なにが彼らを殺したのか?静かな怒りが心に澱をのこす『愛と死の記録』

基本情報

愛と死の記録 ★★★★
1966年 スコープサイズ 92分 @DVD
企画:大塚和 脚本:大橋喜一、小林吉男 撮影:姫田真佐久 照明:岩木保夫 美術:大鶴泰弘 音楽:黛敏郎 監督:蔵原惟繕

感想

■昭和41年の広島、印刷工の青年と知り合った娘は結婚を決意するが、乗り気だった彼の気持ちが揺れ始める。彼は原爆症を発症していたのだ。
■『愛と死を見つめて』の大ヒットに気を良くした日活が吉永、浜田の青春コンビで企画した純愛映画だが、浜田が喧嘩事件に巻き込まれ負傷したことから共演者は渡哲也に変更された、昭和41年度の芸術祭参加作品。しかし、なかなか安易なシリーズ化路線とは思えない不思議な野心作である。ヒバクシャ差別、とくにあらゆる差別問題に見られる、もっともデリケートなテーマである、結婚差別問題を描く。
■そもそも脚本を書いているのが日活映画の常連のライターではなく、なんと劇団民藝の劇作家らしい。出演者も民藝ラインで脇を固めていて、実質的には民藝の企画ではないかと思われるのだ。しかも実は原作があり、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』にある若い被爆カップルのエピソードを下敷きにしているらしい。単なる純愛映画ではなく、実録映画としての側面も持っているのだ。そして撮影はほとんど広島でロケ撮影されていて、日活リアリズム路線の姫田キャメラマンが機動的で意欲的な画作りを見せる。市街地の夜間ロケとか、長回しとか、超望遠とか、テクニック的にも相当冒険しているし、その生々しい息遣いが反映している。窓の外の光景も、ほぼロケ撮影で、後年のカラー撮影だと白く飛んでしまうような場面も、かなりキレイに陰影のバランスを保っているので、映像の立体感が自然に出てくる。
■前半は吉永と渡の典型的な純愛物語だが、渡は中盤であっけなく亡くなってしまう。原爆症だけでなく、他の病気でもなかなかそう簡単には死なせてくれないものだが、映画はそこまで辛い見せ方はしない。この時代の娯楽映画だからね。
■でもこの映画の真骨頂はその後の吉永の魂の彷徨を描く部分にある。彼はなぜ死ななければならなかったのか。その理由を、原爆の残酷な傷跡を私はなにも知らなかった。原爆病院の院長を訪ねてその訳を聞く場面は圧巻だ。フルショット、フィックスの長回しで、滝沢修が一人舞台を演じる。原爆症の発症者と結婚して、遺伝的に子孫に影響が出るのか、出ないのか、科学的にはわかっていないのだ、神ならぬ医師には、その可能性がないとは言えないのだ。だとして、君はそれで愛を諦めますか?と問う。この映画の後半の最重要人物はこの院長なのだ。その間、画面は重い雲が上空をよぎり、照明効果で画面は不気味に暗転する。基本的にリアリズム映画だが、所々に表現主義的な照明効果が生かされている。
■青年の死後、気持ちの整理をつけて日常生活に復帰したかに見えた彼女だったが、院長を訪ね、隣家のお姉さんを訪ね、自分の心の中だけで一つの決意を固めてゆく。この映画は、編集のタイミング等から、脚本にはあった細部が編集でカットされたのではないかと疑われる部分がある。滝沢修の上記の場面の入り方もそうだし、隣のお姉さん、芦川いずみのカット尻も、まだ何かを語ろうとしているように見える。
■そう、映画の冒頭でこの隣のお姉さんのためにレコードを購入していた件がここで回収され、満を持して登場するのが日活の名花・芦川いずみなのだ。もうここで決定的に泣けてくる。もともと小百合の兄の恋人だったが破綻していて自殺未遂の過去がある。その原因は彼女がヒバクシャだったからなのだ。芦川いづみはロケには参加せず、2カットのみの登場なので、特別出演扱いだが、決定的に重要な役割で、実はこの映画において滝沢修とともに物語の核心となっている。
■その兄は垂水悟郎が演じるが、市役所に務める保守的な現実主義者で、ヒバクシャと付き合うなんてもってほのかという、当時のヒロシマの差別のありようを代弁する立場で登場する。だからラストシーンで妹の自死に激しく狼狽する彼の姿の悲痛さが胸を打つ。彼が守ろうとしたものが最悪の形で壊れてしまった。いや、彼が妹を追い詰めたのかもしれない。現地ロケの威力が最大限に発揮されたラストシーンのリアルな空気感は、あまりに残酷で悲痛だ。
■本作と同じようにヒバクシャの問題を描いた恋愛映画として今井正の『純愛物語』があるが、本作はヒバクシャに対する”差別感情”を中心に据えたところと、それを実際の広島で撮ったことが大きな特徴である。4年前の『その夜は忘れない』も広島ロケが秀逸な異色作だったが、風俗映画として作られたところに限界があった。
■本作は全体に駆け足すぎる感じが残る映画だが、そのことが却って後を引く。彼女の唐突に見える自死は単なる悲劇なのか、あるいは静かな告発なのか。あえて明確な主張を叫ぶこと無く映画は終わる。映画は終わるけど、そこから観客の心のなかで問が始まる。彼らはなぜ死ななければならなかったのか。彼らになんの罪があったのか。芦川いずみの蒼白な虚無の表情を想い出すたびに、確実にバトンは渡されたと感じるのだ。(その一人が吉永小百合その人で、今に至る反核運動参加の原点となっている)

