■なにしろ笠原和夫は異様な(というか正統派の)勉強家で、調査魔。シナリオの修行も、師匠の笠原良三には教わっておらず、ほぼ独学。映画を劇場で何度も観て、シーンとかカットを全部書き出すという地道なスタイル。王道の勉強法だよなあ。これを3~4年続けると、十分プロレベルに書けるらしい。実際、ここまでやってる人は稀でしょうな。その意味では、才能の人ではなく、努力の人だと思う。正攻法の努力で大家になった。このあたりは、人生勉強にもなるなあ。
■絓秀実が紹介するスラヴォイ・ジジェクの天皇論が非常に有意義で、個人的には、とても腑に落ちた。天皇は万世一系の、世界でも稀有な歴史を持つからありがたい(?)的な、無理くりな意味付け、権威付けではなくて、無(空虚)である点こそ、優れていると指摘している点。これは、非常に心理的な納得感が大きいので、もっと知られるべき(有名なの?)。その存在、その権威によって、独裁者の登場を抑えている。俗事(政治権力)には関わらない超越的な立場だけど、存在するだけで、周囲に自律的な影響を与える。まあ、そんな芸当ができるのは、じっさい天皇しかいないわな。ちなみに、天皇を「絶対的な無」と捉える哲学は、京都学派で昔から言われていて、和辻哲郎とか田辺元とかが有名らしい。
■天皇に変な物語を仮託するからいろんな齟齬や、胡散臭さや、政治的な野心や、権謀術数、不純さが臭ってくるので、そこをすっぱり断ち切って、みんなでこれが「権威」と決めたから、天皇はなんだか特別なもの(象徴)なのだという了解があればいいのだ。天皇がいるのは、俺達がいてもらったほうがいいよね、だからいてね!と願ったから、そこにある。それなら信じられる気がするのだ。そして、「権威」てそんなもんじゃないの?そして、その仕組が、ジジェクのいうように、絶対主義の出現を防いでいる。というのは、素直に信じられる。これは、かなり頭の整理になったな。(実際、どの書籍で言っているのか未確認だけど)
■これで思い出すのが、実相寺昭雄の『哥』という映画。「形が大事なんです。形さえあれば、喪われた魂もいつかまた宿ることができるんです」という台詞は、ストレートに天皇制についての言及で、天皇が、空虚な入れ物(無)であることを言っている。でも、空虚なところにこそ、神とか権威とか超越的なものが宿るということが、そもそも日本古来の伝統なのだ。真の空虚(無)は、なにも無いということではなく、なんでもすべてが(宇宙すら?)入りうるということなのだ。だよね?
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■そしてそのことは、そのまま映画術にもあてはまる。形式が整っていれば、その映画にはやがて偶然によって魂が宿ることがある。量産されたルーティンなヤクザ映画のなかに、いくつもの傑作が生まれたのは、まさにそういうことなのだ。
■ちなみに、中長期スパンでいえば、天皇はAIに置き換わると思いますけどね。これは非常に相性がいいと思いますね。永愛天皇?
■笠原和夫は基本的に右派で、太平洋戦争についても、戦争なのでお互い様、喧嘩両成敗だから、アジア諸国に謝る必要はないとの立場だけど、天皇についてはとても厳しくて、それは戦争経験者だから。戦争当時に、権力者側だったか、庶民(兵隊)だったかによって、天皇に対する怨念の持ち方は変わってくる。しかも、昭和天皇が退位しなかったために、トラウマが疼き、怨念が燻ることになった。庶民として戦争のリアルを経験した右派と、戦争を知らない右派とは、やはり大きな断絶があると感じる。正直、戦争を経験していない戦後生れの右派の意見は、あまりに薄っぺらなので、基本的に傾聴に値しないと思っている。
