涙はとうに枯れ果てた。とことんシビアなハードボイルド家庭劇『偽りの花園』

基本情報

The Little Foxes ★★★★
1941 スタンダードサイズ 115分 @アマプラ

感想

■1900年、南部のギデンズ家では、南部の極安賃金労働の利を活かして綿工場を設立するためシカゴの資本家に共同出資しようとするが、レジーナの病弱な夫が首を立てに振らないため、彼女の実家の兄たちは貸金庫にある鉄道会社の債券を勝手に使うことを企む。呼び戻された夫は異変に気づき、それでも妻に貸したことにして穏便に済まそうとするが、遺言を変更することにレジーナは反発する。。。

サミュエル・ゴールドウィンが製作して、リリアン・ヘルマンの戯曲をウィリアム・ワイラーが映画化した一連の名作を、一時期集中的に観ていたのだが、久しぶりに観なおすと、あまりにシビアなのでビックリする。最近の映画やドラマばかり見ていると、メソメソ泣いてばかりいるのでうんざりするのだけど、リリアン・ヘルマンに涙は無い。過酷な時代のなかで戦い続けて劇作家として生き抜いたハードボイルドな彼女にはそんな水のように安くて薄い涙など、とうの昔に枯れ果てたからだ(想像)。家族といえど、家庭といえど、安住の地ではないのだ。普通なら、母ものの枠組みに持ち込んで、ちょっと泣かせようかとか安易に考えがちなところ、リリアン・ヘルマンはあくまで戦闘を選ぶ。

■とことんお金の話で展開するのも驚きで、全くメロドラマではない。その意味では、家庭劇というよりも、社会派ドラマの色が濃い。有吉佐和子の『女系家族』とか山崎豊子の『華麗なる一族』などの諸作を想起する。

■南部の人的資源や広大な天然資源をとことん搾取して、利潤を最大化することしか考えない資本主義の権化であるハバート家の人々。そんな南部経済の原則に過剰適用してとことん忠実に生きようと画策する母レジーナ(ハバート家出身)の醜悪。一方で資産と家柄に目をつけられ、犠牲者となった叔母のバーディ。わたしのようにはならないで。そして、巨大な搾取装置である南部経済の犠牲になることを嫌い、実母を含む彼らとことん戦うと決意する娘アレクサンドラ。ぶどう畑を荒らす小狐たちは捕らえなければならないと神が言ったからだ。誠実に生きようとした父の遺した意思だからだ。

■今夜だけは一緒にいておくれと懇願する母に、怖いから言うのね?と一蹴する娘。母は心臓病で苦しみ悶える父を見殺しにしたに違いないのだ。(階段を生かした、怖い怖い有名な名シーンがある。)良心の呵責があるかどうかも怪しいけど、願わくば父の呪いを受ければ良いのだ(言わないけど)。描写はとことん即物的で、ハードボイルドだけど、ここだけちょっと南部ゴシック風味の演出にもなっていて、非常に秀逸。リリアン・ヘルマンじゃないと、こんな渇ききった人間関係は描けない。そして、これ普通にブロドウェイでヒットして、映画もヒットしたはずなので、当時の観客のリテラシーが高かったということだなあ?


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