物象の軽視!精神主義への傾倒!指揮命令系統の混乱!あまりにも日本的な過ちで歩兵部隊は戦争に行く前に全滅した『八甲田山死の彷徨』

■なんで今さら読んでいるのか?という感じですが、今読んでも示唆の多い記録文学ですね。

■第三十一連隊は、雪の八甲田山で全滅した第五連隊には途中遭遇しなかったと(嘘を)言い切ってしまったため、回収した第五連帯の二丁の銃が宙に浮き、この世に存在してはならない銃の処遇を巡る辻褄わせのヒヤヒヤする裏工作など、ホントによく書いたよね。読んでいて冷や汗がたらたら。建前と本音の乖離をこんな問題意識でリアルに描ける人は限られていて、新田次郎はもともと気象庁のお役人だったから、切実な実感を込めてリアルに描くことができるのだ。そして、同様のことが可能な映画人としては橋本忍以外にないのだが、映画『八甲田山』ではこのエピソードは捨象された。まあ、長くなるから仕方ないけど、残念。

■物象の軽視、指揮命令系統の混乱、これらは明治期の大日本帝国陸軍の宿痾であった。そして第二次世界大戦でもその弱点はそのまま継承され、多大な人命を失う無謀な戦いを戦うことになった。それは軍隊だけのことではなく、戦後も日本の官僚組織に共通的に見受けられる特徴といえる。あってはならないこと、あってほしくないことは、無いものとされる。しようとする。現実を直視して科学的、合理的に対応を考えるのではなく、現実を建前に合わせて根本的な問題を先送りしてしまう。

■でも、太平洋戦争の時期と違うのは、この時代には、まだ帝国陸軍は徴兵している兵卒とその家族にかなり気を使っていること。現実は、職業軍人と比べて、兵卒の遺族補償は格段に少なくて、非常に差別的な処遇だったようだが、さすがに遺族から不満がでたというし、そもそも陸軍は国民が軍隊に反感を抱くことをシリアスに恐れた。そのために、皇室を介して国民の感情を慰撫する必要があった。この時期、まだ軍部は国民に気を使っているし、その支持がなければ軍隊はやっていけないと知っていた。太平洋戦争末期になると、軍部のそんな気兼ねなんてなくなっていて、国民がなんと言おうと強権的に若者を兵隊に引っ張っていったから、それだけ異常事態だったということ。それに、明治末期から昭和初期に向けて、国民は黙って偉い人の言うことを聞けという教育が浸透していったわけですね。本当に恐ろしいことだと感じます。

参考

maricozy.hatenablog.jp

明治といえば、これ。映画としては『八甲田山』を軽く凌駕する傑作。
maricozy.hatenablog.jp
明治時代って、ホントに大変だったようですね。日清、日露と戦争には勝ったものの、職業軍人は当然として多くの国民(主に貧しい家の次男、三男)が戦地で死に、遺族は嘆き悲しんだ。
maricozy.hatenablog.jp
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新田次郎には『富士山頂』という傑作もあった。
maricozy.hatenablog.jp
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未読ですが、絶対読みますよ!

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