戯曲レビュー:まるでウルトラシリーズの最終回だった!でも変身はしない、リリアン・ヘルマンの『ラインの監視』

■1940年、ワシントン近郊のファレリー家の邸宅に、久しぶりに欧州から娘夫婦が帰ってくる。だが、その夫クルトはレジスタンスの闘士でナチスに手配されていた。その秘密を知ったルーマニアの亡命貴族は、彼を脅迫する。トランクの中の闘争資金をよこせば、密告しないと。。。

■本作は同じタイトルで映画化されていて、アカデミー賞の主演男優賞を受賞している。その際に脚色は、ダシール・ハメットが行った。リリアン・ヘルマンは基本的に通俗的な笑いもカタルシスもない硬い作風だと思うのだが、本作はかなり通俗的カタルシスがある。ラストの父と子の会話にちゃんと泣かせる要素を乗せている。珍しいと思う。

■その様子は、まるでウルトラセブンウルトラマンAの最終回のようなので、単純に燃えるし、泣かせる。共に戦ったレジスタンスの同志で指導者がナチスに捕まってピンチなんだ。いま欧州に戻れば、生きて帰れるかどうかはわからない。けれど、ここで救いに行かないと男がすたるのだ、正義がすたるのだ。子どもたちよ、父を許してくれ。でも、君たちもそんなおとなになってくれ!それが父の願いだ!ここで、クルトが変身しないのが不思議なくらい、ウルトラなのだ。脳内では完全に冬木透のメロディが鳴ってますよ。その後の妻サラと交わす台詞も秀逸。

クルト「生きたいと願う人間が生きるための最高のチャンスをつかむんだ。ぼくは生きたい。きみと生きたいと願う。」

サラ 「二十年。私にとって今日一日がまるであなたとすごした二十年のように思える。たった一度っきりでありながらこれまでの全生涯のように。私のために帰ってきて、あなた。」

まるで、ウルトラセブンの最終回じゃないですか!最高。

■そして、二人の母親であるおっとりとした老婦人ファニーは最期に、こう締めくくる。クルトの殺害した伯爵の死骸を前に、これから大変なことになると息子に言われて、こう応える。

ファニー「よおくわかってるわ。なんとかやりましょう、二人で。私は糊で張りあわせたお人形ではない。あんたもね。ーーまだものごとを学ぶことができるって、しあわせよ。」

■素直に感動作なので、映画版も観たいなあ。

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