補遺

■(補遺1)そもそも企画の大塚和という人が劇団民藝の映画部の人なんだね。1955年に設立された独立プロダクションである民藝映画社の社長で、日活とはプロデューサー契約していたらしい。日活と劇団民藝は提携していて、日活のリアリズム路線はこの大物プロデューサーがリードしていたようだ。『豚と軍艦』『にっぽん昆虫記』『執炎』『キューポラのある街』『日本列島』『けんかえれじい』と列挙すると、日活を代表する名作揃いで唖然とするけど、ちょっと凄過ぎるプロデューサー。その割にはあまり大きく取り上げられないのが不思議。だから本作も劇団民藝ありきで企画開発が行われたというわけ。日活スターは普通に出るけど、日活映画の中でも大塚和ラインは実質的に別会社、別系統になっていた雰囲気だな。民藝映画社日活支部とでも呼ぶのが正しいのかもしれない。イメージ的には、民藝映画社製作、日活配給という構図じゃないかな。
■(補遺2)小百合たちが住むバラック建ての家並みは、当時はまだ相生橋付近の旧太田川沿岸に残っていた、いわゆる「原爆スラム」でロケしたもの。本来は相生通りと呼ぶ。家の中の場面もセットではなく、ロケ撮影を行っており、完全に日活リアリズム路線の方法論。なので記録映画としても貴重。しかし、いくら戦後世代とはいえ、原爆スラムに生まれつきながら、青年の秘密に鈍感にも気づかず、原爆症のことも何も知らなかったと述懐するのは不自然に思えてくる。このあたりの描き方、脚本の原本で確認してみたいな。
■(補遺3)この映画の当時の「原爆スラム」は混住が進んでいて、終戦直後の引揚者、被爆者、在日の割合が相対的に低下し、流入した一般の低所得労働者が増えていたらしい。お役所的には不法占拠地なので上下水道はないが、互助の気風もあり、利便な立地で、案外暮らしやすかったとも言われている。そもそも「原爆スラム」の正式な定義はなく、指す地区範囲も曖昧で、もともと平和都市再開発のクリアランス予算を獲得するためのキャッチフレーズとして市会議員か役人が考案した言葉らしい。「平和都市広島」の完成、総仕上げをわかりやすく内外に示すためには、負の遺産たる「原爆スラム」を悪ものに仕立ててクリアランスするという”イベント”が必要だったということらしい。
■(補遺4)脚本の大橋喜一という人は民藝の劇作家で、原爆三部作と言われる昭和43年『ゼロの記録』、昭和46年『銀河鉄道の恋人たち』、昭和54年『灰の街のアメリカ紳士』を後に書いている。この映画の後にこれらの代表作が生まれているわけ。その意味では、本作を加えて原爆四部作とも言える。
■(補遺5)共同脚本の小林吉男も民藝所属の人らしく、河辺和夫監督の『非行少年』では美術を担当している。(姉妹編の『非行少年 陽の出の叫び』では美術が民藝演出部となっているから、演出部の所属だったのかな。)2016年、広島平和記念資料館にこの映画の脚本執筆時の資料等を寄贈していて、主人公のモデルになったカップルの友人たちに取材したノートが4冊残されている。「ヒロシマの恋人たち」「にがい沈黙」といった仮題がつけられていたそうだ。映画に登場する喫茶店の場面は、どうも実際に亡くなった二人が逢っていた店らしいのだ。。。