今になってやっと理解できた異色の心理劇『噂の二人』

基本情報

The Children's Hour ★★★☆
1961 ヴィスタサイズ 109分 @DVD

感想

■あらすじは、以下の記事で書いてしまったので、省略。大昔にたぶん2回観ているが、どうも陰気で地味な映画で、失敗作という印象だった。ワイラーは1936年に『この三人』というタイトルで、同じ戯曲を映画化していて、でも同性愛を直接扱うことができなかったので、ヘテロな三角関係に改変している。でもそれはそれで飲み込みやすいよくできたメロドラマになっていて、これはかなりの佳作だった。『この三人』に比べると『噂の二人』はなあ。。。というのがこれまでの認識だった。だが、改めて見直すと、認識が改まった。
maricozy.hatenablog.jp

■原作の戯曲との比較でいえば、もちろん『この三人』よりは原作に忠実だけど、第3幕の展開に大きな改変がある。原作ではマーサ(シャーリー・マクレーン)がカレン(オードリー・ヘップバーン)に実は噂通りに性愛的に愛していたことを告白して拳銃自殺した後に、事実を知ったティルフォード夫人が懺悔に訪れるのだが、映画では同夫人の謝罪を二人で聞いた後に、マーサは自裁する。

■そこにマーサの心理の解釈に微妙な違いが生じる。ティルフォード夫人によって疑いが晴らされて、社会復帰も可能な道筋がみえたのに、マーサは自殺するからだ。原作では、すべての道が閉ざされた絶望感のなかで自殺したようにも見えるし、戯曲の書き方としては、割と淡々としているけど、映画ではそうではなくて、あくまでカレンとの関係のなかで、自殺を選択したことに意味合いが変わる。悪意の噂と社会の偏見に追い詰められたというよりも、ある意味、カレンに対して自分と彼女を騙し続けたことを罪と認識して、死を選んだという解釈になっているようだ。映画の脚本はもともとリリアン・ヘルマンが着手していたが、事実上の夫(?)のダシール・ハメットが病床に伏したため、看病のために降板したそうで、ジョン・マイケル・ヘイズが書いた。リリアン・ヘルマンの脚色構想を受け継いだ可能性もあるだろう。

■改めて観ると、前半はマーサの表情を丹念に追っている。死に至る彼女の心の変化がドラマの核になっているからで、それが最終的にカレンの比重が大きくなり、ある意味清々しいラストシーンに集約される。この構成の妙はさすがに映画の力で、最後にカレンの人間としての自立としてのテーマが立上がってくるのに、感心した。全然記憶に残っていなかったのが不思議なんだけど、まるで増村保造の映画の若尾文子なのだ。そして、原作の戯曲ではそこまで描かれないし、そもそも、残されたカレンを全力で支えると誓うティルフォード夫人の気持ちを受け入れることを匂わせて和解ムードを残して終わっている。それが映画では、ティルフォード夫人だけでなく、差別と偏見の目で二人を爪弾きした地域の人々にも一瞥もくれず、しっかりと未来のみを凝視して、颯爽と歩み去る、より戦闘的で意思的な女性像が描かれる。

オードリー・ヘップバーンシャーリー・マクレーンの演技的な部分にはやや怪しいところがあり、特にシャーリー・マクレーンの演技はかなりオーバーアクト気味で、舞台調にみえてしまう。もっと繊細な演技で見せればいいのに。一方で、ティルフォード夫人がメアリーをやり込める場面など、ワイラーお得意の大階段の上下関係を利用した名演出で、自信満々。また、カレンが街で囁かれる噂について生徒の父親から聞く様子をマーサが心配気に眺める場面なんて、映画ならではの演出で、まるでヒッチコックなんだけど、まあ、たまたまだろうね。マーサが、あなたを愛してるといい、カレンが愛してるわと返す。このあたりはさすがに映画ならではの表現で泣かせる。でもマーサは私の言ってるのは、そんな愛ではないのだと残酷な告白を始める。このあたりは、原作戯曲より優れていると思う。

■ちなみに、本作が忘れられ気味なのはソフト化に力が入っていないこともあり、このDVDも原盤に瑕疵がある。何箇所もコマが抜けていて、音はつながっているのに、画面が飛んでいる。さらにサイズが微妙に変わって、ポン寄りみたいになっているカットがいくつかある。権利関係が複雑になっていて、きれいな原盤が入手できないのかもしれない。なんでだろ?


参考

現実に、虚言を弄するボーダーラインの人間は実在します。
maricozy.hatenablog.jp
日本では、女性同士の同性愛はなんとなく受け入れられやすい気がしますが、気の所為でしょうか?宗教の違いか?
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp

© 1998-2024 まり☆こうじ