基本情報
「テント劇場」より 盗まれた欲情 ★★★★
1958 スコープサイズ(モノクロ) 92分 @アマプラ
企画:大塚和 原作:今東光 脚本:鈴木敏郎 撮影:高村倉太郎 照明:大西三津男 美術:中村公彦 音楽:黛敏郎 監督:今村昌平
感想
■何かに挫折して大学を中退し、大衆演劇のテント劇団の座付き作家兼演出家に夢を賭ける国田(長門裕之)だが、大学の同級生にTVに誘われて心は揺れる。だが、座員の千鳥(南田洋子)に対する思慕もあり、一方で妹の千草(喜多道枝)には熱烈に慕われ、心は千々に乱れる。そんな折、河内の片田舎の旅興行のさなか、座長の山村(滝沢修)と演劇論で激しくぶつかってしまう。。。
■今村昌平の記念すべき監督デビュー作だが、なんというか、映画監督としての良いところがほぼ全て発揮されている傑作。監督デビュー作でこのレベルの作品を作ってしまうとは、恐るべき才能だ。正直、後年の独特の近親相姦妄想に彩られた民俗的世界よりもずっと楽しいし、普遍性が感じられる。それに、『にあんちゃん』などにも感じられる、映画的なスペクタクル演出の巧味さにも舌を巻く。基本的に小さなお話なのに、舞台設定とか、モブシーンの厚みで、妙に大作気分を醸し出しつつ、それでいて間延びしない。後年の代表作が実はかなり冗長であるのと対照的だ。
■今東光の小説が日本映画史に残した功績の大きさも、なかなか無視できないものがあり、誰かが分析してほしいのだが、本作も実によくできている。脚本の鈴木敏郎は山内久の変名で、当時まだ松竹に在籍していたための措置らしい。この脚本も良くできていると思うが、この物語世界には、大学時代は演劇青年だった今村昌平の個人的な想いが素直に反映していると感じる。
■大学で新劇活動に打ち込みながら、多分政治活動にも参加していた青年が挫折したのは、戦闘的な武装闘争路線に対する共産党の裏切りによるものと考えるのが妥当だろう。大島渚が『日本の夜と霧』で描いたあの絶望的な断絶、若者にとっての「第二の敗戦」ともいえる決定的な経験のことだ。柴田翔が『されどわれらが日々』(未読だけど!)で描いたあの挫折。そこには今村昌平の個人的経験が投影されているだろう。
■それゆえ長門裕之の役どころは生々しいし、その鬱屈は観るものの心を打つ。じっさい、長門裕之の上手さに圧倒されるし、不倫関係を結んでしまうのが南田洋子で、これも実に色っぽくて上手い。ふたりともまだ若いのだけど、なんでこんなに演技がうまいの??
■南田洋子の妹で、長門に一方的に激しい思いを寄せるのが喜多道枝という女優で、決して悪くないのだが、長門と南田がうますぎるので、割りを食っている。脇役では今村昌平とは盟友である西村晃がいつものようにノリノリで素晴らしいし、ドサ回りの劇団の団長を滝沢修が演じているのも味わい深い。ほんとは、中村鴈治郎あたりがはまり役なのだろうが、敢えて滝沢修。
■持ち味的に少し硬い滝沢修だけど、長門裕之との舌戦で、「せやけど、芝居は稽古で決まんのだっせ。血いたらして、噛んで含めて、練り上げんならん舞台でっせ」「もうええわい、釈迦に説法しさらす気かい?」に対して「しますがな、釈迦にでも、閻魔にでも、説法しますがな」のあたりの浪花言葉の応酬は実に素晴らしい見せ場。今平凄い!
■撮影はまだ姫田チームではないのだが、ベテラン高村倉太郎がかなりリアリズム路線の撮影を頑張っていて、実に良いタッチ。田舎の村でのナイトシーンも、遠景に仮設テントがばっちり映る。このあたりは単純なツブシではなさそうだ。ローキータッチで、現実の世界の薄汚さを積極的に造形してゆく。それが日活リアリズム路線。
■惜しいのは、アマプラ用の配信原盤のコンバートがところどころ破綻していることで、中盤の肝心の見せ場が、駒落ちのように飛んでしまう。オリジナルのHDマスターはもっと精細なんだろうなあ。
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