■ワイラーが1936年に『この三人』として映画化していて、リリアン・ヘルマン自身が脚本を書いている。ただ、お話の中心にある同性愛の問題が忌避されていて、単純な男女の三角関係に再構成されている。それでも、映画として上出来で、最終的に楽天的な解決を見て、後味の良い映画になっている。
■でも、それは映画的改変の成果で、後に同性愛の問題を原作に忠実に映画化されたのが1961年の『噂の二人』。オードリー・ヘップバーンを主演に据えて、ワイラーが再挑戦したが、いかんせん非常に地味で、すっきりしない映画だった。オードリー・ヘップバーンの演技的な問題だったような気もするけど、随分昔に観たきりなので、はっきりしない。
■戯曲は3幕構成。第1幕は、基本的な人間関係が紹介され、虚言癖少女メアリーが学校をさぼるためにおばあちゃんの家に帰るまで。第2幕では、おばあちゃんに二人の教師(カレンとマーサ)の同性愛の噂を吹き込み、おばあちゃんがPTAに吹聴してしまう。抗議に来た二人の前で、メアリーに脅迫されたロザリー(学友)が自分が見たと証言する。第3幕では、名誉毀損の裁判で負けた二人が、語り合う。マーサは、あの嘘が語ったそのとおりの気持でカレンを愛していると告白すると、拳銃自殺する。メアリーのおばあちゃんが、孫の嘘を知り、謝罪に現れたのはその後のことだった。
■「私はあの人たちが言ったようにあなたを愛しているの。」「(前略)ある日突然、一人の子供が退屈まぎれに嘘をつくーすると、そう、はじめてそれがはっきり見えてくる。(後略)」自分の人生を台無しにし、愛する人の人生をも台無しにしてしまった、二人の夢をぶち壊してしまった、自分の中の秘めた想い。それが、子どもの嘘から出たことでも、それによって自分自身が初めてその感情を認識してしまうと、知らなかった昔にはもう戻れない。昔の二人の楽園には戻れない。だから、マーサには自分を裁くことしかできなかった。本当は、そうした社会の偏見や差別が問題であったはずなのに。同性愛に対する忌避感の強さに慄然とし、涙すら入り込む余地がない作劇に戦慄する。