身体が消えるとき、心も消えるのか?『透明人間』

基本情報

The Invisible Man ★★★
1933 スタンダードサイズ 70分 @アマプラ

感想

■改めて映画を見た後で、原作小説を読んだけど、いろいろと差異が楽しいね。映画は半分くらいコメディ路線だったので、まさかとは思ったけど、原作も結構コメディだし、活劇要素が多い。SF的な透明化理論の解説は当然原作が秀逸で、今読んでも説得力がある気がする。映画は完全に割愛して、インド原産の薬草モノケインというギミックが登場するけど、そんなもの原作には出てこないのだ。

■原作小説の秀逸な3冊の秘密ノートに関するオチについても映画では採用せず、ツイストは効いていないけど、映画はオリジナルな見せ場を創出して、物語よりも、そうした細部の表現に妙味がある。

■部屋の中に透明人間がいるかどうか、網を持って部屋の端から端まで歩いて確認するとか、隠れ家の馬小屋を警官隊が包囲する見事なステージ撮影の場面とか、最終的に死んでからやっともとの姿を取り戻す美しい合成カットとか、個別の見せ場の秀逸さは、やはり捨てがたい。包帯をとって透明化する移動マスク合成なども凄いんだけど、むしろ全くみえない、存在しない人間を間接的にどう映画で描くかというところに、映画というメディアと矛盾する反映画的存在である透明人間の挑戦がある気がする。撮影監督はアーサー・エディソンで、『西部戦線異状なし』『カサブランカ』なども撮った古参の名手。

■身体を消すと、心も消えるのだ。というのが透明人間の寓話の重要なところで、原作小説でもそこは直接言及していないけど、そもそも透明になることで何がしたいというビジョンもなく、ただ身体を透明化したけど、そうすると心も消えてしまった。もともとなんのビジョンもなかったので、消えてしまった心に巣食ったのは、社会や世界に対する悪意だった。ひとの心には善意や神が棲むかもしれないけど、心がなくなれば、その空隙に忍び込むのは邪念や怨嗟や悪魔でしかない。神にかわって、世界を恐怖で支配する。それが透明人間となった人間の導き出した存在意義だった。そして、そこのところの悪意をうまく劇化したのがリブート版の『透明人間』だったわけだ。


参考

maricozy.hatenablog.jp
これは『透明人間』の秀逸なリメイクでしたね。オリジナルより上出来かも。
maricozy.hatenablog.jp
メジャーだけど、堂々と下ネタに持ち込みました。バーホーベンの『インビジブル
maricozy.hatenablog.jp

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