆者じゃけんいうて断りました・・・その方はその後二度も自殺をはかったり・・・でも、やっぱり兄は正しかったんですか?」
院長「・・・」
和江「兄は、幸雄さんから遠ざかれいうて、ひどういいます。うちはそれを無視して病院へきました。・・・うち、間違うとったんですか?」

これらの描写からわかるとおり、やはり本作で兄の存在は非常に大きく、ラストシーンの改変は実に合理的な判断であったことが分かるだろう。中尾・浜川のカップルとの対比とともに、垂水・芦川の幻のカップルが対置されていることがよく分かる。時系列的に並べれば、垂水・芦川の破談、吉永・渡の悲恋があり、中尾・浜川の一見平凡なカップルが、最終的に原爆ををどう考えるのか、被爆者への偏見をどう考えるのか、これからの生き方を問われるという構成になっている。だからシナリオのラストシーンは、中尾・浜川カップルで締めくくっているわけだ。

■ところがシナリオを読んだ蔵原監督は、きっと若い世代のカップルに問題をバトンタッチして終わりというのでは不誠実ではないかと考えたのだろう。シナリオをちゃんと読むと、明らかに和江と兄の関係がこの映画の肝になっている。和江が口にするのは、母がこう言ったという話題は一切なく、すべて兄がこう言ったと、兄がこうしたという言及ばかりなのだ。そして、映画の中に他人ごとではない自分自身を見出し、この映画のテーマを背負わせるためには、若者ではなく、働き盛りで家庭を背負った、つまり当時の日本社会の中心である兄の姿が相応しいと考えたのだろう。和江を自死まで追い詰めたものは、煎じ詰めれば兄が背負ったもの(世間の目、世間体)であり、妹の死で彼は十字架を背負わなければならないと監督は解釈したものだろう。だから、シナリオには書かれてない兄をラストシーンに呼び寄せ、家族も友人も、誰も追いつけないほどの速さで旅立ってしまう和江の魂に、最後まで茫然自失で寄り添うのは兄でなければならなかったのだ。シナリオでは若い世代が理不尽に対する怒りを受け継ぐことで終わっていたが、むしろ兄が一生背負っていくべき”罪”に寄り添ってこの映画は終わるのだ。幸雄を殺したものは原爆とこれを無慈悲に使った異国人に違いないが、和江を追い詰めて殺したのはむしろ兄が背負った何ものかであったというのがこの映画がシナリオから様々な要素を削ぎ落とすことでたどり着いた結論だったのではないか。


疑問④その他は、どんなシーンがカットされたのか

■その他にも、純愛物語からはみ出してしまう、被爆の実相を伝えるシーンが完成した映画からはごっそり抜け落ちている。ひとつは原爆病院のロビーで患者がテレビの記者にインタビューされる場面、もう一つは病室で患者Aが幸雄に和江と肉体関係があったのかと聞く場面である。2つとも被爆者の声をドキュメンタリータッチでストレートに表現した場面だが、物語に直接関係のない人物なので、確かにシナリオ時点でも唐突で、取ってつけたような印象がある。最終的に全体のバランスを考えたときに割愛すると言う選択は合理的とも思える。

■ただ、そのために広島平和大会を映した場面が完全に浮いてしまって、意味のない場面になってしまった。シナリオでは平和大会の前日に地元の若者達が居酒屋で激論を交わすドキュメンタルな設定の場面があり、対になって意味を持つ構成になっていたのだ。それらを割愛するなら、平和大会の平板な映像もカットすべきだったと思う。

■前者の原爆病院ロビーでのインタビュー場面は幻の場面として埋もれさすには惜しいので、後日台詞を紹介したいと思う。

■また、吉永小百合の証言では、芦川いづみの登場場面もカットされたという。完成版の映画では2シーンしか登場しないが、シナリオにはあと2つのシーンが設定されている。吉永小百合の証言では顔のケロイドが日活首脳部の琴線に触れたようで、いくつかカットされたため最終的にラストシーンの1カットだけにケロイドが映し出されたと述べているが、これは一部正確でないかもしれない。『わたしが愛した映画たち』では以下のように語っている。

「オールラッシュのときには、映っている場面がいくつもあったんです。ところが、上層部の鶴の一声で、ほとんど切られてしまった。ケロイドは、瞬間的に見えるところが1カット残っているだけです。」

しかし、シナリオでは芦川いづみの顔のケロイドの指定は、実はラストシーンのみで、それまでの登場シーンでは敢えて見せず、ラストシーンだけで明示する意図だったように読める。そこは監督の演出意図だったように見えるのだ。元々のシナリオでは前述の滝沢修の台詞のように顔面の半分に被爆の爪痕がと説明されるのだが、その部分はカットされているから、芦川いづみの顔のケロイドはラストシーンで衝撃的に明かされることになっており、その演出意図は非常に成功しているように、実際のところ感じるのだ。(まだ続く)


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