基本情報
半落ち
2004/VV
(2004/1/24 MOVIX京都/SC5)
原作/横山秀夫 脚本/田部俊行、佐々部清
撮影/長沼六男 照明/吉角荘介
美術/山崎秀満 音楽/寺嶋民哉
監督/佐々部清
感想(旧HPより転載)
アルツハイマーの妻を殺害して自首した警察官(寺尾聡)は、何故か殺害から自首までの空白の2日間については頑なに口を閉ざすのだった。警察官、検察、弁護士、新聞記者、裁判官それぞれがそれぞれの思いで、この事件に関わり、自らの職業意識に向き合ってゆく。
「陽はまた昇る」でサラリーマンの意地を手堅く描いて注目を浴びた佐々部清の監督第二作も、完落ちしない主人公の空白の2日間の謎を巡る事件関係者の職業意識の在りようを描き出した、働くおじさん(おばさん含む!)シリーズとして一貫しているところが、この監督の心強いところである。まるで日本のロン・ハワードだ。
実際、クライマックスの部分がいかにも日本映画らしい愁嘆場になっているところが映画の完成度を貶めているのは確かだが、そうしたベタな演出は商業映画としてはある程度やむをえぬ選択として大目にみてあげたい気になるのは、そこに至るまでの各登場人物の描写にそれなりの誠実さと工夫が感じられるためである。
取調べにあたる警官(柴田恭平)、強硬な担当検事(伊原剛志)、売出しを狙う弁護士(國村隼)、本社勤務を目指す新聞記者(鶴田真由)、少壮裁判官(吉岡秀隆)、それぞれが嘱託殺人を巡ってそれぞれが思惑と野心を巡らせ、それぞれに現実の壁に直面しながら、それぞれの選択を選び取ってゆくという構成が、この映画の眼目であり、原作小説に負う所が大きいのはもちろんのこととしても、映画という限られた上映時間の中でそれぞれに見せ場を用意しながらエピソードを際立たせてゆく手際は、さすがに撮影所育ちの面目躍如といえる余裕の演出ぶりだ。警察追求に躍起となる野心家の担当検事との心中はご免だと居直る検察事務官(田山涼成)の姿まで追求してみせて全体のバランスを見失わない采配に叩き上げの貫禄を見せつる。
実際のところ、想定される観客層は野村芳太郎の「事件」や「砂の器」等の社会派ミステリーを観ている年代と思われ、クライマックスなどほとんど「砂の器」そのままだが、佐々部清に足りないものがあるとすれば、”えげつなさ”だろう。この作品もアルツハイマーという素材を扱いながら、原田美枝子は最後まで美しいままなのだ。それが東映映画に似つかわしくないほどの上品さとなって結実し、逆に言えば東映映画らしさが希薄という結果となっている。
さらにこの映画の貴重なところは、オールスター映画として成功している点にあり、本田博太郎、高島礼子、石橋蓮司、井川比佐志、西田敏行、嶋田久作といった曲者を揃えて小さな役柄ながら使い切っていることだろう。特に石橋蓮司が新聞記者にぎりぎりの取引を迫る場面などついつい泣かされる名場面である。まさか石橋蓮司の芝居に泣かされることになろうとは、日本映画史上の小さな事件といってもいいだろう。さらに付記するなら、クライマックスの見せ場を勝手にさらってしまう吉岡秀隆の強引とも思える存在感は圧倒的で、破壊的ですらある。こともあろうに法廷で被告に哲学的問答まで吹っかける善魔のような姿に戦慄する。