夕凪の街 桜の国 ★★★☆

夕凪の街 桜の国
2007 ヴィスタサイズ 118分
MOVIX京都
原作■こうの史代 脚本■国井桂、佐々部清
撮影■坂江正明 照明■渡辺三雄
美術■若松孝市 音楽■村松崇継
VFXプロデューサー■? VFXスーパーバイザー■貞原能文
監督■佐々部清


 こうの史代の有名漫画の映画化で、「夕凪の街」と「桜の国」は独立した2つのエピソードである。佐々部清はあえて、それをそのまま一本の映画として構成することを選んだ。

 前編「夕凪の街」は原爆スラムを舞台として、小さな幸せを手にすることすら躊躇せざるをえない若い娘皆実(麻生久美子)の短い半生を淡々と綴って、深い感動と、過酷な運命に対する強い憤りを湧き上がらせる傑作だ。文句をつければ、原爆スラムの描写にリアリティが不足しているとか、オムニバス・ジャパンのVFXが幻想的に過ぎるといった部分はあるのだが、麻生久美子が短い半生の最後に静かに語り掛ける怨念のこもった台詞が、観客の肺腑をえぐり、慟哭を呼ぶに違いない。その怨念の深さは笠原和夫が「大日本帝国」で書いた数々の台詞に匹敵するだろう。そういえば、笠原和夫は「仁義なき戦い・広島死闘編」で原爆スラムを扱っている。

 実際、原爆スラムには当時の社会の最底辺の住人たち(在日韓国朝鮮人被差別部落出身者たちが含まれていたことは容易に想像できる)が住んでいたはずだが、この映画ではそうした種々雑多な住民たちはあっさりと捨象されている。この街の住民を描くだけでゆうに2時間の映画ができあがるはずだが、後編とセットで一体とするため、この街の昭和33年の描写が随分甘くなってしまった。ただ、昭和33年の設定には、「ALWAYS 三丁目の夕日」への対抗意識を込めたという監督のコメントは、さすがだ。偉い。

 後編の「桜の国」は田中麗奈が不審な行動をする堺正章のあとを尾行するというプロットはいいとして、それに同行する中越典子の存在の意味が分かりにくく、それは原作にあったらしい被爆者差別の問題が大幅にオミットされていることによるようだ。この二人はレズなのかとか、中越典子は幽霊なのかとか、いらんことをいろいろと想像してしまうのは、作劇の焦点が定まっていないせいだろう。

 山口県下関市出身の佐々部清は、在日差別や部落差別といった西日本の人間の生活実感の素地に塗り込められた敏感な部分についての感受性は持っているはずなのだが、今回は、被爆と差別という過酷な十字架のうち、差別の問題をほとんど割愛してしまった。後編では藤村志保が重要な台詞で一瞬提示してみせはするものの、被爆者に他者から向けられる差別の視線は希薄だ。

 これまで「チルソクの夏」などで、西日本における韓国人との関係性や、地域社会の貧困の姿を、背伸びせずに自分自身の生活実感に基づいて映画に描き出してきたところに佐々部清の美質があり、ある部分では木下惠介の伝統を受け継いでいると思うのだが、この映画では差別の問題にもっと突っ込んでおくべきだったと思う。

 しかし、間違いなくこの夏、必見の映画。この映画だけは万難を排しても見ておくべきだ。

参考



昭和41年に実際の原爆スラムでロケした劇映画がありました。しかも吉永小百合がその住民を演じて、その年のヒット作でした。忘れ去るには惜しい秀作です。
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昭和37年に広島ロケを敢行しました。興味本位でヒロシマの見えない傷跡を探る不用意な男が迷宮に迷う風俗メロドラマです。
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考えてみると舞台が東京というのが当時の限界だったのかもしれません。
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戦争責任者に対する個人的な怨念を笠原和夫がぶち撒けてみました。
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この世界の片隅に』は今や伝説的な名作になってしまいました。
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