「万国のバンパイヤよ、起て!」松田寛夫の幻の監督作がノリノリの傑作!『バンパイヤ』備忘録(13-16話)

■(承前)某国では王女を拉致した大使(実はバンパイヤ)がクーデターで政権を奪取する。トッペイはバンパイヤの実在を世間に証明するため、テレビの生中継で変身するが、ロックは政府首脳(佐々木孝丸中村哲ほか)にバンパイヤ狩りを提言する。さらに、流血を避けるために様子見を決め込むバンパイヤ委員会の討議に乗り込んだロックは、アジ演説で一斉蜂起をけしかけると、委員長もついに決断する。ロックは双方から対立を煽ったのだ。「さあ、血みどろの戦いが始まる!」(@小林昭二

■15話「赤い満月の決斗」は中西隆三のシナリオで、堀池靖が監督なので完全に日活コンビ。監督は菊池靖なので、松竹京都の人ですね。フィックス中心のテレビ映画らしい、おとなしい撮り方で、安心して観られます。でも、アニメ部分のクオリティが落ちてますね。

■そして問題の16話「人間狩り」は後に脚本家として有名になった松田寛夫の、たぶん監督デビュー作。調べた範囲では、他に監督作はないようだ。もともと東映の助監督なので、監督もできるわけだけど、よりによって虫プロで監督デビューという経緯が謎すぎる。福田善之が、菅孝行などの東映で組合活動に絡んで鬱屈していた若者を呼んできた人脈かもしれないけど、それにしても、東映では監督させてくれないから、社外でというのも、会社的に大丈夫だったのか?この時期、まだ社員だよね?


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■しかも16話は、シリーズ随一の傑作で、秋芳洞ロケの「秘密会議脱出」もメイン監督による傑作だったけど、本作はほとんど後年の東映アウトロー映画で大活躍の趣味と嗜好性がそのまま全面開花した異常作。ぜったい脚本、自分で書いてるよね?(クレジットは久谷新だけど)あるいは神波史男の変名か?後年のさそりとかのテーマ性とか、問題意識とか、美意識とか、作劇の視点とか、ほとんど全部揃ってますよ!バンパイヤ委員会の議論のリアルな情景は、過激な学生運動のそれではなく、直接的には東映労組の日常風景を再現しているだろう。

■監督としての手腕もさすがに見事なもので、まふねていとか山田健が妙に素人ぽくガチャガチャやったことを受け継ぎながら、妙に落ち着き払ったメリハリと様式美の演出とキャメラワークを見せる。政府首脳、というかまさに「国家」そのものを象徴する5人(天皇はいないけど)でバンパイヤ狩りを決議するパート、バンパイヤの強制収容つまりバンパイヤ狩りのパート、バンパイヤ委員会の議論のパートと、綺麗に3つのパートに分かれていて、特にバンパイヤ委員会の討議(ディスカッション)の部分が傑作。

■即時蜂起か、様子見か?委員会の同士によるその苛烈な議論のさなかにロックがトリックスターとして登場し、わざわざ政府にバンパイヤ狩りをけしかけて、蜂起のチャンスを作ったのに、君たちはいつまでもそうして会議を続けていればいいさと嘯くと、バンパイヤ委員会委員長(木村幌)はついに人間との全面戦争を決意する。それはロックの策謀だけど!

■とにかく、この場面の脚本と演出は傑出していて、この当時の子ども向けドラマとは明らかにレベルが異なる。もちろん、円谷プロでいくつも傑作が撮られたけど、それらに比肩する。あるいは凌駕する演出だ。ロックの扇動の様子を長廻しで捉えた意欲的なカットも、途中でさりげなく編集で繋いでいるのだ。改めて見直しても、松田寛夫の演出の力量は、ちょっと当惑するくらいに凄い。音楽の使い方も、センスの良い編集ぶりも、当時は金も時間もない中で、アドリブ的に制作されたはずだけど、奇跡的な高揚感を捉えていると思う。木村幌の名演で感動的な、以下の委員長の台詞は、本当は誰が書いたのか?

「われわれバンパイヤは、先祖代々、耐え難きを耐え、我慢に我慢を重ねてきた。だが、バンパイヤ委員会を代表して、私は宣言する。横暴なる人間どもの支配する時代は、まさに終わろうとしている。万国のバンパイヤよ、起て!」

これ、文字だけ読むとそうでもないけど、役者が演じると、随分説得力が増すのだ。まさに演技力。

■当然のように、トッペイは出ず、ロックが主演。アニメ部分の質感が劇画タッチではなく、漫画タッチになってしまったのが非常に残念だけど、実写パートの充実ぶりが凄い。このセンスで撮れるなら、円谷プロが目をつけたはずだよ。69年1月の放送だから、まだ「怪奇大作戦」やってた頃。まさに実相寺が京都で撮ってた時期だね。

■実際、会社(東映)が監督にしてくれないから東映やめてフリー監督でいこうかな、と考えたら、円谷プロが声をかけた可能性はあるだろう。ただ、ちょうど円谷プロが潰れそうな時期だから、タイミングが悪いけど、ひょっとすると「帰ってきたウルトラマン」の監督に、真船禎といっしょに松田寛夫の名が並んでいた歴史はあったかもしれない。東映から呼んできた富田義治の代わりに、フリーの松田寛夫だった可能性がね。

■実際、松田寛夫東映テレビの特撮ドラマも書いているから、ウルトラシリーズとかも参考に観ていた可能性はある。実相寺回なんて実は喜んで観てたんじゃないか?渡辺文雄も出てるし。『バンパイヤ』の放送は1969年にずれ込んだけど、実際の撮影は1967年春から始まっているから、「ウルトラマン」の終了後の時期だけどね。

■そうそう、渡辺文雄といえば、「ウルトラQ」だし「ウルトラマン」だし「バンパイヤ」のレギュラーだし、その後、さそりにも出てますよね。実は隠れたキーパーソンかも。

■それに、さそりを撮ったのは伊藤俊也だけど、松田寛夫とは終生の友であって、そもそもさそりを撮るときには松田寛夫のほうが監督の先輩だったわけで、前にテレビでこんなの書いて、こう撮ったけど、案外うまくいったぜ!とか言いながら脚本を書いた可能性もある。つまり、伊藤俊也の尖った演出には、松田寛夫経由で、『バンパイヤ』メイン監督だった、まふねてい(真船禎)の演出スタイルが流れ込んだ可能性がある。誰も知らない日本映画史の意外な地下水脈だ。

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