日本の夜と霧 ★★★☆

日本の夜と霧
1960 スコープサイズ 107分 @DVD
脚本■大島渚石堂淑朗
撮影■川又 昴 照明■佐藤勇
美術■宇野耕司 音楽■真鍋理一郎
監督■大島渚


 60年安保闘争の敗北直後に、60年当時の過激な学生運動と、朝鮮戦争の時期に武力闘争を先鋭化させながら、一挙に方向転換して微温的な大衆闘争に舵を切った共産党の無軌道ぶりを世代間で対比させながら、既存の革命勢力の無力さと無責任体制を炙り出す、大島渚の”怨み節”、或いは大島版”ニッポン無責任時代”。

 戦後の学生運動の縮図を概観することができるという意味でも貴重な映画で、ゴリ押しの長廻しによるディスカッションドラマという異色の映像スタイルでカルト作でもあるが、息苦しく出口の見えないカタルシスのない青春映画として堪能することもできる。

 大島渚の同士であった渡辺文雄佐藤慶戸浦六宏らが政治運動に挫折した青春の悔悟を語り、津川雅彦らが1世代下の学生運動の前衛として、青春に一方的に区切りをつけた者たちに、猛然と食ってかかり、青春の姿と日本の戦後政治状況が等価なものとして糾弾される。ここでは既に、後に68年をピークとして学生運動が辿ることになる自滅の道が深い霧の中に予見されており、その霧の湿った重苦しさのなかに虚しく響き渡るラストの吉沢京夫の空々しい演説が戦慄を誘う。こんにち、政治映画ではなく、政治の時代における青春映画の禍々しい結晶として不滅の価値を持ちつつあるのだ。

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