戦争で負け、外交で勝った?それホント?NHK土曜ドラマスペシャル『負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~』をイッキ見

2012 土曜ドラマスペシャル『負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~』 ★★★

作:坂元裕二、音楽:村松崇継VFXプロデューサー:結城崇史、演出:柳川強 (#1,2,5)、 野田雄介(#3,4)

■なぜか坂元裕二が脚本を書き、ケン・ローチを敬愛するNHK柳川強がチーフDとして演出するという、謎の座組で興味そそそる本作、どんなもんでしょうか?レッツ、イッキ見!

#1

■敗戦後、近衛公(野村萬斎)が戦犯と指定されて自害する。外務大臣に就任した吉田茂渡辺謙)は外交で勝つと宣言する。戦争に負けるとは女が犯されることである、と宣言する近衛。だから警察庁に命じて国営の慰安所を作らせる。近衛の描き方は完全に「痛い人」として描かれ、野村萬斎が例の浮世離れした感じで演じるから、ほんとにこれ大丈夫なのかと心配になる。

■じっさいもっと素朴な天皇崇拝者として描かないとリアルに感じられないのだが。共産主義者によって、天皇や皇族の首が飛ぶことをずっと恐れていた人だから。国体護持に対する信念とか、執着はもっと強調しないとね。と思ったけど、完全にノイローゼの人として描くのが、スタッフの、意地の悪い了解だったのだろう。柳川強だから(?)な。

#2

■いちばん首相になりたがっていた男、そして国民もそう望んだ日本自由党鳩山一郎金田明夫)は首相の座を目前にマッカーサー元帥(デビッド・モース)の意向で公職追放される。要は鳩山が戦前復古志向の対米独立主義者だったからだ。断腸の思いで、鳩山は吉田に首相になれと迫る。

■寝業師と呼ばれる松野鶴平を演じる石橋蓮司の怪演がみもの。吉田茂はついに首相の座に着くことを決断する。あいかわらず、松雪泰子はずっと困ったような顔をしている。

#3

GHQ民政局次長ケーディスは吉田を排して、芦田均(篠田英介)を首相に据えるが、GHQ内の権力争いで、G2のウィロビーによって昭和電工事件がフレームアップされてケーディスと芦田内閣は失脚。期待を膨らませた大統領予備選に敗れて失意のマッカーサーはケーディスの策略を排して吉田が首相に復帰することを承諾する。

■ケーディスと不倫関係にある鳥尾元子爵夫人(マダム鳥尾)が田丸麻紀というのも、2012年だなあ。『カーネーション』のあとか。

#4

朝鮮戦争が勃発すると、GHQのウィロビーは日本の再武装化のために警察予備隊の発足を迫り、服部卓四郎(吉田栄作)を顧問に据えようとするが、ガ島作戦失敗の張本人である無責任参謀の関与を白洲次郎谷原章介)と吉田は拒絶する。吉田は現実的に部分講和しかありえないと覚悟し、GHQを飛び越えてワシントンで米国との直接交渉に望みをかける。米国なくして日本なし。それが現実だ。米軍基地を存続させてでも独立を目指すが。。。(それ独立か?)

広田弘毅佐野史郎)の刑死に号泣し、近衛公との友情が強調される。近衛公は単なる「痛い人」ではないはずなので、1話での描き方にはどうしても違和感が残るし、それがシリーズ全体に変な不協和音を生じさせる。このあたりの設計ミスは痛いところだ。

■一方、ヒロシマから出てきて洋パンに堕ちた女と高級官僚の永井大とのメロドラマも継続中で、坂元裕二はそこに庶民の視点を託している。その描き方は、晩年期の切っ先の鈍った笠原和夫を彷彿させるけど、演じる初音映莉子が十分に応えていないので、響かない。配役に難があったと思う。1話の近衛公の発言(「戦争に負けるとは、女が犯されることである」)から発して、国のトップエリートがメインの話に対する、ちょっとユニークなアンチな取組ではあると思うのだけど。このあたりと、吉田の内縁の妻(松雪泰子)の描き方のあたりに、坂元裕二のこだわりを感じるのだが、限界は感じる。

警察予備隊再軍備モンタージュが軍靴の響きという演出も、さすがにステロタイプで古すぎないか?

#5

■中国が介入した朝鮮戦争への対応をめぐってマッカーサーは解任される。吉田は、ダレス特使との交渉の結果、サンフランシスコ講和条約の締結を行うと、すぐさま軍事施設で日米安保条約にサインする。吉田がこれまで強硬に反対していた実質的な再軍備を呑んだ瞬間だった。ただし、このことは国民に知らせてはいけない(密約路線のはじまり)。講和を花道として引退を進言する白洲だが、吉田は国民の絶大な支持のもとワンマン化していく。そして国民の指示を失ったとき、ついに鳩山が総理の座につく。

■日本は米国ありきの存在で、マッカーサーは日本の戦後をうみだした父であった。もちろん天皇ではなかった。それが日本の現実であり、それを認めなければ政治はできない、というのが吉田の認識だ。長男の健一(田中圭)は二重の権力体制だと激しく批判する。でもそれがわが国の保守本流の認識となるのだった。

初音映莉子永井大のメロドラマがステロタイプで何がしたいのか?と訝っていたのだが、要は、最終的に初音が生む、朝鮮戦争で死んだ米兵(本国に妻子あり)との間の輝くような混血児が、戦後の廃墟から生まれ変わった日本の姿そのものだという主張になっている。戦後の新しい日本は、米国と遺伝子レベルで融合して、分かちがたく一体化しているのだから、その現実を直視せよという主張だろう。(一方で米国からみれば、日本人など違う神を敬う、取るに足りない黄色い猿だろうけど。)

■それは不義の子かもしれないけど、ほら、こんなにまっさらで、可愛くて、生まれでたこの子には何の罪も科もないではないか。未来はその瞳に明るく微笑んでいる。日本は米国の手によって生まれかわったのだ。だから徹頭徹尾、米国なくして日本なし。それが戦後体制、戦後の国体そのものなのだ。ここにも、近衛公の異様な台詞(「戦争に負けるとは女が犯されることである」)が伏線としてこっそり反響しているのは、さすがに豪快な作劇だね。大丈夫か?

■最後の最後に死の床の吉田に、松雪泰子が吉田の例の有名な台詞「バカヤロウ」を囁くのは坂元裕二らしくて、いいひねり具合なのだけど、このとき一体松雪は何歳なのか?すでに婆さんのはずだけど。あるいは、これは幽明境を異にする間際の吉田が見た幻なのか?そういうことでいいの??

■外交で勝つ!を標榜した吉田だが、はたしてこれで勝ったと言えるのでしょうか?というところに、柳川強の企みがあると思うが、穿ちすぎだろうか。坂元裕二の仕事としてもユニークな位置にあり、独特の台詞の応酬などは当然ないけれど、正統派の職人技を見せる。そのなかで、しれっと過激な見立て技を披露するのは、なかなか侮れない。

参考

柳川強のドラマとしては、こちらの方が上出来です。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
こんなのもありました。
maricozy.hatenablog.jp

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